1-08『好都合男とぽんこつダメ少女たちとの日常』2
「あれ。佐野せんぱい、もしや何やら落ち込んでます?」
遠い目をする俺に、ふと銅後輩が首を傾げて言った。
まあ銅後輩には関係のないことだ。
踏み込むことを決めておきながら、自分の身の振り方に悩んでしまうなんて不誠実に過ぎる。
何か悪いことをしているわけでもないのだし。
「なんでもない」
そう、俺は軽く言った。
銅後輩は、そんな態度の俺をしばらくまっすぐ見たあと。
「えい」
いきなり顔に向けて手を伸ばしてきた。
待って何、怖い。
「何すんだオイ」
咄嗟に手首を押さえた俺と、
「む。なぜ邪魔をするのですか」
不満げに頬を膨らませる銅後輩。
不満そうにされる意味がわからなかった。
「なぜも何も、いきなり顔に向かって手を伸ばしてきたら誰だって防ぐでしょ。怖いよ」
「顔ではありません。頭です。ただわたしの身長が思いのほか足りてなかったので、結果的に目潰しめいた軌道を描いてしまっただけなのですよ。おちゃめさんですね」
「だとしたら結果としては攻撃なんじゃん……」
茶目っ気で視界を奪われて堪るか。
というか、よしんば頭に手を伸ばそうとしていたのであっても、やっぱり意味不明だ。
「いえ。何やら佐野せんぱいが元気のないご様子でしたので」
銅後輩は言う。
どういうことだろう。今のうちに追い討ちを狙ったという意味に聞こえてきた。
疑う俺。だが続く銅後輩は、ごく当たり前のように。
「頭を撫でて差し上げようかと」
「……お前が、俺を? 慰めてくれようと?」
「はい。だって、お友達なのですから」
銅後輩は、そんな言葉を、わずかな衒いもなく口にする。
まるでなんでもないことのように、それでいながら、本当に嬉しそうな笑顔で。
「お友達には優しくするのが当然というものです。お友達のいなかったわたしにだって、それくらいのことはわかるのです。ふふんっ。ある調べによりますれば、頭をぽんぽんと撫でる行為が、ふたりの距離を急速に縮めるという研究結果が出ているとかいないとか」
その研究結果は統計対象に偏りが見られるため、今すぐ破棄したほうがいいと思うが。
気取るでもなく当たり前に、そんなことが言える後輩には驚かされてしまった。
「まあ、わたしは普通に頭とかあんまり触られたくないんですけど」
「台無しだよ」
「でもほら、格好よくないです? こう、落ち込むせんぱいの頭にぽんっと軽く触れて、気にするなと微笑む屋上のわたし……心をトゥンクと掴まれたせんぱいのハートがまさにトキメキの瞬間最大風速を記録し、明日の天気は観測史上最大級のタイフーン……!」
「台無しの下行ったよさらに」
本当に何言ってるかわかんねえよな、銅後輩は。
いや。
いいや――何もわからないなんて、そんな言葉はもう嘘になっている。
「ふっ、ふっ!」
未だに頭を狙ってくる銅後輩。ぜんぜん届いていないので、シャドーボクシングめいてきた。
本人もなんか楽しくなってきちゃったみたいで、ぴょいぴょい飛び跳ねながらも、スカーフをなびかせてご満悦。じゃれてくる小動物みたいな愛らしさがあった。
俺は銅後輩の頭に手を乗せてみる。
「おわぁあ。上から押さえつけてくるとは卑怯なりですよ、佐野せんぱいっ」
「いや、まあ何。確かに、お前のお陰で元気なったと思ったからな」
「まだ届いていないのにですかっ」
「だから、これがありがとなの気持ちだ」
「あわわわっ。そんなことをされては目が回って、めっぐるぐる助が出てきますー!?」
「誰だよ」
頭を掴んで首をぐるぐる回すような行い。控えめに見ても、これを《頭を撫でる》とは呼ばないだろうが。少なくとも銅後輩は、本気で嫌がってはいない様子で。
手を離してやると、銅後輩は自分の両手を頭に乗せて、低い位置から俺を見上げる。
「むぅ……まさか先手を取られるとは、わたしの綿密な計画がおじゃん丸です」
「計画って?」
「それはもちろん、せっかくできたお友達には、わたしの有用性を示すことで信頼関係を築いていこうという――はっ、これは表社会に出してはいけないマル秘情報でしたっ!?」
「全部言っちゃったな」
苦笑する。そんなこと、別に考えなくたっていいのに。
――それでもほんの少しだけ、銅燐と言う少女のことを理解できた。
そんな気がした。
たぶん彼女は臆病だ。俺という《お友達》に、いつか見捨てられてしまうのではないかと恐れている。
だからそうならないように、自分という者の価値を示そうとしていた。
けれどその一方、彼女はそんな計算が上手な少女ではないのだ。
出会ってまだ二日目なのに、ほんの些細な俺の表情の変化から内心を見抜ける。
それを本気で心配して、不器用に慰めようとしてくれていた。
お友達だから、だ。
「さ、メシにしよう。いつまでも雑談してたら、昼休みも終わっちゃう」
俺は言う。その言葉にこくりと彼女は頷き。
「ああ、そうですね。ではごはんを食べましょう、せんぱい。ふっふふふー」
いそいそと弁当箱を取り出す。
彼女とともに景色のいい屋上の端へ向かった。銅後輩はこちらを振り返るように笑みを見せて、とても嬉しそうに俺の手を掴む。
「こちらですよ、佐野せんぱい! さささ、お隣にどうぞですっ」
「あいよ」
「せんぱい、せんぱいっ。佐野せんぱいはパンですか。よくないですねっ。わたしとぜひおかずの交換をしましょう! これは青春の大事なイベントだと聞いていますっ」
「いいのか? じゃあ弁当見せてくれよ。――お、からあげあるじゃん」
「ふふ、これは高レート品ですよ。あ、でも佐野せんぱいにはジュースを頂いてしまったので、ひとつ贈呈というのも吝かではないわたしですねっ。どうですか食べますかっ!」
むしろ是が非にでも渡したそうな銅後輩。
空気を読んで、俺は頷いた。銅後輩はからあげをひとつ箸で掴むと、
「では、あーんですっ」
「……それはさすがに恥ずかしくない?」
「ええっ。だ、だめですか……?」
途端、ものすごく悲しそうな顔で見つめられてしまった。
ぐ……いや駄目だ、流されてなるものか。
そんな目で見たって佐野くん許しませんよ!
「そういうのは恋人ができてから、彼氏にでもやったんなさいな。ね?」
「はあ。何を言うかと思えばまた戯言を。佐野せんぱいともあろう御方から出てくる言葉とは、ええ、ええ、とても思えませんですなあ」
「そこまで言われる?」
「わたしみたいにみょうちくりんなちんちくりんに、彼氏なんてできるわけありません」
「いや、みょうちくりんなちんちくりんって。そんなテンポよく自虐せんでも」
「だって友達すらいないんですから……」
「これから作るんだろ?」
「佐野せんぱい以外にできる気がしません……」
「お前なあ」
「嫌いな言葉は孤独死です……」
ああもうっ!
「わかったわかった! せっかくだし、してもらっちゃおっかなっ!」
俺は折れるしかなかった。もう笑ってくれ。
「ですかー。ふふ、まったく仕方のないせんぱいですねっ! ではではどうぞ!」
ものすごい嬉しそうな銅後輩。笑ってくれたから、もういいや。
そのまま唯々諾々と、からあげを食べさせてもらう俺。
「ん。……んまいな。これ冷凍じゃないだろ」
「まあ作ったのはお母さんなのですが。おおっと、ちょっとすみません。今のうちに記録しておきますので。失礼」
と、そこで銅後輩は、制服の懐からふと何かを取り出した。
懐に何をかを忍ばせておくの好きそうだしな……。
「なんだそれ。……手帳か?」
訊ねると、銅後輩はこちらを見上げて、こくりと頷く。
「はい。これはわたしの、大事な青春手帳なのです」
「青春手帳」
「経験したい青春の一覧表を作っておいて、達成したらチェックを入れます。いわば青春実績解除リスト。これを埋めるのがわたしの目標なのです。あ、覗いちゃヤですよ?」
いや。
そんなもの悲しすぎて覗けないです。
「ふふふ、まさかこんなに早く実績解除ができるなんて、予想外です。うれしーなー♪」
「……えっと。よ、よかった、ね……?」
「はいっ。ええと……《お友達といっしょにご飯を食べる》クリア。《お友達にあーんをする》もクリアですね。昨日達成できた《お友達をひとり作る》と、《お友達と連絡先を交換する》も合わせれば、なんと四つも実績解除ですっ。ハイペースですよ。うぇへへ」
つらい。
心があまりにもつらすぎる。
助けてくれ。
その程度のことで、こんなに嬉しそうな笑顔を見せられたら言葉が出てこねえよ……。
「あ、えっと、そうだ。佐野せんぱい」
「佐野せんぱいです。はい、なんでしょう?」
受け答えがロボットめいてくる佐野せんぱいだった。
ダメだって。これはダメ。
今すぐ抱き締めてやりたいとすら思っているやらんけど。
「あの……ですね? そのっ、これはわたしのわがままなので、もしもお嫌ならば断っていただいて構わないのですけれどっ!」
「言って。大丈夫言って。まずは言って。何?」
「その。せ、せっかくなら、ここはイベントスチルも回収したいのと思うのですっ」
「イベントスチル」
え、イベントスチル?
イベントスチルって言った?
なぁにそれぇ?
「……その。お写真を、ぜひ一枚撮れたらな、と思いまして……いっしょに」
酷く言いにくいことみたいに、銅後輩はスカーフと手帳で口元を隠しながら言う。
「写真?」
「は、はいっ。あのあのっ、こうなることを予期しておらず、まだ準備が進んでいなくて申し訳ないですが、せっかくなら、実績解除の証明として記録を残したいと言いますか。こう、いっしょに青春っぽい写真が撮れたら、アルバムが埋まる感じなのですねっ!?」
いまいち意味が掴みにくいが。
要は、いっしょに昼を食べた証拠の写真が欲しいということか。
「いいよ、そんくらい、いくらでも! 撮ろう! なんだ、スマホでいいのか!?」
「いいんですか!? ……え、いいの……なんで。見返りもなく……、神?」
「違う!」
「じゃあ仏……」
「バリエーションは問題にしていない!」
「見返り美人像……」
「もはや意味すらわからねえ!!」
ともあれ。
俺と銅後輩で、ツーショットの写真を撮ることが決まった。
「では、ちょっとこちらに寄ってください、せんぱいっ。えへへー、こういうの初めてっ」
「じゃあはい、チー……」
「あ、待ってくださいダメです表情作れませんっ。写真の撮られ方わかりませんっ……!」
「いいよ大丈夫だよ満面の笑顔できちゃってていっそ逆に悲しいレベルだよ平気平気」
「それ平気ですか!? なぜ悲しく……」
「なぜだろうね、はいチーズっ!」
「ああっ!!」
銅後輩に借りたスマホで、ふたり揃って写真を撮った。それを返す。
銅後輩はいくぶん不満そうにしていたが、それでも返されたスマホを手にすると、さも天に掲げるみたいにまっすぐ伸ばして見つめていた。
爛々と輝く、心の底からの笑顔で。
「おぉー……。うぇへへへへへ」
「そんなに喜んでもらえて何よりだよ。本当に。本当にマジで」
「はい! ありがとうございます! 佐野せんぱい、大好きですっ!」
「くぅあぁああぁ……っ!!」
恋愛的な意味もなく、ここまでまっすぐに大好きと言われたのは、生まれて初めてかもしれない。
だが嬉しさよりも、心苦しさのほうが勝ってしまうのはなぜだろう。
わかっている。
だって、俺はそんな評価に値するほどのことは何もやっていないから。
それなのに、彼女は俺を慕っている。
友達だから。
俺は頭を抱えた。もうどうしようもねえな、と自覚ができた。
「…………」心臓が痛い。
俺は胸を抑え、呻き出し頭を掻きむしりたくなる衝動を堪えていた。
意外と鋭い銅後輩に、それを悟られるわけにはいかない。こうも喜ぶ素直な少女の思い出に、ほんのわずかだろうと瑕疵をつけてなるものか。
「プリントしてっ、あとあと、アルバムも買って……」
嬉しそうに、自分の青春実績と、イベントスチルの未来を想う銅後輩。
俺は。
ダメだとわかっている台詞を、もう言うほかなくなっていた。
「なあ、銅後輩」
「あ、はい。なんでしょう、佐野せんぱい?」
「――そのアルバム、俺といっしょに、全部埋めよう」
それは、当初の想定以上に銅後輩へ踏み込むという宣言であり。
そして同時に、奈々那と交わした約束を、わかっていて破るという裏切りでもあった。
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