第8話 浮かれ気分と急降下
「え……?」
「……『羨ましいですか?』と、尋ねました」
聞こえてきた言葉の意味が分からず呆けた私に、どこか投げやりにも聞こえる声でシャルル様が言った。
今日初めてまともに視線が合ったシャルル様の瞳の中には、困惑顔の私が写っていた。
……これは、どういう意味と捉えれば良いのだろうか?
「……カージナス殿下とミレーヌ嬢のことでしょうか?」
「そうですね」
「……それでしたら、仲が良さそうで羨ましいと思いますが……?」
「……そうですか」
首を傾げながら微笑むと、シャルル様の表情が曇ったような気がした。
どうやら私の答えは、シャルル様の望むものではなかったらしい。
「あ、あの……羨ましいと言っても、私が殿下のお隣に立ちたいとか、そういう烏滸がましい気持ちではありません。あくまでもお二人の様に、仲良く寄り添える相手が、私にもいたら良いのに、という意味での『羨ましい』ですわ!」
カージナス様を密かに思っているだなんて、とんでもない誤解をされたくなかった私は、気付けば言いわけじみたことを口にしていた。
「……そう、なのですか?」
言い訳のような、下手な説明をしたのにも拘らず、それを聞いていたシャルル様の反応は、思ったよりも悪くなかった。
安堵した私はそのまま、手に持っていた扇で口元を隠しながら、シャルル様にだけ聞こえる声で呟いた。
「……ここだけの話ですが、私はカージナス殿下とは、絶対に結婚したくありませんの」
これは決して公の場で口にして良いことではない。
私を婚約者候補に推した、カージナス様の第一王子たる名誉を傷付ける行為に、繋がり兼ねないからだ。
しかし、私は敢えてそれをシャルル様の前で破ってみせた。
「……!?」
私の予想外な行動に、シャルル様は瞳を大きく見開いた。
流石に、この場で一年前のプロポーズの話を蒸し返すことまではできないけど……。
プロポーズを放置した理由が、カージナス様に乗り換えたからだと、思われるのだけは嫌だった。
「内緒ですよ?」
「はい」
小指を立てて首を傾げると、大きく見開かれていたシャルル様の瞳がふわっと緩んだ。
嬉しそうに微笑むシャルル様の中では、私がカージナス様とミレーヌとの中を引き裂こうとしている、悪女に見えているのかもしれない。
……まあ、そう思われていても仕方ない。
幼馴染であるカージナス様の気持ち知っているシャルル様は、二人の絆を守ろうとしたのだろう。
「あなたは……」
「え?」
シャルル様がまた呟いたと同時に、ミレーヌとカージナス様のダンスが終了した。
ホールの中央では、ミレーヌがエスコート役の男性とその場から退場しようとしているところだった。
つまり、シャルル様と話している時間はない。
もう!せっかくシャルル様が話しかけてくれたというのに……!
小さな溜め息を吐くと、シャルル様がクスクスと笑った。その笑顔にトクンと胸が鳴り、思わず目が釘付けになった。
……なんて綺麗に笑う人なんだろう。
「行きましょう。ローズ嬢の番です」
シャルル様が手を差し出てきた。
「あ、はい。よろしくお願いいたします」
私は頬が染まらぬように意識をしながら、シャルル様の手に自らの手を添えた。
中性的な顔立ちのシャルル様は、ヒールを履いた私との身長差は頭一つと半分と、男性としてはそんなに身長が高い方ではない。
触れた手は滑らかで綺麗だが、剣ダコのある――しっかりとした男性の手だった。
一年前に一度触れたはずなのに、シャルル様の手に触れていると思うと、緊張のあまりに手が汗ばみそうになる。
それが嫌で早く離れたいと願ったくせに、いざ離れると寂しいとか何様だ。
「ローズ、大丈夫かい?」
クスクスと笑うカージナス様に耳元で囁かれて、私は漸く我に返った。
シャルル様のことを考えている内に、いつの間にかダンスが始まっていたようだ。
「……あ、申し訳ありません」
「別に、転ばないでくれれば問題はないさ」
「肝に命じます」
「真面目か、君は」
ダンスの最中に転ぶのは、淑女としてあるまじき失態である。その場合、リードしていた男性側にも汚名を与えることになってしまう。
リードの上手いカージナス様ならば、踊っている相手が例え眠っていようと、最後までリードし続けられるだろうと分かっているが、私は気を引き締めてダンスに集中した。
これ以上の借りは作りたくないから。
「シャルルの前で、随分と可愛い顔をしていたようだけど、何か進展あった?」
「可愛い顔……ですか?」
ローズの顔は元から可愛いのに、今更何を言っているのだろうか。
「なんだ。気付いていなかったのか。君は
カージナス様は楽しそうに笑いながら私の耳元で囁く。
こ、恋する……!?って、そ、そんなまさか。
「ほら、シャルルを見てごらん。さっきからずっと、私を射殺すような瞳で睨み付けているから」
カージナス様はそう言いながら、曲に合わせてクルリとゆっくりターンする。
シャルル様の姿が自然に見えるように、わざと回転を加えたらしい。
カージナス様の話が本当なら、嬉しいと思ったけれど、そんな風には見えない。
「……普通、だと思いますけど」
確かに、こちらを見ているような気配を感じる時があるけれど、睨んではいないと思う。
首を傾げる私に、カージナス様は人の悪い笑みを浮かべた。
「ローズは、男心が分かってないな」
「……そうおっしゃるカージナス殿下も、女心は分からないでしょう?」
「そういうことが言いたい訳じゃないけと……まあ、良いよ」
カージナス様は苦笑いを浮かべた後に、胡散臭い王子様の顔を作った。
「君達とのダンスが終わったら、後は自由時間になる。すまないけれど、ミレーヌをお願いできるかい?」
腹黒王子の含みのある笑顔は気になるが、そのお願いだけは断れない。
「承知いたしました」
大きく頷いて同意すると同時に、タイミングよく曲が終わった。
カージナス様と共に、招待客達に向ってカーテシーをしていると、シャルル様が直ぐ側まで来ていた。
エスコートの交代の時間だ。
「お相手してくださり、ありがとうございます」
カージナス様にもカーテシーをした私は、差し出されたシャルル様の手を取った。
「ローズを頼んだよ。シャルル」
「かしこまりました。殿下」
私達と入れ替わるように、三番候補のアイリス様達がやって来た。
お互いに軽い会釈を交わした後は、シャルル様に誘導され、邪魔にならない壁際までやって来た。
――ところで、一息吐いた。
……あー、緊張した。そして、疲れた……。
ダンスの最中はまだ良かった。カージナス様の意味の分からない発言のせいで、図らずも踊ることに集中できたから。
始まる前と終わった後の値踏みされるような視線は、ハッキリ言って不愉快だった。
はあ、早くお酒が飲みたい。
今夜はどんな物が用意されているのだろうかと思うと、わくわくしてくる。
「先程の……」
「ひゃい?!」
突然話掛けられたせいで、変な声が出てしまった。
ううっ……。穴があったら今すぐに入りたい……。
真っ赤になった顔を両手で押さえながら、チラリと上目遣いにシャルル様を見上げると、シャルル様は瞳を細めて微笑んでいた。
「……申し訳ありません。あの、驚いてしまって……」
「いえ、私の方こそ申し訳ありません。急に話しかけてしまったからですね」
シャルル様の前で、これ以上の失態は見せられない。
スーッと息を吸い込んで姿勢を正した私は、この場に相応しいであろう笑顔を作った。
「ぼんやりしていた私が悪いのですわ。……恥ずかしながら、こういった場所に参加するのは、本当に久し振りなもので。緊張して疲れてしまいました」
ずっと引き籠もっていたので……とは言えない。
「注目されるのは苦手なのに……」
「それは大変お疲れ様でした」
シャルル様が優しい声で、労るように言ってくれたから、つい甘えたくなってしまった私は、間違えてしまった。
「カージナス様は、人の気も知らずに……いつもいつも」
「……カージナス様」
「ええ。カージナス様は、一方的に私を王宮に呼び付けたり、逃げないようにとわざわざ馬車や護衛を手配したり、無茶苦茶ですわ」
私なんて、良い駒か玩具だとしか考えていないのが丸わかりである。
それもシャルル様を餌にしたりして……。
くっ。腹黒王子め。
「先ほどなんて、ダンスの最中に――」
「……随分と楽しそうに、殿下とのことを話すのですね」
感情が籠もっていないような、冷たい声音に驚いて顔を上げると、ガラス玉のような瞳が私を見下ろしていた。
「……オルフェード様?」
「オルフェード様、ね。私相手に誤魔化す必要はありません。ローズ嬢は『カージナス様』が、本当はお好きなのでしょう?」
シャルル様は微笑んでいるが、その瞳は少しも笑ってはいない。
私はこの時に漸く、自分が取り返しのつかないことをしてしまったのだと気付いた。
「殿下とのダンスは、とても楽しかったみたいですね」
「そ、そんなこと……!」
「恋人同士のように、あんなに近くで頬を寄せ合っていたのに、ですか?」
「違……っ!」
シャルル様の冷たい瞳は『嘘つき』と。
私を軽蔑するものだった。
私とシャルル様は、一年前に一度ダンスを踊っただけに過ぎない関係だ。
シャルル様からすれば、『何を勘違いしたのかプロポーズなんかしてきたくせに、そのまま放置しただけでなく、幼馴染の恋心にはお構い無しで踏み込んでくるような、頭のおかしな令嬢』である。
――今夜だって、カージナス様に命令されたから従っているだけ。
それなのに、シャルル様が、優しくしてくれたと勘違いをした私は、何をした?
シャルル様の優しさに甘えて、カージナス様の愚痴を言おうとしていた。
……恥ずかしい。
ギュッと唇を噛み締めて俯くと、私の少し上から冷たい言葉が落ちてきた。
「ほら、否定すら出来ないではないですか。やはり殿下のことが好……」
「もう……止めて下さい」
――最後までは言わせなかった。
持っていた扇でシャルル様の口元を押さえた。
「……先ほど申し上げた私の言葉が、信じていただけないのであれば、残念ですが……仕方ありませんわね」
驚いているシャルル様の口元から扇を外した私は、ぐちゃぐちゃになった感情が、溢れ出しそうになるのを必死に堪えながら、精一杯にこやかに笑った。
ここで泣いたりしたら駄目だ。
シャルル様にも、周りの人にも迷惑をかけてしまう。
シャルル様から視線を外した私は、両手をギュウッと思い切り握り締めた。
そして、カージナス様と四番目候補のミランダ様のダンスに集中することで、自分の気持ちを誤魔化した。
……私はいつの間にか、この世界の悪役令嬢になってしまっていた。
『シャルル・オルフェード』
彼は、第一王子カージナスの側近であり、ヒロインを悪役令嬢から護る騎士だった。
私のされた牽制は、多少言葉は違っていたが、マイプリの中の【悪役令嬢ローズ・ステファニー】が、シャルルに言われていたことと、ほとんど同じだったのだ。
……攻略対象キャラではないとはいえ、どうして私は、彼のことを今まで忘れてしまっていたのだろう。
先ほど向けられていた、氷のように冷たい瞳。
をこれからもずっとそうなのかと思うと、胸が締め付けられるように痛いや……。
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