1-03『好都合男と不都合な未来予想(地獄絵)図』3

 そこから戦いが始まった。

 まずは冬泉を脱衣所へ投げ込む。「下着はあるか?」扉越しにそう問えば、がさごそとタンスを調べる音のあとで「あったよ伊吹くん」「よろしい」「それじゃあ今からぱんつとブラを脱ぐね」「言わんでよろしい」「ちぇー」冬泉が風呂場に入ったことを音で確認してから、俺は居間へと引き返す。

 最後に来たときから干しっ放しのバスタオル、まだ綺麗な着替えを探し出して、戻ると今度は脱衣所まで入る。流れるシャワーの音が磨りガラスの向こう側から響いていた。「置いとくぞ」「うん、ありがとう」離脱して次は掃除だ。


 一週間も掃除をしていなければ、それなりに埃も溜まる。ほかの部屋はとりあえず今は考えないことにして、まずはリビングのテーブルに置かれたままの食器を確保、そのまま流しに向かう。そこでさらに、流しに放り出された食器類を見つけた。

 もっと言えばその流しには、カップ焼きそばの無惨な残骸が、そこはかとない臭いとともに放置してある。


「……んんっ」


 思わずゾクゾクした。

 まったく冬泉は本当にダメだなあ。なんてダメな子だろう。本当こういうのよくないと思う。俺の仕事が増えちゃうよね。仕方ないなあ。やれやれだぜ。


 まあ、生ごみの類いがほかに見当たらないだけ臭いはマシか。一旦戻って、散らかったスナック菓子のゴミなんかを処理。ウェットティッシュでテーブル上を綺麗にしてから、部屋に掃除機を『ピーピピピー』緊急事態。風呂場から呼び出しの音が聞こえた。

 本当に冬泉は仕方ない子だなあ! まったくもうなんだっていうんだい! 脱衣所へ急行。風呂場のドア越しに「どうした、冬泉?」「大変だよ、伊吹くん!」「いや用件を言いなさいよね」「シャンプーがないんだ!」「んんっ」「伊吹くん?」「いや。なんでもない」ああもうこの子は本当にダメね! 俺がいないと本当にダメなんだから! 仕方ないなあ! 俺がお世話してあげないといけませんね! ああ本当仕方ない!

 脱衣所の洗面台の下を俺は開く。そこにあった買い置きを手に取って「あったぞ」「さすがは伊吹くんだ!」「風呂のドア開けるぞ?」「えっちなハプニング、期待しているからね!」「お前がするなや」

 最低限だけドアを開き、隙間から新しいシャンプーを渡す。「あれ? 伊吹くん、これは不良品じゃないかい?」「は?」「だってほら、上の部分。引っ込んでいて押せないよ」まさか冬泉さん、新品のシャンプーを見た経験がおありではないと? どうなってんだ。「もうこのダメ人間っ! 仕方ないですねっ!」「なぜ嬉しそうに?」失礼なことを言う。

 誰が嬉しそうだというのか。冬泉は本当に俺がついていてあげないとダメだなあと思っているだけだこれは純然たる事実であり感情とかないんです。本当だよ。嘘じゃない。「ノズル回すんだよ」「おおっ、開いた! さすがは伊吹くん。なんて詳しいんだ」「さすがなのはそれを知らない冬泉さんのほうですけどね?」

 ミッションクリア、帰還する。


 手早く掃除を終わらせた俺は、そして冷蔵庫へ向かう。案の定、ロクな食材が見つからない。

 冷凍庫を開き、こんなこともあろうかと冷凍しておいた米を取り出す。もちろん、追加の食材も抜かりなく来る前に購入済みだ。そういえば入った瞬間に、倒れ伏す冬泉を見つけたショックで廊下に放置してしまっていた。引き返し、廊下からスーパーで買ってきた食材群を出す。

 まったく何も食べていないわけではないらしいが、それでも胃が弱くなっている可能性はある。雑炊でも作ってやることにしよう。これなら時間もかからないから、冬泉がシャワーから出てきたらすぐに食べさせてあげることができる。

 俺は、卵や分葱をビニールから取り出し、それ以外の食材を冷蔵庫に仕舞った。だしとかはさすがにまだあるだろう。そもそも消費量も少ないし。土鍋は、確か上のほうの棚にあったかな。おっと、冷蔵庫に海苔があるな。これも刻んであげるとしよう。

 調理開始である。


 てきぱきと準備を進める。正直、料理自体が得意というわけではないので、雑炊なんてメシ入れて水を浸してダシを突っ込みタマゴ溶いて火にかけてドン! みたいな程度だ。

 包丁や、卵を溶いた容器なんかといっしょに、すっかり溜め込まれた食器を一斉に洗っておく。汚れの強いものだけさっと洗ってから、購入した冬泉が「使い方がわからない」と諦めた食洗器に並べる。小さめだが楽ができていい。洗剤を入れて、スイッチオン。入りきらなかった大きめの食器だけ手洗いし、排水溝も処理。

 一度火を止め、再び脱衣所へ。


 掃除がてらまとめておいた脱ぎ散らかしの服をかごに突っ込み、脱衣所の洗濯機へブチ込んだ。

 今さら冬泉の下着に対する感慨などない。布。ガチャリ。戸が開――全裸。


 それは話が違ぁう!


「なぜ開ける!?」

「あ、いたんだ。気がつかなかったよー」

「嘘つけ、てか前隠せぇ!」

「でもぼくは、前々から言うように、おっぱいにだけは強く自信を持っている!」

「胸以外も見えちゃってるでしょうが!」

「…………………………………………あっ」がちゃり。


 冬泉が引っ込んだ。


「いやそこは考えてなかったのん!?」

「……いや、まあ、うん。さすがにそれは恥ずかしかった……あの、えっと……おっぱい以外は、あまり人様にお見せできるものでは……うぅ、やばこれマジで恥じゅい……」

「俺も恥ずかしいよ! 巻き込み事故で!」

「……あの。み、見えましたでしょうか……?」

「自分で見せに来たけどね君はね! すぐ顔を背けたからね! 俺が紳士でよかったよねホントね君はねもうね! ね!?」

「いやその、おっぱいのほうは見せたかったんですよ、本当に」

「それもそれで意味わかんねえんだよ俺は。なんなんだよその胸部に対する自信は」

「なら逆に訊くが、おっぱい以外のどこにぼくの価値があると言うんだ!?」

「それもう一周回って卑屈じゃない!?」


 俺は脱衣所から逃亡した。

 本当にもう。ああ。仕方のない奴。

 仕方ないな……俺が、必要だね……。

 うふふ……。


 している間に、脱衣所から身綺麗になった冬泉が帰ってきた。


「伊吹くーん。髪を乾かしてよう」

「はいはい。ほら椅子に座って。ドライヤー持ってきた?」

「うん」

「ならよし」


 俺はいつもの通り、風呂上がりの冬泉の頭を乾かしてやる。


「ふへー」


 こうしている間はなぜか冬泉も大人しく、子どもみたいにちょこんと座っている。

 かわいい。

 いつも静かならいいのに。


「いやあ、極楽だねい。ぼくは本当、伊吹くんがいないと生きていけないよ」

「本当そうだね。お前は俺がいないと本当にどうしようも……、……、……おやあ?」


 この辺りでようやく俺の《甘やかしたい衝動》が収まってきたらしく。

 そこで、はたと違和感に気がついた。


「ところで伊吹くん。お風呂上りにご飯を食べたいよ」

「――へ? あ、うん。雑炊作ってあるから、髪乾かしたら、また火を……おぉん?」

「あわわわわわわわ伊吹くーん?」

「あれ。待って。何これ。あれ。何。何してんの俺? あれ?」

「あたっ、頭、頭揺れるよ、伊吹くん? わわ。伊吹くん。これはなんの、あわわわ」

「あれ、ちょっ、違くない? 俺こんなことしに来たわけじゃなくなかった?」

「おぉいぃ。髪を、髪をわしゃわしゃしすぎだよ、伊吹くん。変なふうになるよぉ」

「――え? あ、ごめん……」

「うん。いや、別に伊吹くんならいいけれども……どしたの伊吹くん?」


 俺はドライヤーを止めた。

 そして考える。


 さて、俺はここに何をしに来たんだったか。

 もちろん決まっている。俺は、冬泉との幻覚妄想未来を変えるために来たのだ。




 ――今むしろその未来へ進んでませんでしたかね?




「伊吹くーん? さっきからなんか変だよ。どうしたのさ?」

「……なあ、冬泉。お前さ、その……これからはさ」

「うん?」


 背中を向けてこちらに座る冬泉。

 彼女は振り向くように、無垢な視線をこちらに投げてくる。


「いや、その――実は俺さ、つい今日まで、ちょっと倒れて入院してたんだけど」

「な!? だ、大丈夫だったのかい!? まさか、過労とかじゃ……っ」

「ああ、いやいや。そういうのとはぜんぜん違うんだけど。問題もないし。えっと、ただその、ほら。こういうとき、俺が来られないと、大変なことになっちゃうだろ?」

「何を言うんだ」


 冬泉は、言う。


「ぼくのことなんて気にしなくていいんだ。君の健康のほうがよっぽど大事だからね。養生してほしいよ。もしものことがあったら大変だろう」

「……えーと。あの、だから、その……少しくらいは、自分で、自分のことを……」

「ぼくのことなんてどうだっていいだろう。伊吹くんは今、ぼくがどれくらい心配したかわかっていないよ。こんなぼくにだって、たったひとりの友達を憂う心くらいあるさ」

「俺だって、……お前のことが心配だったんだよ」

「そうかい? それはぼくも嬉しいな。うん、ありがとう、伊吹くん。でも――」


 冬泉はまっすぐに俺を見ていた。

 冬泉はまっすぐに俺を見ていた。


「わかっているだろう? ――


 一点の曇りもない、それは無垢な子どものような笑みで。

 


「……いやいや。お前も、少しくらいは自分で生きる方法を身につけないとな」

「ぐぬぬ。なんて酷なことを言うんだ!」

「さあ、どうかな。少なくとも世間的に見たら、酷いのはお前のほうだよ――冬泉」


 まあでも。

 今日のところはとりあえず。


「……ご飯、食べちゃいなさいよね。今、用意してやるから」

「うん。久し振りの伊吹くんのご飯だからね、ぼくはとっても楽しみだよ!」


 それくらいしか、言えなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る