第四十三話 餓狼①


「さあて、やろうか。俺はもう待ちきれないぜ」


「……集まった観衆に挨拶ぐらいはしないのか?」


 スクートは物事には順序があるとでも言いたげな表情を浮かべると、フレドーは少し呆気に取られたように口をすぼめた。


「なんというか……割とそういうところ律儀だよな、お前は。心配するな、そんなものはお前が来る前に済ませておいたぞ」


「むっ、そうか」


 控室でリーシュと話をしていたとき、ひときわ盛り上がった時がそうなのだろうか。


「それに今日この日は、雄弁に演説するための場ではないだろう?」


 瞬きすら遅く感じるられるほどの速さでフレドーは抜剣すると、その剣先をスクートに突きつける。


「剣を抜いて構えろ、スクート。俺とお前は舌で語るのではなく、剣で物語るのだからな……!」


 夢を前にした少年のように目を輝かせ、フレドーは歯牙を見せながら不敵に笑う。


「――――受けてたとう、フレドー」


 がちゃりと音を立てながら、スクートは新注の鞘より十字剣を引き抜く。長く重い取り回しの悪い十字剣にも関わらず、抜剣と構えが一体になったかのような流れるような動作。


 それは僅か一秒にも満たない時間であり、注視しなければいきなり身の丈ほどの大剣が現れたように見えるだろう。


「勝敗のおさらいをしようか。一発有効打を入れる、武器が弾き飛ばされる、あるいは戦意を失うかのいずれかだ。あとはそうだな、観客を巻き込むような大技は使わないようにな」


 半不死のスクートと人の身であるフレドー。両者が対等に戦えるよう、これらの決まりごとは事前に設けたことであった。


「心得ている、おれも血を使う戦いをするつもりはない」


 霧喰らいとの戦いのように、剣に黒血を塗って振り回そうならばどのような地獄絵図になるかは想像に難しくない。


 フレドーの風による斬撃も制限され、互いの大技は封じられることになるが……達人同士の戦いは何も大技ひとつで決まるという味気ないものとは程遠い。


 制限があろうがなかろうが、勝敗の行く末は純粋な技量によって左右されるのだから。


「ナタリアの炎魔法が打ち上がり、爆発した瞬間から戦闘開始だ。悪いが初撃から本気で行く。一瞬で勝負が決まるなんて冷めた真似、してくれるなよ」


 十字剣を上段に構えるスクートに対して、フレドーの構えは小剣と鞘を両手に持ちながら少し身を屈めるだけのものであった。


 誰の目にも無防備に見えるそれは、およそ構えと呼べるものではない。だがそれでいて付け入る隙が全く見当たらないというのが、フレドーという剣士の力量を物語っていた。


「フレドーは一度、霧喰らいとの戦いでおれの剣を見ている。対しておれは、風の刃という大技以外……何も知らない」


 フレドーを見据えるスクートの眼光がより圧を増す。


 まずは守勢に回り、相手の出方を伺う。そして隙や癖を探り、好機を見出し一気に畳みかける。それがスクートの選んだ戦術であった。


 やがて闘技場の一画より三つの火球が打ちあがり……はるか上空にて一つに収束すると、太陽のような輝きと共に轟音をかき鳴らした。


「さあスクート……俺に世界の広さを――――教えてくれぇ!!」


 フレドーはたける咆哮と共に大地を蹴り上げると、二十歩の距離を一瞬で詰めるほどの速さで突貫した。


「――――なっ!?」


 まるで空間を切り取ったかのようにスクートの前に現れたフレドーは、獣のような笑みと共に凄まじい勢いで突きを繰り出す。


 あまりに想像を超えた速さに、スクートは僅かに反応が遅れる。十字剣で咄嗟に突きの軌道をずらすが、スクートの頬は裂かれ黒い血が噴き出す。


「すげぇなぁ、スクート。いまの一撃を防いだのはお前が初めてだ」


 剣がぶつかり合い火の粉が飛び散るなか、称賛と羨望が入り混じったフレドーの顔が照らされる。


 自身に匹敵する強敵との戦い。その夢の最中にいるフレドーは、もはや純粋な戦闘欲に突き動かされ狂気すら感じられるほどであった。


「薄皮一枚斬られただけで白旗をあげる剣士などいないだろう……おれの重剣、受けられるかフレドー!」


 フレドーの小剣を弾き、スクートは風をも裂くかのような勢いで怒涛の斬撃を叩き込む。


 重く、速く――――そして剣の軌道が振り抜く前に変わるスクートの剣は、速さの極みに立つであろうフレドーであっても身のこなしだけで躱し切るのは至難の業であった。


 しかしそれでもフレドーは一歩も退かずに、小剣と鞘の二刀流で器用にさばいていく。


 たちまち闘技場はおよそ剣と剣がぶつかり合う音とは思えない重低音に支配され、熱狂した歓声は気圧されたかのようなざわつきへと移りゆく。


 どちらも退かずに死力を尽くす剣戟、舞い踊る火花は熱を増す。そうして打ち合う回数が二十を超えたとき……攻防の天秤はスクートへと傾きだす。


「ぐうう……重てぇなぁ!」


 手数では勝るはずのフレドーが、徐々に守勢へと追い込まれていく。


 スクートが二度剣を振るう間に、フレドーは三度剣を振るう。だが剣の速さだけでスクートの守りは突破できず、剣が交わるたびに衝撃が痺れとなり蓄積されていく。


 それでも負けじと反撃を繰り出すも、スクートはフレドーの剣を斬り弾いては流れるように攻撃へと転じる。


 重く、だが繊細な攻防一体の妙技。速さという最大の利点を殺されたフレドーは、完全に戦いの主導権を失っていた。


「ハハハ、最高だスクート――――俺は! いまぁ! 満たされているっ!!」


 限界まで見開かれた目と共に、感極まった様子でフレドーは叫ぶ。


「……やはり、難敵だな」


 明らかな劣勢に立たされておきながら、戦いを心の底から楽しむフレドー。その姿にどこか得体の知れない危機感をスクートは抱く。


「まだ、まだ……まだだぁああ!」


 一歩、また一歩と押され続けるフレドー。もはや反撃に転じる余裕もなく、完全に防戦一方であった。だが彼の目からは勝利を狙うぎらついた輝きは消えるどころか、より一層色を増していく。


「すげぇ、すげぇよ! お前はすげぇなスクート!!」


「悪いが勝負を決めさせてもらう」


 フレドーの目の色が濃くなればなるほどに、スクートの危機感は大きくなっていく。嫌な予感が的中する前に押し切ろうと、スクートは息を吐く暇も与えぬ猛攻をフレドーへと叩き込んでいく。


「これで仕舞いだ」


 度重なる斬撃により疲弊したフレドーはついに体勢を崩す。そこにスクートは容赦のない一撃を上段より振り下ろした。


 それは紛れもなくフレドーの小剣を確実に弾き落とし、勝負を決めるべく放たれた斬撃のはずであった。


「――――なに?」


 だが十字剣と小剣が打ち合った瞬間、スクートは予想だにしていない感触に襲われる。


 鉄を鉄で打ち付けるような衝撃とは程遠い……それはまるで、泥でも斬ったかのような物言えぬ違和感であった。


 そして真下へと振り抜かれるはずの十字剣はその軌跡を変え、まるでフレドーを避けるかのように地面を叩き斬る。


「……これは」


 フレドーはスクートの一撃を妙技で交わした後、俯いたまま動かない。静まり返った闘技場も相まって、不気味にさえ感じられるほどに。


 それはたった数瞬の間ではあったが、スクートの心中に広がる不穏が何倍にも膨れ上がるには十分すぎた。


 ――――信じられないが、受け流された。


 スクートはいま起こった事象をそう結論付ける。これまで自身の剣を受け止める者はいれど、力の矛先を変えて斬撃をいなす曲芸じみた真似をする者などは皆無であった。


「わかった。わかってきたぞ、スクート」


 沈黙を破りフレドーは口を開く。淡々としているが内なる興奮を押さえているかのようにも聞こえる、そんな口調で。


「まだこんなものじゃないだろう、スクート? 俺に世界の広さを見せてくれ」


 顔を上げ、小剣の切っ先をスクートに突きつけるフレドー。彼の額は先の一撃で浅く斬られたのか、小雨が柱を伝うように血が流れていた。


「……おれの悪い予感はよく当たる」


 ぼやきと共にスクートは十字剣を構えなおす。


 願わくばその悪い予感が、予想外の範疇にまで飛躍しないことを祈りながら。

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