第四十八話 怨嗟は廻る②


「姉も、兄も、利口すぎた! 親の誤りを認め、仇であるはずのフレドーにこうべを垂れた……オレにとって、それは殺す理由となるには十分すぎた!」


 ナタリアは絶句した。言葉が出なかった。野心のためでもなく、親の仇を討つために実の姉と兄を殺すなど……脳が理解を拒んだ。


「こんな馬鹿みたいに目立つ赤い服を着て、ありもしない自由に憧れた間抜けどもをそそのかして、その結果がこれか!? なぜこうもうまくいかない、恥も外聞も、何もかもなげうったというのに!?」


「……仮に復讐をなした後、お前はこのミスティアをどうしたかった?」


 ナタリアは錯乱したムヴィスに問いを投げかける。そしてその数秒後、すぐにナタリアは後悔することになる。


「その後? その後のことなど知らん、自由に焦がれた馬鹿どもの手綱を握り切れなくなり、暴走してミスティアが滅ぼうが、オレは知ったこっちゃない! お前らを殺す、その目的さえ達せられれば……何がどうなろうがどうでもいい!」


「信じられない、私達はいままで……こんな奴に悩まされていたというの……?」


 まだ野心のためだと言われれば、ムヴィスの行動には一応の納得はできた。外界に憧れ、自由を求める人々の代弁者というのも、理解できなくはなかった。


 だがまさか。奇人を演じるムヴィスの正体は、復讐と破滅願望に囚われた狂人であった。


「怨恨で行動して何が悪い? 自分がそうでないと言い切れるのか?」


「開き直るな! 私は、先の内乱のような血で血を洗うような争いを、もう二度と起こさせないためにここに立っている。お前とは、何かもが違う。覚悟も、信念も!」


「違う? いいや、違わない。お前も、オレも、同じだ」


「……どういうこと?」


 ひたすらに前を目指すナタリアの決意を、だがムヴィスはあざけ笑う。


「ああ、そうだ。お前たちの勝利を祝福して、ひとつ面白いことを教えてやろう」


 愚か者の醜い笑み……普段であればそよ風にも等しい、もはや見飽きて何の感情も湧かないだろうはずのそれに――――どうしてか、ナタリアは背筋が凍りつくような悪寒に襲われた。


 願わくば、いますぐにでもムヴィスの口を縫い付けてしまいたい。そう思うほどに、次の言葉が、愚か者の唇が揺れるのが、怖かった。


 だがそんな思いも虚しく、とうとうムヴィスは口を開く。


「お前らの両親を殺したのは……このオレだ」


「――――っ!!?」


 事実という剣を振り下ろすかのように、ムヴィスは言い放つ。


 ナタリアの頭は一瞬、真っ白になったが……次の瞬間には煮えたぎる血が駆け巡り、視界さえ真っ赤に染まりそうなほどの怒りと恨みが、どこからともなく吹き荒れた。


「ハハハ! やはり、知らなかったようだなぁ!? それもそうだ、死体は喋らない。愚かなお前の兄が、どいつもこいつも有無を言わさず斬り殺してしまったからなぁ……オレに暗殺を命じた奴らもまとめて。まあもっとも、そのおかげでオレは今日まで生きてこれたんだがなぁ!」


 ムヴィスの熾烈しれつな追い打ちは続く。親の仇に兄さえも侮辱され、もはやナタリアの我慢は限界を通り越す。


「お前は、お前には……人の心がないのか。残された者の痛みを知っていながら、なぜそうも、さらなる犠牲者をつくろうとする……!?」


「簡単なことだ! オレから言わせれば、お前たちなど言葉をかいす肉のようなものだ!! お前はまさか、肉に憐れむことができるのか!?」


「……よく、わかった」


 歯を噛み締め、恨みと怒りがぐちゃぐちゃに入り混じった目で、ナタリアはムヴィスを睨みつける。


「お前は、人間じゃない。化け物だ」


 善良な両親は死に、なぜこんな傍若無人な男がのうのうと生き延びているのだろうか。


 そう考えれば考えるほど、自分の理性が殺意に飲み込まれていくのをナタリアは感じる。


 ムヴィス一派の瓦解は避けられないであろういま、大勢は決した。もはやこの男には殺す価値もない。これまで積み上げてきたものを無下にしてまで、これから築き上げる未来を投げ捨ててまで、兄が悔いた殺しなど、ほんの僅かな利さえない。


 そんな冷静さを取り戻そうとする苦悩をあざけ笑うかのように、杖を握る手はひとりでに動き出す。


 まるで他人のものへとすり替わったかのように震える手は……ついにムヴィスへと杖先を向けた、その瞬間――――。


「そうだ、その顔だ! 整ったすまし顔が醜く歪むそのさまを、オレはずっと見たかったあ!」


 半狂乱めいた叫びと共に、ムヴィスは机の上にある食事用のナイフをかっさらうと、ナタリアめがけて突進した。


「うっ!? まさか走れるなんて――――」


 壊れかけの人形のようなぎこちない足取りで迫りくるムヴィスに、ナタリアは一瞬たじろぐが、すぐに冷静さを取り戻す。


「舐めるな……いったい何年、近くで兄さんの剣を見てきたと思っている!」


 ムヴィスがナイフを突き出した瞬間、ナタリアは魔女とは思えない足さばきで横へと飛ぶと、剣のように持ち変えた杖をムヴィスの右手に向かってすくい上げた。


「ぐおおっ!?」


 それはおよそ素人とは思えぬ、迷いなき一撃だった。


 ムヴィスの悲鳴と共にナイフは宙を舞い、凶刃は鈍い光を弾きながら闘技の場へと落ちていく。


「魔法はおろか、ろくに剣も振ったこともなさそうな小娘に、オレは後れを取るのか。まったく……この世は不平等だ。オレには何もないが、お前にはありすぎる」


 世界への呪詛を口ずさむムヴィス……だがその顔には、吐き出した言葉とは裏腹に、醜い笑みが浮かんでいた。


 そして彼はナタリアを振り返ることもせず走り抜け、先にある数段の階段を登り――――ナタリアが演説するはずだった壇上へと、その姿をあらわす。


 観衆はどよめいた。ナタリアが一向に姿を見せないとざわついていたところ、ようやく現れたのが、なぜかムヴィスなのだから。


「いい場所だぁ……これ以上ないほどに、ふさわしい」


 ムヴィスは壇上より闘技場を一瞥すると、どこか恍惚とした言葉をこぼす。


「なにを、ふざけている!」


 そんな狂人の戯言をナタリアは聞き流し、鬼気迫る顔持ちで杖の先端を再びムヴィスに突きつけた、そのときだった。


「さあ、殺せ! いまさら逃げも隠れもしない! そして証明しろ、お前もオレと同じ……そして兄と同じ、復讐者だということを!!」


「――――っ!?」


 ムヴィスは演者のように颯爽と振り返ると、両の手を広げ、ナタリアに胸を差し出した。


「オレはお前らの親を殺し、お前の兄はオレの親を殺した。そしていま、オレはお前を殺そうとした……ならば次はお前の番だ、ナタリア。殺してみせろ、このムヴィスを!!」


 誰にも聞こえるほどのよく通る声量で、ムヴィスはまるで劇の一幕かのように立ち振る舞う。


「オレのことを化け物と言っていたな? 光栄なことだ、リーシュにフレドー、どこの馬の骨かもしらんスクートとかいうよそ者! オレはめでたく、そいつらの仲間入りということだ!」


「ふざ……けるな。兄さんも、リーシュも……スクートも、お前とは違う――――人間だ!」


 ムヴィスへと突きつけられた杖先は、ナタリアの激しい怒りと共に烈火の炎を滾らせる。


 直撃すれば瞬く間に黒焦げた塊になるだろう。しかしムヴィスは恐怖という感情を忘れたかのように、嬉々として口角をさらに釣り上げた。


 人を堕落へと誘う悪魔のようなムヴィスの笑み。あまりの不気味さに、僅かに残っていたナタリアの理性が警鐘を鳴らした。


 それによりムヴィスという仇敵しか映っていなかったナタリアの視界は、うっすらとだがひらける。


 事の次第を飲み込めぬ闘技場にいる誰しもが、ナタリアとムヴィスを見張っていた。ふと目線を下げれば、何かを訴えかけようと悲痛な顔をした兄がナタリアの目に飛び込んでくる。


「どうした? なにを戸惑う必要がある?」


 ムヴィスの問いかけに、ナタリアはようやく彼の目的を理解した。


 ――――大衆の面前で、新たに七炎守となった少女の手を汚させる。


 かつての殺しを憂い、血のけがれを知らぬ妹へ七炎守の座と未来を託した兄フレドーの思い。


 ミスティアに蔓延はびこる行き場のない恨みや不満、それらを全て飲み込み、無垢なる手をもって未来を拓かんとするナタリアの思い。


 いまここでナタリアが燃え盛る激情に身を任せれば、その手は穢れ、未来を語る資格もまた消え失せる。ムヴィスの死が、ミスティアにさらなる内乱を呼び込む可能性さえあるだろう。


 敗北を悟ったムヴィスは、己の命を対価に最後の復讐を、そしてナタリアが自身と同じ歪んだ復讐者であるという狂った証明をなそうとしているのだ。


「悪いけど、お前の見え透いた策には――――」


 怒りと恨みを糧にして燃え狂う、杖の先の業火。だが唇を噛みちぎりそうなほどの悔しさを押し殺し、ナタリアが魔法の行使を解こうした、その瞬間。


「お前の両親は、実に無警戒なマヌケだった!!」


 ムヴィスのその一言は、ナタリアに残る僅かな理性を溶かすには、あまりに十分すぎた。


「まさか命を狙われるなどとは、露ほどにも思っていなかったんだろう! だが奴らは幸運なことに苦しんで死んだわけではない、むしろ幸せを感じながら逝ったことだろう……お前への贈り物を作っていたのだから!!」


 ムヴィスは人の心を弄ぶことだけには長けていた。ナタリアが冷静さを取り戻した矢先、彼は一瞬の迷いもなく切り札をきった。


「もう、喋るな。もう……やめて」


 ナタリアの意志とは逆に、杖先の火球はみるみる内に膨れ上がる。一秒にも満たない間に、それは大人ひとりを飲み込みそうなほどの怒れる巨炎となった。


 両親が死んだ次の日が、いったい何の日であるかなど……忘れるはずがない。


 ふいにナタリアの頬より、ほろりと零れ落ちた水滴が、熱に当てられ音もなく消え失せた。


「最後に聞いた言葉はなんだったか……ああ、そうだ。『娘は次で十四歳か。もう年頃だ、きっとこの香水を喜んでくれるだろう』――――だったかなぁ?」


 ムヴィスのあまりに心無い言葉はナタリアの耳朶じだをうち、鼓膜を貫いて彼女の脳内を乱反射する。


 ナタリアの僅かな理性を繋いでいた細い糸は、ついに切れた。

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