閑話〜シャルルSide①〜
僕が『ローズ・ステファニー』と、初めて出会ったのは、幼い頃のことだった。
オルフォード領にあるワイナリーの視察に来た、父親であるステファニー侯爵の腕に抱かれて現れたローズ。
好奇心いっぱいのキラキラとした瞳で、果樹園を走り回っていた姿を今もハッキリと覚えている。
――あれから十数年。
同じ年頃の貴族の男女が集められ、両陛下の前で挨拶をすることで大人の仲間入りができるという、昔ながらの儀式であるデビュタントの日に、僕は彼女と久し振りの再会を果たした。
この年は、第一王子のカージナス殿下が参加する年だとして、例年以上の参加者で会場内は溢れ、緊張と興奮が会場中を包み込んでいた。
そんな中、カージナス殿下の幼馴染である僕は、特に緊張することもなく、一人マイペースにデビュタントを楽しんでいた。
カージナス殿下とお近づきになれる貴重なチャンスがあるのに、辺境の地にいる三男坊に、本気で声を掛けてくるような奇特な令嬢は滅多にいない。
それでなくとも、僕の身長は同年代と男友達と比べて低いだけでなく、童顔だ。背が高くて、顔も良い。地位も名誉もある男なんて、この会場内にも山のようにいるのだ。
父や兄からは『無理に結婚しなくとも、領地の補佐をしてくれたら良い』と、常日頃から言われていることもあり、この場で焦って婿入り先を探す必要もなかった。
父達は亡くなった母親の面影のある僕を手離したくないだけだろうけど……。
ダンスが始まると、会場の雰囲気は急に熱気を孕んだ物へと変わった。
カージナス殿下に押し寄せていた令嬢達の波は、いつしか数百メートルの長蛇の列へと変わった。
その列は、デビュタントが終了するまでに踊り終わる列の長さではないし、そもそもカージナス殿下が希望者全員と踊ることなんて不可能である。
それでも彼女達は、国母になれるかもしれないという淡い希望を捨てきれずに並ぶのだろう。
……殿下には、既に将来を決めた相手がいるのに、可哀想なことだ。
この状況が大変なのはカージナス殿下で、僕には何の関係もない。
幼馴染のことなのに、まるで赤の他人事のことのようにそう思いながら、壁際でボーッと立っていると、カージナス殿下の列に並ぶのを諦めた令嬢や、侍女に並ばせ、その番待ちの暇潰しをしているような令嬢達が、いつの間にか僕の前に列を作り始めた。
自分勝手な令嬢達にうんざりしかけた時――目の前の列の中に彼女の姿を見つけた。
幼い頃も妖精のように愛らしかったローズだが、長く伸びた白銀色の髪は絹糸のように艶めき、アメジスト色の大きな瞳は、宝石のように煌いていて吸い込まれてしまいそうだった。
『鈴蘭の君』――この二つ名に相応しい美しい令嬢へと成長を遂げたローズが、カージナス殿下の列には目もくれずに、まさか僕の列に並んでくれるとは……まるで夢のような気分だった。
正直に言えば、ローズより先に並んでいた令嬢達に、僕がどんな応対をしたのかなんて全然覚えていない。
恐らくは酷い応対をしていないとは思うが……僕はローズのことしか考えていなかった。
ローズの気が変わって僕から離れていかない内に、早く彼女と話したかった。
二人の会話を誰にも邪魔されたくなくてダンスに誘うと、ローズは微笑んで受け入れてくれた。
残念ながら彼女は、僕と昔に会っていたことを覚えてはいなかったが……僕の辿々しい話にも楽しそうに相槌を打ってくれるローズは、天使のように愛らしく、一瞬でも目を離すのが惜しいと思った。
……時が止まれば良いのに。
長いようで短いダンスの時間が終了してしまい、もどかしい気持ちでいると、
『是非、私のお婿さんになって下さい!』
突然、ローズからプロポーズされた。
……え?
僕は思わず笑顔のまま固まった。
ステファニー侯爵家の長女であるローズの姉が隣国に嫁いでしまったため、妹のローズが婿を取って家を継がなければならなくなったという事情は知っていた。
だけど、まさか彼女の方から僕を選んでくれるなんて考えもしなかったのだ。
ローズはオルフォード領のワインを気に入ったと、ダンスの最中に教えてくれたから、消去法で僕を選んだのだろう。
でも……僕は選ばれた理由が消去法だとしても構わなかった。
――幼い僕は初めて出会ったあの時に、ローズに一目惚れをした。
今まで初恋をこじらせ続けてきた僕の手に届くところに、叶うはずがないと諦めかけていた愛しい君が降りてきてくれたのだ。
……このチャンスを手放すわけにはいかない。
先にローズ自身を手に入れてから、じっくりと時間をかけて心も手に入れれば良いだけの話だ。
だから……。
「シャルル様……私では駄目ですか?」
僕の返事を待ちきれなかったローズは、潤んだ瞳で僕を見上げながら首を傾げた。
……いつの間に!?
近くに控えていた給仕に尋ねると、丁度ローズが四杯目のワインを飲み干したところだ、というのが分かった。
上気して赤く染まった頬に、潤んだ瞳。
蕩けるような微笑みを浮かべている酔った彼女は、素面の時の清純さとは逆に、ゾクゾクするほどに妖艶で美しかった。
……年頃の男に、今のローズは刺激が強過ぎる。
僕でえ、このまま後先考えずに、押し倒してしまいたい衝動に駆られるのだ。
沸き上がる欲望をどうにか理性で押さえ付けながら、ふと周りを見渡せば――男達の目がローズに釘付けになっていることに気付いた。
……このままではローズの身が危ない。
僕は蕩けきったローズの顔を腕で隠すようにしながら、彼女を会場の外へと連れ出した。
「お嬢様!?」
心配して駆け寄って来た従者に、ローズが酷く酔ってしまったことを伝えながら、僕は彼女を馬車の中に押し込んだ。
「シャルルさまぁ?」
馬車の中にあるクッションに凭れ掛かったローズは、ふにゃりとした顔で僕を見上げた。
……くっ。可愛いか……!
「プロポーズの返事は……また今度」
白銀色の髪を一房すくって口付けると、ローズは微笑みながらコクリと頷いた。
『このまま連れて帰りたい』という欲望を振り切って、僕は馬車の扉を締めた。
従者には『邸に着くまで何があっても絶対に馬車の扉は開けないように』と、強く強く念を押して……。
******
――デビュタントカ一年。
私は、ただこの月日を無駄に過ごしてきたわけではない。
父や兄達を説得し、ローズに求婚し、婿入りする段取りまでつけていた。……それなのに。
ローズはカージナス殿下の婚約者候補に名前を上げられてしまった。
一年後に正式な婚約者が決まるまで、ローズとの進展は何も望めない。
……私は、自分の過去の過ちを未だに後悔している。
カージナス殿下にローズのことを話さなかったら、絶対にローズは候補になんて選ばれていなかった。
殿下なりに僕を心配してお節介を焼いてくれたのだと理解はしているが、同時に他にやりようがあったはずだと思っている。
例え、カージナス殿下にその気がなくても、周囲の策略によってローズが婚約者に選ばれてしまったら……僕は殿下を一生恨み続けるだろう。
カージナス殿下と踊るローズを見つめながら、僕はそっと溜息を吐いた。
一年前にローズの色香を目の当たりにし、欲望を抱いてしまった罪悪感から、ローズとは上手く話せないでいた。
僕と一緒の時は、あんな風に無防備な顔で笑ったりしない。あんな風に、恥ずかしそうに頬を染めない。あんな風に、怒ってみせたりしない。
あんな風に…………好意を向けられることはない。
もっと早く行動していれば、愛しいローズの隣にいたのは自分かもしれない。……そうと思うと、殿下が憎らしくて仕方ない。
ダンスの最中に、何故かこちらを何度も伺う素振りをするローズは、きっとカージナス殿下に何かを吹き込まれているのだろう。
ローズが僕を意識してくれるのは嬉しいけど……心は嫉妬で荒れ狂っていた。
身勝手な嫉妬をローズにぶつけてしまった自分の度量の低さには、流石に自分でも引いた。
こんな機会ではあるものの、ローズの隣に僕の居場所を作ってくれた殿下に感謝をしなかった罰が当たったのか――一年前のあの時と同じことが起きた。
「あ、ローズ嬢……!」
僕の制止が間に合わず、ローズは赤いリボンの付いたグラスの中身を一気に飲み干してしまった。
すぐに中身がお酒であることに気付いたのか、口元を押さえて呆然としている。
……因みに、ローズが飲み干したのは、我がオルフォード領自慢のスパークリングワインである。
弾ける炭酸が心地良く、口当たりは軽やか且つ爽やかだが、なかなかアルコール度数が高い。
今日のローズが酒類を避けていることには気付いていた。あれだけ酔っていたら記憶なんて乏しいだろうし……デビュタントの時のことを後悔しているのかもしれない。
オルフォード領のスパークリングワインや、たくさんある果実酒を己の視界に入れまいと、必死で頑張りながらも、時折こちらを羨むような視線を送ってくるローズ。
好きなだけ飲ませてあげたいと思わないでもないが……ここでは駄目だ。
ローズの妖艶な姿は誰にも見せたくない。
……そう思っていたのに。
「アレン先輩のせいですからね」
僕は溜息を吐きながら呟いた。
「酷い言い草だな」
その呟きが聞こえたのか、アレン先輩は苦笑いを浮かべている。
僕はカージナス殿下と一緒にいるアレン先輩と昔から親交があるだけでなく、同じ騎士団に所属している先輩後輩という関係でもある。
ローズをずっと見ていたのは、大方カージナス殿下の指示によるものだろうことが分かっていたから放っておいたのだが、そのせいで動揺したローズがスパークリングワインを飲んでしまうという結果になってしまった。
「やっぱり、アレン先輩のせいじゃないですか」
『全然、大丈夫ですよぉ』と微笑みかけてくるローズは、全然大丈夫な状況ではない。
……今すぐに人目に付かない場所へと隠さないと。
既に、酔ったローズの微笑みに当てられた僕は、熱くなる頬を自覚しながら眉間にシワを寄せた。
「ちょっと……あれはまずいんじゃないかしら?」
ミレーヌ様がローズの方を見ながらツンツンと僕の袖を引っ張ってくる。
いつも愛想が良いローズは、お酒が入ると更に愛想が良くなるだけでなく、蕩けるような美しい笑顔にもなる。
その笑顔は、僕にとって男を煽る凶器にしか見えない。
「……はい。ですので、お二人共。ローズ嬢を一旦ここから連れ出すのに協力して頂けますか?」
「ええ、分かったわ」
「ああ。協力しよう」
ミレーヌ様だけでなく、アレン先輩も楽しそうな顔をしているのが気になるが、優先すべきはローズだ。
「あら、ローズ。随分と顔が赤いようだけど、酔ってしまったの?少し扇ぐと良いわよ」
ピッタリとローズに寄り添ったミレーヌ様は、自然な流れで扇を持たせるとそのまま顔を隠させた。
流石はカージナス殿下の想い人だ。機転が上手い。
アレン先輩は、正面からその長身と鍛え上げられた体格でローズの姿を隠してくれる。
騎士団に入り、筋肉は付いたが、身長は低いままだ。ヒールを履いたローズより高いのが救いではあるが、アレン先輩の恵まれた身体は、男というだけでなく騎士としても羨ましい。
……ローズを隠せない自分の身体の細さが恨めしい。
自分の身体を見下ろしながら、そっと溜息を吐くと、ローズが僕の袖を引いた。
「どうしたのですか……?」
今大変なのはローズの方なのに、眉を寄せて心配そうな眼差しを僕に向けてくれた。
……守るべき相手に心配させてどうするんだ。
僕はグッとお腹に力を入れた。
できることならば、邸に帰してしまうのが一番だが……婚約者候補の御披露目の場で、そんな勝手な行動は取れない。
カージナス殿下の許可があれば別なのだが、殿下は人の波を忙しく動き回っている最中だから、こちらの異変に気付くのは難しいだろう。
「何でもありません。大丈夫です」
「……?私の気のせいならよかったです」
首を横に振ってから笑いかけると、ローズはホッとしたように顔を綻ばせた。
……ずっと僕だけに微笑みかけて欲しい。
鈴蘭のように可憐で、優しくて、少しドジな――愛しい人。
僕は君が大好きだよ。愛してる。
だからどうか……僕が君に想いを伝えるその時まで、
可愛いローズをうっかり抱き寄せたりしないように、僕は自分の両手を強く握り締めた。
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