銀髪美少女のヒロインなら養ってもいいと思いませんか?

涼暮皐

第一章

1-00『プロローグ/好都合男と要介護女』

 高校二年生にして将来の結婚生活について悩んでいる。

 嫁がダメ人間であった。


 いや。

 誤解のなきよう強調しておくが、ごく一般的な男子高校生、佐野さの伊吹いぶき――つまり俺には現在、配偶者はもちろん婚約者もいない。

 加えて言うなら恋人もいない。幼い頃に親が決めた許嫁がいなければ、将来を誓い合った幼馴染みもいなかった。


 そんな俺が考えるべきは本来、学力や成績のことであるべきだし、せめてまずは恋人を作る方法を先に考えるべきであろう。

 捕らぬ狸の皮算用。買ってない宝くじの一等賞金の使い道を考えるみたいな、あるいは隕石が自分に直撃する確率を計算するかのような、杞憂。

 そう思われて当然だった。


 何を夢見ているのか。

 恋人もいない高校生のガキが結婚生活を憂慮してどうするのか。そんなに結婚したいのか。そもそも結婚できるつもりなのか。受験勉強でもしていろ。

 ごツッコミ、まさにごもっとも。返す言葉もない。

 何より当の俺自身、自分の考えている危惧がただの妄想でない証拠を持っていなかったし、そもそもこの歳で結婚がしたいなどと考えたこともなかった。


 そうだ。こんなものはただの幻覚妄想。そうに違いない。

 こんな未来はあり得ない。


「ハハ、ただいまハニー!」


 の俺が言う。

 スーツ姿。年齢は二十代の後半くらいだろうか。なんだかやけに煌めいていた。


 どうやら仕事から帰宅したばかりらしい。扉を開けると、ネクタイを緩めながら輝かんばかりの笑顔で片手を上げた。

 実に鬱陶しい。


「お帰りー、伊吹くん」


 そんな幻覚妄想の俺を迎えたのは、こちらも幻覚妄想の――たぶん未来のお嫁さん。

 夫婦仲は良好なのだろう。迎える奥さんも嬉しそうな笑顔だった。

 革靴を脱いで部屋に上がった幻覚俺が、妄想嫁の頭を軽くひと撫で。


 それからこんなことを口にする。


「ご飯にするかい? それとも、お風呂にするかい?」


 ――この時点でもうおかしいんだよなあ。


 なんで帰ってきた側が言うの? それ本来は迎える側の台詞ちゃうの?

 まるで見覚えのない明るい夫婦の住まいを、まるで俯瞰するように眺める現実俺。どの恋愛漫画から飛び出してきたんですかと訊きたくなる幻覚妄想スーパーダーリン俺に、頭が痛いで頭痛。

 それに答えるは、未来のお嫁さん(幻覚妄想)。


「ごはんー!」

「よしよし。今から作るから待っててね(キラッ☆)」

「うん。ゲームして待ってるー」

「ハハハ(キラッ☆)」


 酷かった。

 それはあまりに酷い光景であった。


 幻覚俺は妄想嫁を、それはもうズブズブに甘やかしている。

 どうして妄想なのにこんな都合のよくない展開なのか。

 わけがわからない。


「あああ……っ!」


 そこで繰り広げられる幻覚妄想を、これ以上は見ていたくない。

 呻きながら、俺は頭を目の前のテーブルへと叩きつけた――それで幻覚妄想が消えた。


「え。何しとんのさ、伊吹くん? どしたの急に」


 そうしてかけられた声が、現実であることに安堵するべきなのか否か。


「なんでもない」


 と俺は言う。単に持病の幻覚妄想に襲われただけで、一切の問題は存在しない。


「それより、カレーは口に合ったか?」


 ――現実にも、幻覚妄想とほとんど同じ光景が広がっていなければ、だが。


「うん。いつもありがとねー、ご飯作りに来てくれて」


 目の前の少女が笑顔で言った。それ自体は嬉しい言葉だ。

 問題は彼女が、今し方見ていた妄想嫁の過去の姿――同一人物だということだけ。あの幻覚妄想が、自分の未来のパーフェクトなシミュレートであるという点だけであった。


「……約束だからな」

「うぇへへ。やっぱり伊吹くんはなあ。いっそお嫁さんに欲しいよねえ」


 俺がが耳に届く。


 シチュエーションは上等。クラスメイトの女子の部屋で、いっしょにご飯を食べながら駄弁っているのだ。

 この上ない青春だと――ああ本来なら言ってよかったのだろう。


 だが、断言するが俺はなんにも嬉しくない。


 優しいだなどと、そんなことは誰にも言われたくなかった。

 それほど都合のいい言葉はないと、俺は誰よりも深く知っているのだから。


「やめろ。俺に対して優しいなんて言うな。言っただろ、これからは厳しく接すると!」


 だから言う。強く、厳しく、はっきり告げる。

 いつまでも甘やかして、彼女をダメ人間にしてしまうわけにはいかない。

 いや、もはや手遅れに近いダメ人間ではあるのだけれど。

 せめて自分のことくらい、自分でできるようになってもらわなければ。


「うん、そうだね。うんうん、そうだったそうだった」


 わかっているのかいないのか、どこまでも軽い返答に頭を抱える。


「あのな。俺だって、いつまでもお前にこうして、飯を作ってやれるわけじゃないんだ」


 ゆえに滔々と説教をする。

 正直、自分より頭のいいはずの相手に、こうも説教するのも微妙な気分なのだが。


「いいか冬泉。お前だってこの先、高校を卒業して、大学に入って、就職して生きていくわけだよ。俺だってそうだ。こうしてお前の部屋に来て、家事をやってやれる時間だって限られているんだ。最終的に苦労するのが自分だってことくらい、冬泉もわかるだろ?」

「とか言ってー、結局この先も変わんない気がするけどなー。ぼくは十年後も伊吹くんにご飯を作ってもらってる気がするよ。なんなら同棲するのだってぼくはウェルカムさ」

「――――」


 ともすれば半ばプロポーズめいた台詞。

 彼女――冬泉ふゆいずみ小姫こひめは俺に対する羞恥心がない。

 俺とて健全な男子高校生なのだ。白銀に近い色のボブカットが乗った彼女の顔は、どう控えめに見ても《美少女》の評価を冠するに不足はなく、照れがないと言えば嘘だった。


 だが勘違いは厳禁だ。

 単に彼女は、俺に介護してもらえると思っているだけなのだ。

 少なくとも、今は。


 俺は頭痛を覚えて視線を逸らし、そのまま部屋を眺めた。

 綺麗に片づけられた室内。彼女がひとり暮らしをするアパートの一室は、けれどほんの数時間前まで足の踏み場もないほど本やプリントが散乱していた。それを見た俺のほうが錯乱したくなる光景だった。

 まだ先週、片づけたばっかりだったんだぜ……?


「うーん。それにしても伊吹くん、今日のカレーも美味しかったよ!」


 ごちそうさまでしたー、と手を合わせる冬泉。

 今日の夕食を作ったのは俺だ。

 出来合いの総菜を買ってくるならマシなほうで、放っておけばインスタント食品の調理すら面倒がり絶食し始める怠惰っぷり。とてもではないが看過できない。


 まさにダメ人間界の女王。

 ダメ・オブ・ザ・ダメ・ヒューマン。

 そんな二つ名を(俺の中で)ほしいままにする、堕落と倦怠の申し子。

 冬泉小姫とはそういうJKだった。


 J(常識が)K(壊れている)という意味合いで。


 高校入学以来の付き合いだから、彼女との関係もすでに一年を越えている。

 ほぼ毎日のように訪ねては、あれこれと世話してやっているわけだ。家事を超越して気分は育児。

 いい加減そろそろ自立してもらわなければ、彼女のためにもならないだろう。


「食べ終わったんなら、ちゃんと食器は流しに出しなさいよ。ルーがこびりつく前に」


 ゆえに、俺は厳しくそう言った。

 冬泉はにへらと微笑んで、


「わかってるよー。それくらいはぼくだってするさぁ」

「ならよし。まとめて洗っておくから、今のうちに歯磨きも済ませなさいよね?」

「あれ。伊吹くん、さっきは確か、これから厳しくとか――」

「ん、なんだ。どうした?」

「……いや、なんでもないよ。そかそか、出しておけば洗ってくれるのね。りょおかーい」


 一瞬だけ変な顔をして、けれどすぐに相好を崩す冬泉。のっそり立ち上がると、お皿を持ってとてとて流しに歩いていった。……いったいなんだったのだろう。

 俺も自分の分を食べ終わる。ご馳走様、と両手を合わせた。


「……なんだかな。材料費は貰ってるとはいえ、それ以上の代価を要求してもいいくらい働いてる気がしてるよ。学級委員長の職責は絶対に越えてると思う……」


 そんなぼやきを零したときだった。


「なんだい、なるほど。要は伊吹くん、ぼくにそれなりの誠意を求めているんだね?」


 流しから戻ってきた冬泉が、俺の背中へのしかかるように体重を預けてきた。


「……冬泉さん?」


 二枚の洋服越しに感じる柔らかな感触。

 普段はもはや意識もしないが、こうして触れるとその大きさに心臓が跳ねてしまう。

 冬泉のほうも、胸が当たっていることはわかっている。いや、わざとだろう。


「どう? 気持ちいいものなのかな? 実際よくわからないんだけど」

「……なんのつもりだ」

「だから対価だよ。体で払う、ってヤツだよね。これでも大きさには自信があるんだ」

「そういうことを聞きたいわけじゃない」

「いやあ、普段ぜんぜん運動しないせいなのかな。栄養が全部、胸に行ってしまうんだ」

「だから聞きたくない!」

「これはつまり、食事係である君が育てたおっぱいということだよ」

「しかも人聞きが悪すぎる!!」


 育てたつもりはない。ていうか食事係でもない。いやまあ、実質そんなもんだけど。

 恥じらいなんて微塵もないとばかりに、冬泉はからからと笑って。


「産地直送だね」

「クーリングオフさせろ」

「開封済みはちょっと」

「開けた記憶がねえんだよなあ……」

「なら今、開ける?」

「――……っ」


 耳元で響く声が、蠱惑的に脳髄を揺さぶった。

 誘惑に抗うことが、酷く難しいことは認めざるを得ない。

 本当に手を出してしまおうか。据え膳食わぬはなんとやらと言うではないか。若い男の熱情を、我慢せず解き放ってしまいたい。

 そんな衝動が体の奥底から駆け上がってくる。


 それでも俺はこう言った。


「……開けない。食器洗うから、どいてくれ」

「ちぇ。これでも結構、思い切ってみたんだけどなあ」


 こうなれば冬泉も素直に離れていく。背中に感じていたものが離れていくことに、名残惜しさを覚えてしまう自分が、なんだか間抜けに思えてきた。

 けれど流されてしまうわけにはいかない。

 それはダメだ。

 否、――それでということを、俺は知っている。


 何がか?

 俺が、ではない。

 ――冬泉小姫が、である。

 なぜならさきほど見ていた幻覚妄想は、現実に起こり得る未来であるからだ。


 俺には、からだ。


 一年生の頃から、俺はこの引き籠もりダメ人間を介護してきた。

 だがいつまでも怠惰を許していては、やがて責任を取って貰ってやり、一生扶養しなければならなくなる。

 それはどちらにとってもよくないことだ。

 ゆえに、俺がするべきはひとつ。

 冬泉小姫を真っ当に社会へ適合させ、どこに出しても恥ずかしくない一人前のレディにしてやることにほかならない。


「頼むぞ冬泉」


 だから俺は言う。冬泉は首を傾げ、


「何が?」

「真っ当になってくれ。俺が世話せずとも生きていけるように」

「えー。ぼくは伊吹くんに一生お世話してほしーい」

「ピンポイントに恐ろしいこと言わないで」

「うん?」


 冬泉は小首を傾げていた。

 未来が予知できる、なんて戯言は誰も信じない。だから説明もできなかったが。

 このままでは大変な未来が待っている。あの未来を回避するために、俺はあらゆる手練手管を用いて、冬泉小姫をダメ人間から真人間に戻してやらなければならない。

 予知未来をただの幻覚妄想にしてやらなければならない。


「んー、どうしようかなー。伊吹くんに飽きられて、捨てられちゃうのは嫌だなあ」

「だから、さっきから人聞きが、ね?」

「でも伊吹くん、最近は別の女の子ともいい感じらしいじゃん。聞いてるぞー?」

「……そんな事実はない」

「負けられないね。ぽっと出の女になんて、伊吹くんの扶養枠は渡せないよ!」

「そんな枠もない!」

「ぼくがひとりで生きていけると本気で思うのかい!? 無理だ!」


 絶望的な表情をして、冬泉小姫は断言した。

 思ってないからどうにかしたいんだよ。そこを威張らないでほしい。


「言っただろ、お前に真人間になってもらわないと困るんだ!」

「ぼくだって、伊吹くんには一生養ってもらわないと困るよ!」

「そんな張り合い方ある!?」


 ――もう、おわかりいただけただろう。


 この物語は、絶望の未来を回避するための改変戦争。

 養われたい女と、養いたくない男との、仁義なき扶養枠争奪バトル。


「そこまで言うなら戦争だ! どんな手を使ってでも伊吹くんにしがみつき続けてやる!」

「そんな脅しがあって堪るか! いいからさっさと風呂でも入ってこい!!」

「じゃあ体洗って?」

「風呂も洗ったし皿も洗ってやるだろうが! 体くらいはせめて自分で洗いなさいよね!」

「あははー。それじゃ、行ってきまーす」

「まったくもう! ――着替えはいつものとこに用意しておきますからねっ!」

「……なんでだろう。この戦い、負ける気がしない」

「いいから行け!」



     ※



 ――表現を正確に訂正しよう。

 この物語は、甘やかされたいダメ女と、どうしても人を甘やかしてしまうダメ男との、仁義なき社会復帰のための戦いの記録である――。

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