第二十九話 破滅を予言する者


「喜びたまえ、君は人間を超越した存在となったのだ。人の形と理性を保ったままドラゴンに近しい不死性に加え、もはや老いることさえもない。完全とは言い難いが、君は人類の悲願たる不老不死の存在となったのだ」


 見たまえ。そうライオネルは言葉を続け、懐から瓶を取り出した。瓶の中には液体にひたされた何らかの臓器が、まるで生きているかのように脈動している。


「これはドラゴンの心臓を元に、人間へ適合できるように改造したものだ。先程まではふたつあったのだが、いまはひとつしかない」


「まさか、そのひとつは……」


 残りひとつのなど、己に流れる黒い血が証明している。だがそれでもスクートは聞かざるを得なかった。


 僅かにでもあるかもしれない、否定の可能性にすがるように。


「そう、君の中だ。苦労したのだぞ、文字通り悠久ゆうきゅうの時を費やした。山のように積み重なった古書を紐解き、なんど大陸中を駆け巡ったことか」


 だがスクートの淡い願いは打ち砕かれた。


 深い絶望の底へ叩き落され、喪失し曇ったスクートの表情をよそに、ライオネルは嬉々として悲願の成就を語る。


「知っての通り、竜の血はあらゆる生物の毒となる。だがごく稀に、詳しく言えば数万人にひとりほどの確率で毒に対して完全な耐性を持つ……君のような存在が生まれるのだ。そしてその特異な体質が、ドラゴンの心臓を受け入れる依代よりしろとなる。常人に心臓を与えたところで、竜毒で自壊してしまうからな」


「……それだけか? それが、街ひとつを滅ぼすに足る理由か? そんなくだらない理由で、何の罪もない者たちが大勢死ななければならなかったのか!?」


 不敵な笑みを浮かべながら、ライオネルは首を横に振る。


「まさか。マルグ・エストリア……君があの街よりも価値があると判断したのは、ひとえにその強さだ」


「……強さ?」


「そう、強さだ。竜毒に完全なる耐性を持ちながら、ドラゴンを単騎で仕留めるほどの強さを両立する者など千年に一度現れるかどうかといったところだ。これで君があの街よりもよっぽど価値があるということを、自覚できただろうか?」


 そこまで聞いてスクートは、このライオネルという男が何を企んでいるか察しがついた。


「貴様の目的は、ドラゴンを超える化け物を創ることか」


「ほう、腹に十字剣が刺さっているというのにえらく冷静だな」


 ライオネルは感心したかのように大きく頷いた。


「私が欲するのは力、噛み砕いて言えばだ。命は儚く、死とは切っても離せない。どれだけ強かろうと、人は老いれば衰えいずれ死ぬ。一騎当千の古強者でも、戦場いくさばでは一瞬の油断であっさりと死ぬ。いずれ頂点へと立つであろう雛鳥ひなどりも、巣から飛び立つ前に死ねばそれまでだ。強さという概念は保存が効かず、また大成する保証もない。あまりに不安定なのだ」


 はるか彼方へ遠ざかっていった悠久を懐かしむように、穏やかな口調でライオネルは語る。


「私は死を否定しない。死の間際こそ、人の限界を超える鍵となるからだ。マルグ・エストリア、君がドラゴンを討ったように。だが私が心臓を埋め込まなければ、君は確実に死んでいた。底見えぬ大器を持ちながら、その半分さえも埋めることなく」


「貴様に助けを望んだ憶えなどない……! ましてや大勢の命と引き換えに、エストリア家の人間が生きながらえることを望むと思うか!?」


「ではその大勢の命と引き換えに、私は世界に生きる全ての者を救った……と言えばどうかね?」


「なに……? どういうことだ」


 なぜ街の生き残りと世界の命が結びつくのか。あまりに飛躍した話にスクートは思わず問いを投げかける。


「おっと失礼、さすがに誇張が過ぎた。だがあながち間違いではない」


 さて。その言葉を皮切りに、ライオネルはおもむろに語り始める。


「いまより千年以上も前の時代、ドラゴンという存在は何十年に一度現れるかどうかという、極々稀な存在であった。だが奴らは時代が下るにつれ、次第に数を増していった。その過程で自力でドラゴンを退けられぬ都市や国は滅び、いまではこの国だけでも年に二、三度も襲撃を受けている」


 この意味がわかるかね? ライオネルからの問いかけに、スクートは沈黙を貫いた。


「いずれ来るのだ。世界の終わりが、破滅が! 天空を覆い尽くすほどのドラゴンの群れが、時空のはるか彼方より現れる……!!」


 仮面ごと顔を鷲掴みにし、ライオネルは牢の天井を見上げながら嘆くように慟哭どうこくした。


「そのような狂言、誰が信じるか」


「私は嘘は吐かない。確かに、滅びのときがいつ来るかまではわからない。だがそれが数十年後なのか、数百年後なのか、あるいは千年後なのか。しかし、終末の日は必ず訪れる。だからこそ、我々は備えなければならない」


 なぜこの男は、百年や千年単位で物事を語るのか。


 それもどこか説得力を含蓄させ、終末の日とやらの到来をライオネルはもはや確信を持って言い切っている。


 百年以上後のことなど、およそ人のあずかり知るところではないであろうに。


「だがいまのままでは不十分だ。故にだ、マルグ・エストリア……私はこの大陸を戦火で包む。空をも焦がすほどの大火をもって……な」


 ライオネルは見えざる天に向かって両手を掲げる……まるで神の降臨を拝むかのように。


「きっとそれは想像を絶する困難だろう、しかし戦いは人を成長させ、苦難にあえぐか弱き者どもは神にすがる。その過程でどれほどの強者が生まれ、どれほどの英雄が導き手となるのか。そして屍山血河しざんけつがの先を超え、はるか古の時代のように大陸を正教国で統一し、来るべき終末の日に備えるのだ」


「その手助けを、おれにしろというのか?」


「その通り。君には私のとなって欲しい。あまねく強者との戦いで君はいずれ修羅となるだろう。私の目的であるを完成させ、大陸を終末の日に備え……」


「――――断る」


 スクートはライオネルの誘いを一刀両断した。


「街の民を皆殺しにし、人をさらって得体の知れないものを埋め込むような外道の話など、仮に真実だとしても信じる気にもならん」


「それについてはすまないとは思っているぞ、マルグ・エストリア。私とて、無辜むこの民草を鏖殺おうさつしたことには心を痛めている。だが君はエストリア家の長子、少しでも足がつくような真似をすれば君の父であるが巨剣を携えて殴りこんでくる……いくら私とはいえ、あれの相手は少々面倒だ。それにあれほどの強者を殺すのは惜しい。過程はどうであれ命を拾ったのだ、少しは多目に見て欲しい」


「先に言っただろう、貴様に助けを望んだわけではないと。おれが貴様に従うことなど万が一にもない。ここから出たら、騎士団を率いて貴様らを根絶やしにしてやる!」


「ふふふ、この期に及んで私を脅すつもりか」


 ライオネルの不気味な嘲笑ちょうしょうが、地下牢の中で幾重にも反響する。


「ここから脱出してどうする? 表の世界では君はすでに死んだことになっているのだ、ドラゴンと刺し違え名誉の殉死を果たした誉れ高き聖騎士、とな。だというのに死んでいるはずの存在が何故か生きていて、しかもあろうことか忌むべきドラゴンの血を宿している……はたして君を信じる者はいるだろうか?」


「……!」


 ライオネルの指摘は確信を突いていた。自身の生まれであるエストリア家の人間は事情を話せば信じてくれるかもしれない。


 だがドラゴンは絶対悪だ。竜血をその身に宿す人外をかくまえば、複数の聖騎士団を派遣されてもおかしくない。


 エストリア家が徹底抗戦という戦う道を選べば、どれほどの望まぬ犠牲が出るかは明白だった。


「信じるはずがない、むしろ君は追われる身となるだろう。たとえ他の国へ流れようとも、君の黒い血は呪いとなり枷となる。災厄の血を宿す化け物に、もはや人の世界において居場所などはどこにもないのだ、マルグ・エストリア。おとなしく私に従うのが利巧というものだとは思うが」


「……だがそれでも、おれは貴様に従わない。意思なき心折れた人間など、死んだも同然だ!」


 この男はあまりにも危険すぎる。犠牲になるのが自らの身ひとつで済むのであれば、この場でひたすらに時が流れるのを待てばいい。


 そうすれば、他の誰かが犠牲になることはない。騎士の剣を、罪なき者の血で汚すこともないのだから。

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