第四十四話 餓狼②


「戦いはここからだ、スクート……! 殺す気で死合おうじゃないかぁ!!」


 爆発する気勢と共に、フレドーは再度スクートに向かって突撃する。その迫力は開幕のそれとは比べ物にならないほどであった。


 スクートは横薙ぎをもってそれに応えるが、やはりと言うべきかフレドーはそれを受け流す。


「こうだろ? こうだろう? だんだん慣れてきたぁ――――!」


 続く斬撃も、そのまた次も、フレドーは容易に受け流す。


 刃を合わせても火花が散るどころか、もはや泥どころか水でも斬っているような感触になりつつあった。


 斬撃を刃に乗せ滑らせ、そしてずらす。一瞬でも手元が狂えば躱すどころか致命となりうる妙技を、フレドーは臆することなく見せつける。


「末恐ろしいな、まったく」


 闘技が始まり僅か三分にも満たない時間で、フレドーの剣は異様とも言える速度で進化していた。


 いまとなっては十字剣を受け流すのとほぼ同時、加速したかのような勢いで返しの刃が飛んでくる。


 しかしスクートもまた歴戦の猛者である。風のように速いフレドーの剣も膂力りょりょくと技量の合わせ技で強引に防御し、放つ斬撃も緩急をつけて読まれにくくする。


「おいおいどうした、このままじゃ終わっちまうぞ!」


 だがそれでも戦いの天秤はフレドーに傾きつつあった。彼の振るう小剣だけでも手が足りないという状況に、フレドーはさらに鞘を使って手数を増していく。


 全てを受けきるのは不可能……そう判断したスクートは、革鎧の中でも装甲がほどこされた部位を的確に使い、漏れた攻撃を凌いでいく。


「やはりお前は天才だ、フレドー。剣の才はおれより上だ」


「戦いの途中に冷めたこと言うんじゃねぇ、もう諦めたのかぁ!?」


「まさか。ここからはおれも本気でいかせてもらう」


 フレドーの剣はありえない速度で進化していた。剣を交えれば交えるほどフレドーは学習し、スクートの不利に働く。このまま馬鹿正直に正面から斬り合っては、勝算は少ないだろう。


 ――――だが、付け入る隙がないわけではない。フレドーよりスクートがより多く持っているもの……それは戦いそのものに対する経験と、戦場を支配する才であった。


 完全な劣勢へと立たされる前に、スクートは現状を打破すべく奇策を試みる。


 スクートは十字剣を振りかぶり、斬撃を叩き込む。一見それはなんの変哲もないものであったが――――


「うおおっ!?」


 あろうことかフレドーは受け流しを仕損じ、互いの刃が重なり合う。


 焦りの声と共に、十字剣をまともに喰らった小剣から火花が飛び散る。それはフレドーが再起してから初めてのことだった。


「ぐうう……なんなんだその気味の悪い剣技は!」


「気味の悪いとは失礼だな。わざと遅らせただけだ」


 十字剣という長物でありながら、あたかもただの剣を振るうかのような高速の攻防。その最中、スクートは剣が交わる瞬間に強烈な減速をかけたのだ。


 剣と剣が交わるその一瞬に、力の矛先をずらし脱力と共に受け流す。フレドーの受け流しは寸分の狂いも許されない、それこそ天性の才がゆえ成せる技である。


 そしてその性質上、しくじれば待っているのは致命傷……よくて深手である。ゆえにその一瞬をずらされれば途端に分の悪い賭けに乗らざるを得なくなる。


 速すぎても遅すぎても仕損しそんじる。スクートはものの僅かな時間でフレドーの弱点を見破ってみせたのだ。


「そんな小細工など、する時間も与えなければいいだけだろぉぉお!!」


 獣のような咆哮と共にフレドーの剣速がさらにあがる。彼の言うとおり攻撃が苛烈になればなるほど、わざと緩慢かんまんな斬撃を放つのはスクートにとって不利に働く。


 攻撃は最大の防御なり。まさにそれを体現したかのようなフレドーであったが、スクートという男を前に防御をなおざりにするというのは、半ば自殺行為のようなものであった。


「そこだぁ!!」


 壮絶な打ち合いの末、対応しきれなかったのかスクートの動きがほんの僅かに鈍った。ついに守りを突破したと確信したフレドーは、間髪入れずにスクートの左腕に向かって突きを繰り出す。


 ――――だがそれは、スクートが仕掛けた巧妙な罠であった。


「それを待っていた」


 スクートは左手を十字剣から離すと、あろうことかフレドーの突きに向かって拳を繰り出す。


 迷いなく巧みに動く左腕はフレドーの突きを手甲で弾き……さらに小剣の刃をかい潜る。


 そして蛇が絡んで噛みつくかのように、スクートはフレドーの右手を鷲掴んだのだ。


「はあっ!?」


 思わずフレドーは己の目を疑い声をあげる。まさか閃光のごとき速さの突きを、手甲ひとつで受け流されるなど彼は想像すらしたことがなかった。


「戦場では一瞬の隙が命取りになるぞ、フレドー!」


 スクートはそのまま流れるような動作でフレドーの脚を払い、完全に身体の制御を失ったフレドーを持ち上げ、そして半月の弧を描くかのように地面へと叩きつける。


「ぐはぁ――――! ちぃ、容赦ねぇなぁ!」


 叩きつけられた次の瞬間に襲い来る杭打ちのような突き。それをフレドーは一瞬で飛び起き、後方へと回避する。


「次はこっちの番――――うおっ!?」


 地面に剣を突き刺したことにより隙を晒したスクートへ、今度こそとフレドーは斬り込もうとするが……体勢を整え顔を上げた瞬間、不意に何かが視界へと飛び込んだ。


「これもだ」


 すでにスクートは突き刺さった十字剣を強引にすくい上げ、フレドーに向かって土塊を飛ばしていたのだ。


「ぐうう、なんなんださっきから! 完全に手玉に取られてい……る?」


 フレドーは飛んできた土塊を目を守りながら斬り捨て、そして目元を覆う腕をどかす。しかし視界にいるはずのスクートの姿は、かすみのように消え去りどこにもなかった。


「――――なっ」


 フレドーは自身の死角より、心の臓を震え上がらせるような圧を感じ目を向けると……そこには十字剣を大きく振りかぶったスクートがすぐ間近に迫っていたのだ。


「これが、いくつもの死線を潜り抜け培われた……戦場の剣だ」


 身躱しも受け流しも間に合わない。完全に不意を突かれたフレドーに残された選択は、後方に飛び退きながら斬撃を受け止めるという悪手のみ。


「終わりだ」


 それはまるで鉄の雷のごとき一撃だった。かち合う刃は火花を通り越して瞬光を放つ星となり、聞いたこともない重低音と共にフレドーは綿毛のように吹き飛ぶ。


 そしてそのまま闘技場の壁に激突し、木片と土煙がもうもうと舞い上がる。


 もはや誰の目にも勝敗は明らかになった。あの勢いで壁に激突し、無事であるはずがない。


 ――――観衆が沈黙を破り再びざわつき始めた、その矢先。煙の奥より浮き上がった影が、ゆらりと動いた。


「……そうか、そういうことか。戦い方がうますぎる。それこそがお前の戦士としての本質だな、スクート。全てがひとつに繋がる流れるかのような剣技。気付いた時には手遅れな致命打を、一瞬の隙から見い出し叩き込む。完璧だ、まさしく戦場の剣だ」


 フレドーは頭から血を流し、ふらふらと覚束ない足取りでスクートの正面へと相対する。口にする言葉は賞賛にも独り言にも聞こえるが、それはどちらかというと戦闘における計算を紐解いているようであった。


「あの勢いで吹き飛んだ生身の人間が、まだ動けるか」


 有効打を与えるというかねての決め事に習うのであれば、あれほどまでに流血したフレドーはすでに敗北している。


 だがそれにも関わらず、フレドーの眼より闘志の炎は消えていない。


「なあ、スクート……俺には夢があったんだ」


 その言葉を皮切りに、フレドーは語りだす。


「生まれ持って背負う使命なんか捨てて、剣一本で当てのない旅に出て……強い奴に片っ端から挑みまくって、自分がどこまでいけるか試してみたかった。だってそうだろう、この隔たれた世界は……俺にとって狭すぎる」


 あまりに突出した天才がゆえの孤独、そして外の世界への憧れ。フレドーの苦悩は、リーシュに通じるものがあった。


「だが、できなかった。ナタリアも、リーシュも……里の皆も。使命の元に鬱蒼とした日々を過ごす者たちを忘れ、外界へ羽ばたいていけるほど俺は無責任になれなかった。俺は里を選び、戦いを捨てた」


 戦いとなれば子供のようにフレドーは目を輝かせる。もはや闘争本能ともいえる飢えを押さえつけ、フレドーは夢と決別した。それはきっと、身を切るような苦渋の選択だったのだろう。


「――――だから俺は嬉しいんだ、スクート。お前のような圧倒的な強者と戦えて。諦めた夢を、俺はいま、確かに思い続けている。お前が夢を見させてくれるんだ」


「……フレドー」


「もう勝負はついた。お前の勝ちだ、先の一撃は十分に有効打だろう。でもな、俺はもう少し……夢見心地でありたいんだ。あとほんの少しでいい、付き合ってくれないか? お前の言う戦場の剣とやらが……掴めそうなんだ」


 そこまで言うとフレドーは、手の震えを振り払い剣を構える。


 勝ち負けよりも、フレドーは戦いそのものに価値を見い出す。燻っていた炉に夢という火がくべられたいま、フレドーはあくなき強さへの探求者であった。


「そこまで言われて剣を納めれば、おれは明日から剣士と名乗れなくなるな。全力で応えよう、フレドー」


「ありがてぇ、だからこそ殺す気でいく。あらゆる全てを、お前にぶつけてやる」


「望むところだ」


 こうして二匹の狼は、再び剣を構える。


 次にどちらかが動いたとき、この戦いは本当の終わりを迎えるだろう。それはスクートとフレドーのみならず、闘技を見守る観衆でさえそう感じるのであった。

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