第10話 異世界にも朝チュンがある
チュンチュン。
この世界には、
――そう。つまり、今は朝なのである。
朝日が眩しい朝だ。紛うことなく朝である。
爽やかな一日の始まりだというのに……絶望しかない。
意識が覚醒していくのと共に、昨夜の出来事が次々と蘇ってくる。
……全てが夢だったら良かったのに。
誤ってお酒を口にした後からの記憶が、一切ない。
悶絶するかのように、頭を抱えて、ベッドの上をゴロゴロと転がる。
必死に思い出そうとしても、その欠片すら記憶にない。
お披露目舞踏会はどうなったの!?
カージナス様は!?
ミレーヌとアレンは!?
…………シャルル様は?
まただ。
一杯しか飲んでいないのにも拘らず、記憶を無くすとか、普段の私には有り得ないことなのだ。
自分で言うのもなんだが、お酒には強い方であると自負している。
昨夜と同じオルフェード領のワインは、自宅でも嗜んでいるが、一人で一本開けても記憶がなくなったことはない。それなのに、どうしてなのか。
ゴロゴロと動かしていた身体をピタリと止めて、天井を見つめた。
……前よりも、もっと格好良くなってた。
一年前振りに再会したシャルル様は、最後に見た時より身長が伸びていただけでなく、エスコートの時に差し出された手の指には、固い剣タコができていた。シャルル様が頑張って修練した痕だ。
胸板だって厚くなっていたし、中性的な美貌には磨きがかかっていた。
三男だなんて関係ない。シャルル様との結婚を望む令嬢は、きっと沢山いる。しかも、今後は増え続けることだろう。
お酒の勢いとはいえ、誰よりも早くにシャルル様にプロポーズしたのは私なのに……。
自分の置かれている状況が恨めしい。
カージナス様の婚約者候補になんか、なってる場合ではない。
けれど、今の私には、あの時の返事を問う資格がない。……悪役令嬢になってしまった私は、シャルル様にとって迷惑な存在でしかない。
ああ、……さっさと玉砕しておくべきだった。
そしたら次にいけるのに。
ふと、昨夜のシャルル様の思わせぶりな態度が記憶に蘇る。
あればただのハニートラップで、シャルル様にはそんなつもりはない。私はあくまでも試されているに過ぎないと、分かっている。
それでも……もし、違っていたとしたら?
――なんて、私にとって都合の良い考えが頭を過った。
……自意識過剰だな。
深い深い溜息を吐いた時。
「ローズ。入るわよー?」
コンコンと扉がノックされたかと思えば、開いた扉の隙間からひょっこりと、ミレーヌが顔を覗き込ませてきた。
「ミレーヌ!?」
予想外な来客に、慌ててベッドから飛び起きた。
「え?朝早くからどうしたの!?……って、それよりも、どうしてミレーヌがここにいるの?」
頭の中は『?』マークで埋め尽くされた。
そして、遅まきながら、自分の着ている夜着が、いつも愛用している物とは違うことに気付いた。
え?……え?
何?何?どうなってるの!?……ここは何処!?
私が驚きの余りに、赤くなったり、青くなったりしているのに、ミレーヌは楽しそうに笑っていた。
涙が出るくらいおかしかったのか、目元をハンカチで拭っている。……そんなに?
他人事だとはいえ、酷過ぎる。
「はあー、楽しかった。――さて。ローズが、今一番知りたいであろうことから言うと、ここは王宮の中にある客室よ」
ミレーヌは首を傾げながら微笑んだ。
その可能性は考えなくもなかったけど……。
「……どうして、そうなったの?」
「昨日のあなたはとても酔っていて、そのまま帰すのが心配だったのと、カージナス様がローズに話があるって言うから。だったら、そのまま王宮に泊めてしまえば良いと、いうことになったのよ」
ローズがお泊りするなら私も一緒にって、私もお泊まりしちゃったわ!と、ミレーヌは嬉しそうにしているけど……私の方は、気が気ではなかった。
昨日の失態の件で、カージナス様に何を言われるか分からないからだ。
それでなくても記憶がないというのに……だ。
まさか、腹黒王子相手に何もやらかしてないよね……?
「ねえ、ミレーヌ。昨日の私って……どうだったかしら?」
「どうって……。そうねぇ、色んな意味で可愛かったわよ?」
恐る恐る尋ねると、ミレーヌは口元に笑みを残したまま瞳を細めた。
『色んな意味』って、何!?
怖い、怖い、怖い、怖い!!
……でも、聞いておかないと後悔する気がする。
「酔ったローズは、あんな風になるのねぇ」
「その『あんな風』の部分を詳しく教えて!」
私はミレーヌの胸元に縋り付いた。
「ふふっ。オルフォード様の反応も面白かったし」
「何、それ!?もう、色々と不安しかないんだけど!?」
「ふふふっ」
ミレーヌは、口元に手を当てながら笑い続けるだけで、どうやら詳しく話してくれるつもりはないらしい。
「……教えてくれないのね」
「ええ。私の口からではなく、オルフォード様、ご本人から直接聞いた方が良いと思うわ」
またハードルが高いことを簡単に言ってくれる……。
恨めし気にミレーヌを見ると『頑張って』と、笑顔で応援された。
「さて、そろそろ朝食に行く支度をしましょうか」
パチンと両手を合わせたミレーヌは、私の両肩を後ろから押して、ドレッサーの前まで連れて来た。
ドレッサー前に置かれた椅子に、私を座らせると、ミレーヌはブラシを手に取った。
「……もしかして、ミレーヌがやってくれるの?」
「そうよ。意外に思うかもしれないけど、好きなのよ」
好きだと自分から言うだけのことはあって、ローズよ専属侍女よエルザほどではないものの、慣れた手つきで、編み込んでいく。
「ローズの髪は、サラサラのストレートで羨ましいわ」
「ミレーヌの巻き髪も素敵だと思うけど」
「ありがとう。でもね、この巻き髪は、呪いのようなものなのよ」
「呪いって、オーバーじゃないの?」
「いいえ、私は呪いだと本気で思っているわ。どんなに真っ直ぐに伸ばそうとしても、真っ直ぐにしている最中から、クルクルと元に戻ってしまうの。これが呪いと呼ばずして、何を呪いと言うのよ」
「……ドリルの呪い」
「ええ。まさにドリルの呪い、よ」
吹き出してしまいそうなほど、おかしな事を言っているのにも拘らず、ミレーヌも私も真顔だった。
茶化しようのない空気に、私は思わず息を飲んだ。
そんな他愛い(?)会話をしながら、ミレーヌの指先は私の髪をどんどん編み込んでいった。
「さあ、完成よ。どうかしら?」
ミレーヌに手鏡を渡された私は、鏡と手鏡を交互に見ながら感嘆の声を上げた。
「凄い!!ありがとう!ミレーヌ!」
綺麗に編み込まれた髪は一つにまとめて横に流され、紐でくくったところには花付きのリボンが巻かれている。
私も自分で髪を結うことはできるが、こんな風に綺麗に仕上げることなんてできない。
……だからこそ、エルザに全てを任せているのだけど。
ミレーヌは髪だけでなく、更にドレスまで着せてくれた。
公爵令嬢であるミレーヌに、侍女のような真似事をさせてしまうなんて、恐縮の限りである。
「うん。完璧ね!」
にっこりと笑うミレーヌは、とても満足そうだった。
「本当にありがとう。ミレーヌ」
「どう致しまして。お人形さん遊びみたいで楽しかったわ」
……お人形さん遊びって、ミレーヌさん。
言いたいことは分かるけど、口に出したら駄目でしよう!
「ローズは飾りがいがあるから、今度は我が家で着せ替えごっこをしましょう?」
「……ん、考えておくわ」
綺麗な物や洋服は好きだけど、一方的な着せ替えごっこはとても疲れそうだ……。
苦笑いを浮かべる私に、ミレーヌはサラリと次の爆弾を投下してきた。
「朝食の席には、シャルル様もいるわよ」
「………………は?」
「朝食の席には、シャルル様もいるわよ」
「どうして、二回も同じことを言ったの……!?」
「聞こえていなかったかもしれないと思ったからよ」
ミレーヌはしれっと言った。
シャルル様も王宮に泊まったって……。
「それって、私のせいよね……」
「まあ、平たく言えばそうなるわね」
「穴があったら入りたい……」
寧ろ、穴を掘って引き籠もりたい。
それでなくとも合わせる顔なんてないのに……。
私は両手で顔を覆った。
「んー、酔ったローズを帰すのは心配だと、無理矢理留めたのは、オルフォード様だけどね」
「……ミレーヌ、今何か言った?」
「いいえ。ここでくよくよ悩んでいても仕方ないわよ」
ミレーヌは嫌がる私を引き摺るようにして、強引に朝食の席へと連れて行った。
公爵家の令嬢であるミレーヌは、どうしていつもこんなに力が強いの……!?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。