第11話 視察の誘い
………気まずい。
昨日の記憶がないだけに、かなり気まずい。
シャルル様と二人きりではないだけマシかと思いきや……生温かい視線を向けてくるカージナス様と、側に控えるアレン様の存在が、私の胃をキリキリと絞め上げてくるようだった。
ミレーヌによって、強引に連れて来られた部屋の中には、既にカージナス様達が到着していた。
「カージナス様。シャルル様。アレン様。……昨夜は、私事で大変なご迷惑をおかけ致しまして、誠に申し訳ございませんでした」
私は開口一番に、三人に向かって頭を下げた。
因みに、ミレーヌには既に謝罪済である。
「いや、気にするな」
「お気になさらないでください」
「……大丈夫ですか?」
カージナス様は含みのある笑みを浮かべながら、ヒラヒラと手を振り、アレン様は護衛らしい爽やかな笑顔で、謝罪を受け入れてくれたが……。
私を気遣うような言葉をくれたのに、シャルル様は私と目を合わせようとはしなかった。
「はい。私のような者にお気遣いくださり、ありがとうございます」
悲しいことだが、仕方ない。
記憶をなくすような酔っ払い令嬢なんて、はしたなくて、みっともない。
毒にしかならない令嬢なんて、私がシャルル様の立場でも、関わりたくないと思う。
食事の音だけが響くという気まずい空気の中、カージナス様が話し掛けてきた。
「あー、そうだ。ローズに話があるんだ」
――そういえば、そんなことをミレーヌが言っていた。
「私に、ですか?」
「そう」
首を傾げる私に向かって、カージナス様は、首を縦に振りながら長い脚を組んだ。
「明後日、私の視察への同行をお願いしたいんだ」
「それは、私でないと駄目なのですか?」
「残念ながら、ミレーヌはその日に用事があってね。だから、代わりにローズに頼みたいんだ」
チラリと隣に座るミレーヌを見ると『ごめん』と、拝むように手を合わせていた。
……ミレーヌが無理ならば仕方がない。
ミレーヌと婚約したいと思っているカージナス様が、アイリス様やミランダ様に代理を頼むわけにもいかないだろう。
そうなれば必然的に、その気のない二番目候補の出番になる。
カージナス様の横に並ぶのは不本意でしかないが、
「
微笑みもせずに答える。
敢えて堅苦しい言葉を選んだのは、これが私に与えられた仕事であるのだと、示すためだった。
決して、喜んで引き受けたのではないのだ、と。
けれど、未熟な私なんかよりも、ずっとずっと上には、腹黒王子がいるわけで……。
「ローズに同行して欲しいのは、ワイナリーの視察なんだ」
「どちらのワイナリーですか!?視察ということは、試飲もありますか!?」
好物を目の前に吊り下げられた私は、澄まし顔も仕事だということも、昨夜、お酒で失敗したばかりだということも、何もかもを忘れて、気付けば腹黒王子に詰め寄っていた。
「カージナス様、出来たてのワインの試飲とかできますか?出来たてワインを頂くことが、私の一番の夢なのです!」
出来たてのワインは、未熟成のために美味しくないと聞くが、ワイナリーでなければ飲めないために幻とも言われていたりする。
男性ならまだしも、領地にワイナリーのない令嬢が、ワイナリーに行ける機会なんて、ほとんどない。そのために諦めかけていたけど、こんな機会が巡ってくるなんて思いもよらなかった。
ミレーヌは、ご機嫌になった私を抱き締めると、頭を撫で始めた。
「そんなに喜んでもらえるなんて、私も嬉しいよ。ローズの一番の夢なら、是が非でも、叶えてあげないといけないな」
「ありがとうございます!!」
えへへと笑うと、今度は私のこめかみに頬擦りを始めた。
「場所は、警備とか諸々の事情で秘密だけど、とても良い所だから楽しみにしておいで」
「はい」
「気に入ったのが、お土産にするから遠慮なく言って?」
何の含みのないカージナス様の笑顔を、生で見るのは初めてかもしれない。
胡散臭い笑顔がデフォルトなので、不思議な気分になる。
「いえ。それは結構です」
だからこそ、私は即答した。
今の流れで断るとは思っていなかったのか、シャルル様を含めた全員が、驚いたような顔をしている。
「お小遣いは父から貰っていますので、お気遣いなく」
いやいやいや。人の親切には裏がある。
親しい間柄ならともかく、誘ってきているのは腹黒王子なのだ。
含みがあろうが、なかろうが避けるに限る。
『エルサームの泡』という、賄賂の清算が終了していない今、新たな負債は避けるに越したことはない。
清算しきれずに、一生奴隷扱いとか勘弁だ。
「あらあら、遠慮せずに買って貰えば良いじゃない。何も金銀財宝を山ほどお願いするわけでもないのだから」
「ミレーヌなら構わないだろうけど、私は流石にそこまで甘えられないわ」
「ローズ、遠慮しなくて良いぞ。無理なお願いをしているのは、こちらの方なのだから」
純粋なミレーヌに、腹黒の悪魔が乗っかってきた。
二人共、家格が上なだけに厄介だ。
意地を張って、断り過ぎるのも不敬になる。
『気に入ったものがあった時は、お願いします』
……落とし所にするには、この辺りだろうか。
これならば、必ずしも買ってもらう必要はないのだから。
「あの、では――」
「私が払います」
私の声に被せるようにして、今まで黙っていたシャルル様が言い切った。
「……え?」
私は混乱していた。
シャルル様は『私が払います』と言ってくれたけど、頼み事をしてきたカージナス様やミレーヌならまだしも、シャルル様が買ってくれる理由がない。
「結構です。オルフォード様に、買って頂く理由がありません」
そもそも私は、自分で買えると言っている。
ワイナリーごと買うわけでなく、一、二本買うだけである。
更に言えば、自分で払ったかといって、私の懐が寒くなったりもしない。
我が家では、毎月ワイン代が予算に組み込まれており、領収書さえあれば、私でも経費として払い戻ししてもらえるのだ。
自分の大好きな物が経費で買えるとか最高すぎる。
「理由が必要ならば……あなたの心を沢山傷付けてしまった、お詫びということにして下さい!」
「……オルフォード様」
今日初めて目が合ったシャルルは、深々と頭を下げた。
「私は別にお詫びが必要とは思っていません……」
傷付いていなかったとは言わないが、仕方のないことだ。正しいのはシャルル様で、悪いのは悪役令嬢の私だから。
「ローズ、君の気持ちはわからなくもないが、男のちっぽけなプライドを満たすために、シャルルの言う通りに、させてやってくれないだろうか?」
私もシャルル様も譲らず、平行線になるかと思いきや、急にカージナス様がシャルル様の援護をしだした。
「ええ、シャルル様に払っていただくのが一番だわ」
「私からも頼むよ。ステファニー嬢。部下の顔を立ててやって欲しい」
しかも、カージナス様に続いて、ミレーヌやアレン様までも、だ。
ここまで皆に言わせてしまったら、私にはもう成す術もない。
「分かりました。シャルル様のお心遣いを、有り難く受け入れさせていただきます」
「ありがとうございます!ローズ嬢」
「いえ、こちらこそ、ありがとうございます」
渋々ではあったものの、了承すると、強張っていたシャルル様の顔が、ホッと安心したかのように緩んだ。
――この時の私には、シャルル様の表情の意味なんて知る由もなかった。
****
「羨ましいか?」
「……それは何に対して、ですか?」
「質問に質問で返すなよ。無粋な奴だな」
カージナスはクスクス笑った。
「お前、ローズにそんな質問したそうじゃないか」
「…………」
「なあ、今すぐにでもローズを婚約者候補から解放するって言ったら……シャルル、お前はどうする?」
「それは――」
「できない相談だけどな……って、そんな怖い顔するなよ」
シャルルは、食い気味に言葉を被せてきたカージナスを、ジロリと睨んだ。
「まあ、悪いようにはしないから、しばらく付き合ってくれ」
談笑しているローズとミレーヌから視線を外さずに、カージナスはシャルルにしか聞こえない声で言った。
「危ないことには巻き込まないで下さいよ」
「善処する。それよりも、明後日は宜しく頼むよ」
「……承知しました」
カージナスは、諦めたように溜息を吐いたシャルルを眺めながら微笑んだ。
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