第四十一話 回生の一手
ベルングロッサの
「久しぶりだね、フレドー君。紅茶でよかったかね?」
不法侵入を咎めることもなく、ホルスはかつての弟子であるフレドーとの再会を喜んでいた。
「はい師匠、お構いなく。ああ、ナタリアの紅茶には砂糖を多めにお願いします」
「……兄さん、私はもうそんな歳じゃ」
「甘党なのは別に悪いことではないぞ、ナタリア君。さすがにリーシュほどまでいけば問題になるが……娘は紅茶を飲んでいるのか砂糖を飲んでいるのかわからないぐらいの砂糖漬けだ、君からも何か言ってやっておくれ」
兄妹のやりとりを笑いながら、ホルスは紅茶を用意すべく調理場へと歩いていった。
「なんというか、あれだな。お前は裏表が激しいなフレドー。人前ではかしこまったり、戦いでは獣のような闘争本能をむき出しにしたり」
スクートはふと、気付いたらフレドーに質問を投げかけていた。裏表が存在しない堅物から見たフレドーという男は、どこかあべこべな人間に思えたのだろう。
「そうでもないぞ、くだけた物言いをするのはナタリアの他にお前たちくらいなものさ。信頼の証だと受け取ってくれ。七炎守という立場から、人前では演じる必要があるんだよ」
フレドーとの初対面では、自分は剣士殿と呼ばれていたことをスクートは思い出す。あのときは素性が謎に包まれたよそ者、警戒されるのも仕方のないことだったのかもしれない。
「あと俺は年長を敬う主義だ、だから師匠にはいつまでも敬語だ。あの人には世話になりっぱなしだからなぁ」
実力はとうの昔に追い抜かしたというのに、フレドーはいまだホルスを慕っていた。あれほどの強さを持ちながら、フレドーは力に
そんな後ろめたさのないフレドーは、スクートにとっても好感の持てる人物であった。
「それで、事前にふくろうもよこさずにいきなり訪ねてきた理由を聞いてもいいかしら?」
少しだけむっとした顔で、リーシュは本題へと切り込んだ。
「おっと、どうやらリーシュはご立腹のようだ。という訳で後は頼んだぞナタリア」
面倒ごとをナタリアに押し付け、まるで一仕事を終えたかのようにフレドーは椅子に腰かけながら大きく背伸びをした。
「いきなりスクートに会いに行く、なんて言い出したのは兄さんじゃない。まあでもリーシュ……いや、あなた達に伝えるべきことがあったのは事実」
「わたしだけではなくスクートにも? 意外なものね、となると内容は穏やかなものではなさそう」
リーシュの予想にナタリアは小さく頷く。
「ムヴィス一派を瓦解させる手段が見つかった」
謀略を張り巡らせる策士のような顔つきで、ナタリアはそう告げた。予想だにしない答えに、リーシュもスクートも大きく眉尻が上がる。
「へぇ、それは面白そうね。詳しく聞かせてちょうだい」
「もちろん。事の発端は三日前……私達が霧喰らいを討ち倒したという一件ね。あなた達は屋敷から出ていないから知る由もないけれど、いま里は大変な騒ぎになっている」
そこまで言うとナタリアは、袋から取り出したいくつもの巻物を机の上に置く。
「これは? ……ところどころに線が引いてあるけれど」
リーシュは巻物のひとつを手に取り、おもむろに広げた。そこにはどこかで見覚えのある住人たちの名前がずらりと並んでいた。
中でも目に止まったのは、名前を塗りつぶすかのように線が引かれている部分だ。流し見てもそう少なくない数が、随所に散見される。
「牢屋にぶち込まれてるムヴィスの釈放を求める嘆願書さ。霧喰らいが俺達に倒されたという一報が里を駆け巡ったら、こそこそとやってきては取り消してくれという輩が後を絶たないんだよ」
半ば呆れたように、フレドーが肩をすぼめる。
「なるほどね。霧喰らいが倒されたことによって、わたし達の実力が誰の目にも明らかになったということかしら」
リーシュは何をいまさらとでも言いたげな表情で、軽く顎に手をあてた。
ナタリアはともかく、リーシュもフレドーも前々から人間の領域をはるかに超えた逸脱者である。
無論、それは里の民の誰もが理解していた。どこからともなく現れたスクートも、逸脱者の領域に立つ存在だとわかっていた者もいただろう。
だがその力を合わせると、不死の怪物として知られる霧喰らいさえも上回るなどと……そう考えた者は皆無であった。
「凡百では霧喰らいには絶対に勝てない、でも人の形をした兄さんやリーシュならばその気になれば殺れる……ムヴィスらはそう考えていたみたい」
「確かに人と化け物を比べれば、誰でも化け物のほうが脅威と考えるのはある意味自然なことかもしれないな」
それまで沈黙を保っていたスクートが口を開く。相手が人間であれば、雑兵でも数として数えることができる。
だが相手がドラゴンのような怪物であれば、雑兵など一万あろうがないにも等しい。いちという値にすら数えることはできないだろう。
「嘆願を取り下げた連中に志というものはないのかと思うことはあれど、彼らはある意味では利巧。問題は霧喰らいの討伐そのものがでまかせだと風潮する愚か者がいるということ。不死の怪物を殺すことはできないはずだ……とね」
「俺としては霧喰らい討伐の有無なんてどうでもいいんだが、何が何でも否定に走るあいつらを見ていい気分はしない。それに風向きはこちら側になびいてきた、だからなんかいい方法がないかと思っていたらさあ……! ナタリアが今日の朝に妙案を思いついてくれたんだ!」
フレドーとナタリアの視線がスクートへと注がれる。フレドーに至っては獲物を見定めるようなぎらついた、まさに餓えた獣のようなものであった。
「認めないのであれば、認めさせればいい。里の皆を全員集めて、兄さんとスクートの戦いを見せつける。霧喰らいを討った剣士が、どれほど常人の領域からかけ離れているかを……脳に焼き付けるかのように」
「いい勝負になると思うぜ。霧喰らいでは後れをとったが、一対一の剣戟じゃ話が違う。どっちが勝つなんて、やりあわないとわからん。そうだろ、スクート?」
「ああ、おれもお前に簡単に勝つ方法はないと思っている」
ナタリアが示した策の有用性、それはムヴィス一派にとって致命傷になりうるものだということを、リーシュは即座に理解した。
「それでふくろうの使いもよこさず、いきなり来たわけね。でも確かにこれは妙案、何よりもスクートが外の世界から来たというのが一番の決め手ね」
「そう、兄さんとスクートの実力はほぼ拮抗している。どちらが勝とうが、スクートほどの猛者が外の世界にいるという現実を知らしめることができる。この小さな世界の住民は、とにかく刺激に餓えている。……いまだに教会が存在しているという事実も付け加えて言っておけば、外界の共存という奴らのくだらない妄想も一蹴できるはず」
ほんの一瞬だが、ナタリアはスクートに釘を刺すように目元を細めた。
霧喰らいとの戦いの後、里に帰るまでの間にスクートの過去やいきさつをリーシュはフレドーとナタリアに語っていた。
豪胆なフレドーはあまり気にしていない様子だったが、警戒心の強いナタリアは難色を示した。一応は納得したものの、彼女はまだスクートが教会の聖騎士だったということに不穏を感じているようだった。
「里の問題は丸く収まる、俺はスクートと戦える。最高の一手だろう?」
「確かに血は流れないが……結局のところ力で押さえつけているようなものではないか? いまはそれで何とかなっても、いずれまた同じようなことになりかねない」
スクートは外界で生まれ育ったため、様々な国の興亡を学んでいる。力による抑圧は不安定かつ不毛だということを、この四人の中でスクートはもっともよく知るところだろう。
「……リーシュが認めるだけあって、貴方はしっかりと頭が回るみたい。安心して、ムヴィス一派が瓦解したあとのことはちゃんと考えている。炎守以外にも発言権をある程度認めたり、一門や派閥を超えて研究や武術の指南を行えるといったようにね」
「俺の妹はとにかく頭が回る、要は人と人との繋がりを増やして疎外感を減らそうと考えているみたいだ。どうやるのかは知らんがナタリアに任せておけ、こいつはベルングロッサの最高傑作だからな」
ナタリアの答えは的を得ていた。国家ならばそう簡単にはいかないが、ミスティアという小さな共同体ならば住民同士の結束を強めるだけで一定の効果は見えるだろう。
「そうか……いや、考えているならばいい。おれとしてもお前と剣を交えるのは楽しみだからな」
「嬉しいこと言ってくれるねぇ、じゃあ決まりだな! 諸々の準備もあるだろう、開催はいまから一月後でどうだ? 俺も鈍っていたからな、少し鍛えなおす時間が欲しい」
「望むところだ。やるからには負けるつもりはない」
スクートとフレドーは立ち上がり握手を交わす。
「さて、そうなると人を集めるのも労力が必要ね。名が知られて、他の炎守に顔がきいて、里の皆からある程度慕われている……そんな適任者がここにはいるわね」
リーシュの目が怪しく光る。あの顔は何か悪いことを考えているに違いないと、スクートは直感でわかった。
「待たせたね。ほら、紅茶にお菓子だ」
ホルスが湯気が香る紅茶に、焼き菓子を持ってきた。
「話が盛り上がっていて何よりだが、冷めないうちに食べ……リーシュ、なんだねその、なんというか含みのある笑みは」
「お父様、頼みたいことがあるの」
――――それから試合開催までの一か月間、ホルスに安息の日はなかった。
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