第十一話 独白
「うん、なかなか似合うじゃない。ぼろを纏ったスクートより、いまのあなたの方が断然いいわ」
手を合わせ上機嫌なリーシュに対し、スクートの表情はどこか不機嫌そうに口角を下げている。
本当に不機嫌かと問われればそうではなく、どちらかというと彼は困惑していたのだ。
「おれはこれから、これを着て生活しなければならないのか――――」
スクートがもはや日課となっていた早朝の素振りをしていると、何やら慌ただしい様子でリーシュが駆け込んできたのだ。
そして有無を言わさず屋敷へ連れ込まれたスクートを待っていたのは、いまさっき届けられたばかりだという従者の礼装であった。
いつの間にかリーシュが注文していたらしい。
黒を基調とし、胸元にはクロスフォードの家証である三日月にも似た文様が
外の世界でもそれなりに値が張りそうな一品であり、飾り気は少ないものの洗練された美しさを醸し出している。
それでいて職人の見事な技が成されているためか、かしこまった礼装であるというのに動きやすい。
さらに驚くべきは、重さという概念が消失したかと錯覚するほどに軽い。自身が本当に服を着ているのかと不安になるほどだ。
これも魔法がもたらしたミスティアの技術なのだろうか。
偶然拾われた身で、これほどの物をいきなり与えられては誰もが困惑するだろう。しかしスクートの心配の種は、もっと別のところにあった。
「人は相応の恰好をすべきだ。おれのような者が着れば、すぐに汚れるぞ。剣を振れば土ぼこりが舞い、血を流せば黒に染まる。おれには……ぼろが丁度いい」
「人は相応の恰好をすべき、ね。私もスクートのその考えには賛成よ。だからこそ、わたしはこの礼装を与えたの。黒色ならば、汚れも黒血も目立たないはずよ。あなたはミスティアで指折りの名家でもあるクロスフォード家の従者、それも他でもない、このわたしのね」
スクートにはリーシュの考えていることがまるで分からなかった。
魔法を使えるがため、はるか昔に追われ逃げ、外の世界と完全に関わりを断って生きてきた末裔が……どうして死に瀕していた外界の者をわざわざ拾い、あまつさえ身の警護を任せる気になるのか。
そしてなぜ、これほどまでに手厚く接してくれるのかだろうか。
「……何よりこの格好は落ち着かない。硬い革の窮屈さ、鉄板の無機質な冷たさが足りない。常に戦場へ身を置いていた戦士として、この格好はどうも不安だ。従者という存在があるだけにここは物騒なのだろう? ならば日頃より臨んで準備をしておいたほうがいい」
リーシュの好意を受け取るたびに、スクートの心の中の罪悪感は増していく。
そしてスクートの口は、理由を探すようにひとりでに動く。
押し寄せる罪悪感より、少しでも逃れようと。
「困ったわね。スクートほどの剣士であれば、より速く動けたほうがいいと思ったのだけれど」
「あえて敵の攻撃を受け、反撃に転ずるという戦い方もある。だが速さを極めた剣士ならば、お前の考えは正しい」
「速さを極めた剣士、ね……。わかった、いま聞いた要望を踏まえて仕立て直しておきましょう。それまではいまの礼装で我慢して欲しいわ」
「……」
手間暇かけて用意したであろう一品を否定するスクートの失礼な言動にも、リーシュは眉ひとつ動かすことはなかった。
それどころか過ぎた要望さえも承諾してしまったリーシュが、スクートの目からはあまりにも奇妙に映った。
「分からない」
疑念はついに声となり、スクートの喉より発せられた。
「おれとて物事の道理や教養を多少は身に着けている。居場所を与えた拾い者が、不満を言い不相応な要求までしたのだぞ。お前には怒りの感情がないのか? 声のひとつぐらい荒げようとは思わないのか?」
「思わない。他愛のない要求くらいは二つ返事で聞き入れるほうが、互いのためになる。そう思っているだけよ。無理やり抑圧しようとなんて微塵も考えていない」
「なぜだ?」
「……いいわ。どうせ隠すつもりもないしね。少し前にあなたは自身の秘密や過去を語ってくれた。そのお返しというわけではないけど、スクートの疑問の全てを晴らしてあげる」
含みのある物言いの後、短く頷くとリーシュは胸に手を当てて自身の思いを吐露し始めた。
「わたしは外の世界を見たことがないわ。でも存在は知っている。何百年、あるいは何千年も手付かずだった古書の
リーシュは想像の世界に思いを
「どこまでも広がるなだらかな平原に、天にまで届くという
それだけならば、まだよかったのに。間を置いてリーシュは言葉を継ぐ。
「知りたい、見たい、感じたい。でも運命が、クロスフォードの血が許さなかった。他者が一生努力しても到達できない境地を、血は生まれ持って授ける。他者が
自由奔放で他人を煙に巻くことに何ら抵抗のない、白肌の魔女リーシュ。
その独白は、望まずしてあまりに身に余る力と過酷な運命を課せられた、ひとりの少女の嘆きであった。
「……短命とは、どれぐらいだ」
リーシュの独白の中で最も気にかかった問いを、スクートは投げかけた。
「常人の半分にも満たないわ。何事もなく健康に過ごすことができて、余生は十年と少しといったところかしら」
あまりにも重い言葉が、スクートのひびだらけの心を揺れ動かす。リーシュの年齢は十六だとホルスに聞かされていた。
であれば彼女はすでに人生の折り返し地点を過ぎている。目の前の白肌の魔女は、三十まで生きれるという保証さえないのだから。
「ホルス殿がお前を屋敷に閉じ込めようとするのは、あながち過保護すぎるという訳ではないようだな」
「そうね。万物を遮断する白霧も、蒼天の陽光までは完全とはいかないの。だからお父様は、薄暗い曇りの日と雨の日しか外出を許そうとしない。そして一番大事な要因というのが、ここ最近のミスティアはえらく物騒だということ。わたしの命を狙っている者さえいるぐらいよ」
憮然と呟くリーシュではあったが、対して表情にはどこか憤りが見え隠れしていた。
リーシュの母は娘を生んですぐに病死したという。リーシュの父ホルスはクロスフォード家に婿入りした、元を辿れば無名に近い家柄の出身である。
両親がどのような
「わたしは膨大な魔力を持っているけど、身体はただの少女そのもの。短剣で胸を深々と刺されるだけで簡単に死ぬでしょうね。だから父は身の回りを警護する従者をつけるよう毎日のように願っていたわ。いくら強くても、目はふたつしかないからね」
クロスフォード血を受け継ぐ存在は、いまやこのミスティアにリーシュしかいないのだ。彼女が不幸にも死ねば血は途絶える。
それだけは避けようと、ホルスは断腸の思いで娘の自由を拘束することを選んだのだ。
「わたしはあなたに出会うまで、従者を誰一人とらなかった。ひとりでいるほうが気が楽なのよ、ただでさえ里の人間はわたしを恐れている。そんな人を従者にするなんて、退屈だしつまらない」
だが正しいことを頭で理解しながらも、心地よく受け入れられぬのが人間の性でもある。
自身を取り巻く運命と求める自由に揺り動かされてなお、リーシュは従者をとることを良しとしなかった。
「でもある日の昼下がりに、わたしはようやく興味をそそられる者に出会った」
「それがおれというわけか」
「ええ、そうよ」
ミスティア周囲にある「惑いの森」で死にかけていた、黒い血を流す人かどうかも分からぬ者を、リーシュは自分だけの一存で己の従者にした。
里の常識で考えれば狂人の奇行である。
ミスティアの住民からはこれまで以上に白い目で見られるだろう。リーシュ自身も狂っていることは承知で行動した。
しかし狂行は思わぬ方向へ転がりだした。まさかスクートが父を圧倒するほどの剣技を持っているとは露ほどにも思っていなかった。
さらにあの父がスクートを認め、正式に従者として認めたなど今でも信じがたい事実であった。
これはリーシュにとって、以前より遥かに自由の裁量を委ねられたことになる。
不届きものに害されるという危険がなくなったいま、無謀な外出で身を焦がさない限り、クロスフォードの血が絶える心配がなくなったことを意味しているのだから。
「スクートほどわたしの身の回りを任せられる人間はいないし、それにわたしを楽しませてくれる。何よりもあなたは……わたしのことを化け物ではなく、人として接してくれる。わがままなお眼鏡に叶った、言わば理想の従者なの」
「そう、か」
送られた賛辞に対し、スクートの顔は暗く後ろめたい表情をしていた。
「賞賛を送ったつもりだったのだけれど、つれない顔をしているわね。……ああ、そうだ。たしかに、ずっと屋敷に閉じこもっていると気が
「何か自分に都合のいいように解釈していないか?」
スクートの問いに、白肌の魔女はにやりと笑う。
「今日の天気は幸運にも曇り。空気中の
だから、わたしがミスティアを案内してあげる――――。
こうしてリーシュはスクートという得難い従者を連れて、数か月ぶりにミスティアの民が大多数住む中央へと足を運んだのであった。
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