第八話 降って湧いた試練


「降りかかる火の粉は、払うだけだ」


 スクートもまた、ホルスを迎い討たんと突撃する。


 十字剣の長さは一般的な剣のおよそ二倍。刃が太く重厚感溢れる見た目から察するに、材質が同じであれば重さは四倍以上にもなるだろう。


 尋常な人間にとっては、剣と言うよりかはただの鉄の塊とでも表現すべきかもしれない。


 ホルスがしょうした通り、人間を相手どるにはあまりにも大げさである。


 だがスクートは剣の重みなど、なんの枷にもならないような軽やかさで、ホルスの眼前へあっという間に迫り寄せる。


 そしてあたかもただの剣を振るうかのような速度で、スクートは十字剣を軽々と横に薙いだ。それに応えるようにホルスも斬撃を繰り出す。


 まず一合。黒閃と銀閃が交差し、森の間を再び激しい刃鳴りが駆け巡る。


「……ぐっ!?」


 耳を突くような余韻よいんの中、ホルスは思わずうめき声を漏らす。たった一度刃を合わせただけで、信じられない程の衝撃が痺れとなり剣の持ち手を襲ったのだ。


 力勝負では話にならないとホルスは悟った。


 だがあれほどの長物である、いかなる膂力りょりょくを持ってしても取り回しの悪さまでは覆しがたいはず。


 懐に潜り込めば分は自身にある。いままで相対したことのない大剣の弱点を、ホルスは一瞬にして看破して見せた。


 ホルスは戦い方を変えた。


 スクートの十字剣は大きいがゆえに大振りするしかない。身体の動きと剣の軌道を予測すれば、身のこなしと最低限の防御で凌げると判断したのだ。


 そして隙が生じれば、容赦なく付け込み猛攻を叩き込む。


 ホルスの戦法は正しい。そう、それは相手がまともであれば。


 二合、三合、四合――――。続く八合に至るまで、ホルスは剣で攻撃を、ただただいなすしかなかった。


 身を躱そうにも、絶え間なく続く斬撃の嵐は的確にホルスを捉えていた。


 完全に躱したと思っても、十字剣は振り抜く途中で軌道を変え襲い来る。これでは攻撃に転じるどころか、ひたすらに防戦一方であった。


 外の世界には、これほどの猛者がいるのか。ホルスは信じられなかった。夢でも見ているのかとさえ思った。


 自身は老いたが、それでもまだ里で二番目の剣士であるという自負がホルスにはあった。


 その自身を相手に戦い、完璧に動きを読み切って不可解なほど的確な斬撃を叩き込んでくるこの灰髪の異邦者は、いったい何者か――――。


 もはやホルスの手の感覚は、雷に打たれたかのような痺れと痛みによって失われていた。


 それでも迫る九合目は意地で耐え凌ぐ。だがついに、十合目で剣を宙へ弾き飛ばされてしまった。


 いままでよりも一際激しい刃音が、引き延ばされたかのように間延びする。


 それが鳴り止むころにようやく、宙でくるくると幾重にも綺麗な弧を描き続けたホルスの剣が、大地という鞘に収まった。


 ホルスは確かに、常人の限界にまで上り詰めた剣士であった。


 だがスクートの剣技は、そのはるか上の高みにまで達していたのだ。


「ぜぇ、ぜぇ……。ま、参った。私の、完敗だ」


 ホルスは両の手を上げ降参の意を示す。


 たったの十合、時間にして二十秒にも満たない。


 だがホルスは疲弊しきっていた。


 額からは汗が吹き出し、息は上がり、剣を持っていた右手は完全に脱力してしまってもはや言う事を聞きそうにない。


 対するスクートは息を切らすどころか、何事もなかったかのように平然としている。鉄仮面のような顔には水滴の一粒もありはしなかった。


 実力を図ろうなどと考えたのが、あまりにおこがましいことであったとホルスは痛感せざるを得なかった。


 ホルスは死力の限りを尽くしたはずだが、スクートにとっては児戯じぎに等しいと言っても過言ではない。両者には、それだけの差があったのだ。


「……リーシュはあなたにとって、目に入れても痛くない愛娘だと聞いていました。それなのにどうしてこのような凶行に及んだのか、理由をお聞かせ願いたい」


 スクートはホルスに釈明を求めた。ホルスは何度か深く呼吸し息を整えると、自身の胸の内を語りだした。


「君を試そうと思った。従者は主たる魔女を命を賭して守る覚悟と実力が必要だ。君は私が放った最初の一撃を見事防いでみせた。本当にリーシュを守ろうと心がけていなければ、あれほど咄嗟に行動することは困難だろう」


「……おれを試したのは分かりました。ですが、それならば後に剣を何度も交える必要はなかったのでは?」


 図星を指されたホルスは思わず苦笑した。


「ただ君の実力を知りたいと思っただけのこと。もっとも、私よりも君は遥かに強いということしか分からなかったがね……。さらに言うのであれば剣士の端くれとして、君がその大きな剣でどう戦うのかが気になってね。だってそうだろう、このミスティアには同じような……君にとっては取るに足らんようなただの剣しかないのだからな」


 ホルスは現役の血が騒いだとは口が裂けても言えなかった。意気揚々と啖呵たんかを切って挑んだ挙句、赤子の手を捻るがごとく一蹴されたのだ。


 剣速から洞察力に至るすべてにおいて、スクートはホルスの想像を何倍も上回っていた。


 ホルスは自身の目がすっかり曇っていたことを認めざるを得なかった。


「だからといってあんな真似をするなんて、酷いわねお父様。さすがの私も驚いたわ。他に方法はなかったのかしら」


 これまでいきさつを見守っていたリーシュが不満げに口をとがらせた。いきなり父に生命を脅かされるとは、リーシュもつゆほども思っていなかったようである。


 そしてその凶行を「驚いた」だけで済ませる彼女もいささか異様だ。まともであれば怒り激高するか、傷心のあまり泣きじゃくるだろう。


 器が広く寛大なのか、相当に肝が据わっているのか。


 それとも、初めからスクートを信じていたのか。


「お前に返す言葉は何も見つからないよ、リーシュ。本当にすまなかった。スクート君も、いきなり君を試すような真似をして申し訳ない。だが不器用な私には、これ以外の方法がないと思ったのだ……」


 背負っていた重荷がなくなったのか、ホルスのしわが薄くなり、表情は穏やかなものへ変わった。


「私は別にかまわないわ、こうして傷のひとつも負うことはなかったからね。スクートもいいでしょう?」


 問われたスクートは無言で頷いた。


「スクート君、君を正式にリーシュの従者として認めよう。君は今日から我が家の一員だ、よってクロスフォードの性を名乗ることを許す」


 そしてどうか、飄々ひょうひょうと辺りに煙を巻き散らす自分勝手なリーシュをよろしく頼む。ホルスはそう付け加えると、深々とスクートに礼をした。


「ふふふ、やったわねスクート!」


 父からの悪評を聞き流し、リーシュは白華が芽吹くかのような満面の笑みを浮かべた。


「そうと決まれば本格的に準備をしないとね。まずはわたしの従者にふさわしい礼装を作らせないと、いまの恰好で里を出歩くのは見てくれが悪い。後は里の皆に知らしめる必要があるわね、まあこれはフレドーに頼めばすぐに済みそう。それに――――」


「……ああ、わかった。とりあえず、お前に任せる」


 かねてより計画していたであろう段取りを口早に並べだす彼女に対し、スクートはなすすべもなく白旗をあげた。


「スクートがここに来て、さっそくこんなに面白いことが起こったわ。まさかお父様をあんなに簡単にあしらってしまうなんて」


「そんなに面白かったか?」


「ええ、とってもね。でも明日からはもっと面白いことになりそう。何色でもいい、真っ白な私の日常に彩りを与えてちょうだい。それがスクートが果たすべき唯一の義務よ」


「お前の護衛とやらはいいのか? 身の回りの世話も従者の義務ではなかったのか?」


 問われたリーシュはきょとんとした表情になるが、次の瞬間には愚問と言わんばかりのしたり顔になっていた。


「スクートなら命じなくてもやってくれるでしょう?」


 自身よりも四つ歳の小さい白肌の少女は、スクートの性格も見通すかのように言ってのけた。


 スクートは思わず、ほんの僅かに微笑した。それは彼がミスティアに訪れて初めて、リーシュに見せた笑みであった。


「やっぱり、思ったとおり。見てくれはいいのだから、スクートはもっと笑ったほうがいいわ」


「いまのは忘れろ。おれに笑みをこぼす資格などない」


「じゃあ義務をひとつ追加するわ。一日一回、必ず笑うこと。いい?」


「……善処する。まったく、お前にはどうもかないそうにないな」


 スクートとリーシュが話に花を咲かせている光景を、ホルスは感慨深く見守っていた。


 互いの性格は真逆と言ってもいいほどにかけ離れているが、かえって良い組み合わせかもしれない。根拠のない不思議な感であるが、ホルスはそう思った。


 スクートとの戦いの末、弾き飛ばされてしまった自身の愛剣を回収しようとホルスは歩みを進める。


 そして絶句した。


 打ち合った回数はたった十回。だというのに地面に突き刺さっている剣の刀身は、荒れ狂う嵐でも過ぎ去ったのかと錯覚するほどに見るも無残な姿であった。


 スクートの十字剣と刃を交えた全ての箇所には酷い刃こぼれが残されていたのだ。


 まるで斧を同じ場所に何度も何度も重ねて打ち込んだかのような、凶暴かつ荒々しい爪痕が。


 あの者はいったい――――。


 なおさらスクートの素性への疑念は深まる。だがそれよりも、ようやくリーシュに従者ができたことへの安堵あんどが上回った。


 リーシュはスクートを信じた。ホルス自身は試練を課し、スクートはそれを容易たやすく乗り越えた。


 ならば、自身も彼を信じるしかない。素性を問うのは、しばらくして落ち着いてからでもよいだろう。


 ホルスは地面に突き刺さった剣を引き抜くと、腰に差した鞘へと納めた。

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