第四十五話 布石
互いに睨み合い、ほんの僅かな隙を探り合うスクートとフレドー。
闘技場は風の音さえも聞こえそうなほどに静まり返り、観衆は次の一瞬がどうなるかと固唾を吞みながら見守る。
「……フレドーはまだやるつもりみたいね、ナタリア」
誰もが口を結び息伝いさえはばかる中。主催側であるクロスフォードとベルングロッサ用の特等席にて、リーシュはナタリアに声をかける。
「兄さんがやると決めたなら止める理由はない。スクートは不死身かもしれないけど、兄さんだって殺しても死ぬような人間じゃない……だから心配の必要はない。それに戦いが長引けば長引くだけ、その分だけ私達にも利益がある」
「そうね。目論見どおり闘技場にいる観衆の誰もが、想像だにしなかった激戦にのまれている。外界にこれほどの猛者がいるということも、ムヴィス一派にとって現実を知るいい機会になっているはずよ」
里の住人を集めて、スクートとフレドーの戦いを見せ付ける。霧喰らいを打ち倒した強さという証明に加え、外界にはスクートのような猛者がいるということを示し、これでもかと現実を直視させる。
この場に集った者たちはみな……スクートとフレドーの戦いが、まるで伝承の一幕を目の当たりにしているとでも感じるだろう。
「……お父様、危ないわよ」
柵から身を乗り出し食い入るように見ているホルスに、リーシュは耐えかねて声をかける。
「何を言うリーシュ。これは剣士として目に焼き付けておかねばならぬ……! 想像も理解も及ばない剣の極み、いやはやこの歳で世界の広さを知ることができようとは!」
ホルスはいつになく熱狂していた。普段であればどこか人生に疲れた様子さえ垣間見えるというのに、いまでは歳が二十も若返ったのかと思わせるほどだ。
「お父様でさえこの調子ならあなたの策はうまくいきそうね、ナタリア」
「リーシュ、気が早い。まだひとつ……他愛のない仕事が残っている」
ナタリアの策は予想通りの道筋を描き、成就しようとしていた。そしてその計画の締めは、彼女たちのすぐ後ろにある。
「ここに来たときは怒った鶏みたいにうるさかったけど、さすがの彼もいまは静かね」
ふと自分の座る椅子より後ろを返り見ながら、リーシュは意外そうな口ぶりでそう言った。
「……あれにも視力があって逆に安心した。てっきり節穴かと思っていたところ」
なんの情もこもっていない冷たい物言いと共に、ナタリアは席を立つ。
この場の観客席は、主催者の人間しか入れない特別なものだ。だが特例で、ある人物も招かれ……もとい柱に
「特等席からの眺めはどう? さぞ絶景に見えるはず――――ムヴィス・アルバトロス」
見上げているのに見下しているかのような侮蔑の視線を、ナタリアは柱に囚われた哀れな男に送る。
「ぐうう、性悪女め……覚えておけ!」
ムヴィス・アルバトロス。実の姉と兄を殺して家長の座を
手段を選ばない非道さを持ちながら、妙に憶病な性格という二面性を併せ持つムヴィス。小物ではあるが食えない輩であることは確かであり、ナタリアの策はこの男の心を
「何か言いたいことはある?」
「あ、あのようなものを見せつけてどういうつもりだ!? こんなことには何の意味もない……そんなことよりも早く降ろしてくれ! 縄が切れたら落ちて足が折れてしまう!!」
「……本当に、無様」
ムヴィスは震えた声で虚勢を張り上げたかと思えば、次の瞬間には助けを乞い始めていた。
彼はいま床より大人三人分はあろう高さに
「見なさい、愚か者。この観衆のうち一割はお前の息がかかった者のはず。でも誰もお前のことなど見ていない。誰も、助けようともしない。外界との共存という夢、その実現に向けて矢面立っている旗とも言うべき存在が……こんな辱めを受けているにも関わらずに。この場の誰もが――――お前を忘れている」
「ぐっ……うう」
ナタリアは淡々とした物言いでムヴィスに現実を突きつけていく。その言葉のひとつがひとつがムヴィスの心をへし折る金槌となり、歪んだ妄想を打ち砕く。
「外界との共存? あの大剣を振るうスクートを見なさい。神を奉じる十字架になぞり、あの剣は十字剣と呼ばれているそうよ。この時代でもそのような呼び名があることそれすなわち、教会という存在が現存しているという証拠。共存なんてできるはずがない」
ナタリアはあえてスクートが教会出身であることを伏せた。いずれ
「うるさい、黙れ! そんなものはでまかせに決まっている!」
特に妄想と我欲に囚われたムヴィスに伝えるのは、まさしく火に油を注ぐようなものであろう。
「……まあ、お前はそう言うと思っていた。でも里の民はお前ほど馬鹿ではない。闘技が終わった後、尻尾を振り続ける酔狂がどれほど残るか見物ね」
「黙れ……黙れ! 私より十近くも歳の離れた小娘が、年上に説教を垂れるなぁ!」
「そんな年下の小娘に言い負かされている時点で、お前は終わっている」
「なんだと!? この――――」
激高したムヴィスの二の句は、だが突如として湧き上がる歓声にのまれた。
「ナタリア、試合に動きがあったわ。そんな小物と話している場合じゃないわよ」
「そうみたい。……ムヴィス、お前は決着がつくまでそこで蝉のように
「~~~~~!!!」
言葉にもなっていない何かで
「相変わらず容赦ないわね、ナタリアは」
「リーシュほどじゃない。奴はいままで散々好き勝手やってきたのだから、その報いはきっちり受けてもらう。自由には、責任と代償は付きものだから」
ナタリアが椅子へ腰かけたとき、闘技は最終局面を迎えようとしていた。
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