第4話 全て思い出した

大好きなものは乙女ゲームや異世界恋愛小説。そして、お酒。これは絶対に欠かせない。

わりと平和な日本という国に生まれ、焦げ茶色の髪と瞳という、ごくごく一般的で平凡な容姿をした私は、『神山かまやま 悠夏ゆうか』。二十四歳。某アパレル店で販売員をしていた。


家族構成は、父と母、兄と妹との五人家族。

三人兄妹の真ん中で育った私は、大学進学とその先で決まった就職先の関係で、実家から離れて一人暮らしをしていた。


遠距離になるのが分かっていたのに、それでも良いと懇願されて、高校卒業と同時に付き合いだした彼とは、三年前に別れて以来、今は彼氏も彼女もいない。


別れた理由は『会いたい時にすぐ近くにいないから』――――って、何じゃそれ。

そんなのは、付き合う前から分かっていたこと3じゃないか。

結局彼は、遠距離恋愛というドラマチックな状況に置かれた自分に酔っていたのだろう。

会えない時間は、愛を育まず、距離を縮めることもなかった。


生まれて初めて告白されたことに浮かれ、付き合ってきたけれど、一気に覚めた。


初めての恋愛がだったせいか、その後は誰とも付き合う気にはなれず……。

そうこうしている内に、乙女ゲームの世界一にのめり込んだ私は、現実リアルの男性に全くときめかなくなってしまった。


……正直に言えば、そんな自分に少しだけ焦った。

しかし、よくよく考えれば、そもそも恋愛は無理矢理にするものではなく、いつの間にかものでは……? と腑に落ちた。


よって、一回目の恋愛はノーカウント。

若気の至り。黒歴史。人生の教訓だ。


その内に良い出会いがあるかもしれないし、ないかもしれない。今の時代、一人で生きていくことも不思議なことではない。

自分の人生に悔いが残らないように、正々堂々と大好きな乙女ゲームを続ければ良いのだ。


悠々自適で何ごとにも縛られない毎日を送っていた悠夏わたしの人生は、突然終わりを迎える。


***


――仕事の帰り道。


キーーーッ!!

夜の街中に響く急ブレーキとクラクションの音。


何事かと、たくさんの悲鳴が聞こえる方向を見れば、遠くの方から左右に大きく車体を蛇行させながら、こちらへ向かって暴走して来るトラックが見えた。


「逃げなきゃ……!」


逃げ出す周囲の人々に合わせて、身体を翻そうをしたところで、ギクリと身体が硬直した。

歩道の真ん中に、一人の子供が取り残されていたのを見つけてしまったからだ。


「ままぁ?……ままぁ、どこ?」


三歳ぐらいの男の子だろうか?

大粒の涙をボロボロと溢しながら、キョロキョロと視線をさ迷わせている。


嘘……!?母親はどこにいるの!?

周囲に視線を巡らせると、少し離れた所で名前らしきものを叫んでいる女性を見つけた。


……あそこからじゃ間に合わない。


逃げ惑う人々の流れに逆らうように進んで来ようとしているが、押し戻されてしまっている。


そんな間にも暴走するトラックは迫ってきていた。


……迷っている暇なんて、ない。


ヒーローになりたいなんてカッコイイことは微塵にも思ってもいなかった。

ただ……私の頭の中に、最近会った幼馴染の子供の笑顔が、ふと浮かんだんだ。

あの男の子と同じ年頃だったな、って思ったら……もう、ダメだった。


無意識の内に、男の子の方に向かって走り出していた。


……間に合え!いや、間に合わせてみせる。

絶対に助けるから。絶対に君をママの所に帰してあげるから。



暴走トラックと男の子の間に飛び込んだ私は、男の子を抱き上げると、母親のいた方向を振り返った。


私が思っていたよりもずっと近くに母親の姿はあった。

フーッと大きく息を吸い込んだ私は、ボロボロと大粒の涙を流しながら、必死に手を伸ばし続けている母親に向かって、


『もう、すっごく重いのに、抱っこしてないと不機嫌になるんだもん。困っちゃうよー』

三歳の子供の平均体重は十四〜十五キロだと幼馴染は言っていた。


『火事場の馬鹿力』とはよく言ったもので、まさか超インドア派の私が、その体重の子供の身体をバーベルのように頭上に持ち上げただけでなく、放り投げるだなんて思いもしなかった。


宙に放り投げられた男の子は、しっかりと母親に抱き止められた。

男の子の重さに母親が倒れ掛けたものの、周りの人々が子供ごとしっかりと母親を支えてくれたのを私の目でもしっかり確認できた。


……良かった。

大事な息子さんを投げたりして、ごめんなさい。


暴走するトラックの運転主は、男の子の姿を確実に

運転手の顔は、驚愕に歪んでいたから、意図的ではなく、病気か……それとも車両故障だったのかもしれない。その原因は、私にはもうきっと永遠に分からないだろう。


『ぶつかる』と分かっていても、一点に釘付けになってしまい、対象物にどんどん近づいてしまう【視覚的吸引作用】というものがある。


今の状況はまさにそれだと思った。

だったら男の子から私へと、対象を変えてしまえば良いだけだった。


男の子が助かったことが、私は何より嬉しいから、どうかそんな顔をしないで下さい。

少しでも気に病まないで欲しいと願いを込めて、私は精一杯の笑顔を作った。



……不思議。

目の前の光景が全てスローモーションのように見える。


……せめて、少しでも痛くないと良いなぁ。


正直に言えば、やり残したは沢山ある。

もっと色々な乙女ゲームをやりたかったし、もっと色々なお酒を飲んでみたかった。

人助けだったといえ、親不孝なことをしてしまったから、両親へ感謝の気持ちだけでも伝えたかった。


『今まで沢山の愛情を注いでくれてありがとう。 お父さんとお母さんの子供に生まれることができて良かった。こんなことになっちゃったけど、私は幸せだったよ』――って。

兄と妹には『お父さん達のことは頼んだよ』って。


もう二度と、会うことはできないから…………。


――ドンッ。

凄まじいほどの熱量を身体いっぱいに受けたところを最後に、私の意識はなくなった。


神山 悠夏としての二十四年間の人生は、こうして幕を閉じたのだった。


****


前世を思い出した日は、一晩中泣き続けた。


次の日の朝に、パンパンに腫れ上がった瞼を見たエルザは、とても心配そうな顔をしていたが、深く追求することなく、瞼の腫れが引けるように冷たいタオルを当ててくれた。


そして、この日を堺にして――暫くの間、部屋から出られなくなった。

悠夏としての亡くなるまでの前世の記憶と、ローズとしての今まで生きてきた今世の記憶。

その二人分の記憶が入り混じったせいで、酷く混乱していたのだが……中でもローズとして生きている状況が大問題だった。


悠夏としての記憶が蘇ったせいでというか、お陰というか……。

なんと、前世の自分が沼りに沼っていた乙女ゲーム【My Lover Prince】。略して【マイプリ】のキャラクターである『ローズ・ステファニー』に生まれ変わっていたことに気付いてしまったのだ。


ゲームや小説、マンガ、アニメでは最早なくては、ならなくなってしまった異世界転生。

妄想したことはあったけれど、まさか自分が実際に経験するだなんて、誰が想像するだろうか……。


大好きな乙女ゲームの世界であっても、『ローズ・ステファニー』だけはあり得ない。

あ、誤解しないで欲しいのだが、私はローズというキャラクターが大好きだった。一番の推しでもあった。


前世が平々凡々な容姿だった自分が、ローズのような美少女になれたなんて純粋に嬉しい。

容姿だけなら、間違いなく人生の勝ち組だから。


……問題は、ローズの立場というか……立ち位置というか……。


マイプリは、乙女ゲームでは珍しい仕様のゲームだった。

メインである乙女ゲームに入る前に、まずは攻略対象者達を育てるのだが、パラメーターの振り分け方次第で、自分好みに育てることができるという、まさに神ゲー(キラキラ)。


天使のように可愛らしい見た目なのに、中身は脳筋体育会系キャラに育てることができたり、逆に脳筋体育会系の見た目なのに、中身がマジで天使など。

ギャップ萌え好きにはたまらない仕様である。

ツンデレ、ヤンデレ、腹黒、その他のマニアックな属性も対応可!

『いやいや、普通で良いよ』っていう人は、極振りせずに、パラメーターを標準に振って育てれば、公式のキャラ設定になる。


そうして育てたマイキャラ達を投入し、四人のヒロインの内の一人をメインに、ハッピーエンドを目指す乙女ゲームになる。

育成ゲームと乙女ゲー、ギャルゲーを足したようなゲームなのである。


発売前には、『育てるなんて……』とか『母親かw』『誰得?』等の批判がたくさんあったものの――発売してみれば、新感覚の乙女ゲームに、世の中の女性達は夢中になった。


勿論、私もその一人である。

ショタの気なんてなかった私が、攻略対象キャラの幼少期のプニプニほっぺ頬や手足には、キュン死させられるかと思った……。


マイプリの攻略対象者は五人。

メルロー国第一王子のカージナス、第二王子ユージン、第三王子ルカ。隣国ブラン王国の第一王子サイガと、第二王子のリュートと、全員が王子である。


シークレットキャラは、全員をハッピーエンドで攻略後に現れてくるのだが、残念ながことにシークレットキャラを見ることもなく私が死んでしまったので、誰がシークレットキャラなのかは分からない。


攻略対象キャラの中での一推しは、素直で可愛くて育てやすいという理由もあっての、メルロー第三王子ルカだった。

女の子みたいに可愛いのに、『僕だって男なんだからね?』と、ヒロイン相手に壁ドンする姿には……キュンキュンし過ぎて、心臓発作を起こすかと思った。

こんな素晴らしい子に、自分が育てたのだと思うと、感慨も一入ひとしおだった。


しかし……残念なことに、ローズをヒロインにしてストーリーを進めると、ルカだけは攻略対象にはならない。何故!?

第一王子のカージナスルートと第二王子ユージン、ブラン王国のサイガとリュートの四人は出てくるのに……。いくら四人を自分好みに育てていても、肝心のルカがいないなんて……!!解せぬ。


プレイヤーが四人のヒロインの中から、メインとなるヒロインを一名選択すると、残りのヒロインは傍観者や悪役令嬢の役に成り代わる。

なのに、ローズだけは何故か、メインに選ばれなければ、必ず悪役令嬢になってしまうという。


悪役令嬢といえば――【断罪】。

可愛い顔で、えげつない虐めを繰り返していたローズの受ける断罪は、最果ての修道院行き、娼館落ち、ラスボス化、ギロチン処刑台、その他諸々と実に多種多様である。


もし、この世界がゲームの中の世界ならば、プレイヤーがローズ以外のヒロインを選択した時点で、ローズは悪役令嬢となり、断罪される。


そんなローズに転生したと気付いてしまったら、混乱もするでしょう?

せっかく転生したのに、数年後には断罪される未来しかないとか、絶望しかない。

かといって、顔しか取り柄のないローズに、できることもない。

実質の死刑宣告をされてしまった私は、外との世界を拒絶して、部屋に引き籠もることしかできなかった。


デビュタントが終わった次の日から、部屋の中に引き籠もった私を、この世界の両親は無理矢理に引き摺り出すことはなかった。


『きちんと眠れている?』

『食事は取れた?』

『何があったのか分からないけど、お母様達はあなたの味方よ』

お母様は、一日に数回部屋を訪れて、優しく声を掛けてくれた。


『部屋を出る気になったら、また皆で食事をしよう』

跡取り婿が必要なお父様でさえ、この時はそんなことは一切言わなかった。


前世の記憶を思い出した今の私は、この人達の本当の娘と言えるのか疑問だったけれど……そんなことはなかった。

二人の心遣いを嬉しく思っただけでなく、心の底からじんわりと温かい気持ちが込み上げていた。


隣国へお嫁に行ったお姉様は、どこから聞きつけたのか私を心配している旨の手紙を何通も送ってくれた。


専属侍女のエルザに至っては、何度も何度も部屋を訪れ、何も言わない私の世話を甲斐甲斐しく焼いてくれた。


強面だけど娘に甘いお父様と、いつも綺麗で優しいお母様。明るくて頼りになるお姉様。

いつでもどんな時でも心から尽くしてくれる、もう一人の姉のようなエルザ。


……この人達を悲しませたくないと思った。


ヒロインを虐めた結果が断罪に繋がるのなら、攻略対象者達やヒロイン達とは、関わらずに過ごせば良いだけじゃないか。

断罪されるためだけに生きる人生なんて、真っ平ご免だ。

大好きなローズに生まれ変わったのだから、好条件のお婿さんを早く見つけて、領地でスローライフしよう。

大好きなお酒もたくさん味わいながら、二度目の人生を謳歌するのだ……!!

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