1-02『好都合男と不都合な未来予想(地獄絵)図』2

 ならんやろ

  そうはならんて

   なっとるが?  佐野伊吹


「…………知らない部屋だ。もう見たくない」


 ということで、短歌ができ申したね。でき申したね、ではない……。


 ちょっと頭が混乱しているのだ。

 妄言を吐いても、どうか大目に見ていただきたかった。


 今、俺は見知らぬ部屋にいる。あのとき見てしまった予知未来、じゃなくて幻覚妄想のせいで、《知らない部屋》という概念が若干トラウマになりつつあって怖い。

 とはいえ、今いる見知らぬ部屋の場所はわかる。


 要するに病院だ。

 真っ白な病室である。


 あの日、俺は未来を視、いや違う認めないそうじゃない、そう、思春期特有のピンクな幻覚妄想を見てしまい、そのままショックでぶっ倒れてしまったのである。

 そんなことある? あったんだよなあ……。


「大事はないみたいでよかったけど」


 病室のベッドの脇、備えつけの椅子に腰かける奈々那が言った。

 俺の絶叫(これは現実に響いたらしい)を聞きつけ、神社の境内にぶっ倒れている姿を奈々那が見つけたのだとか。そして、大慌てて救急車を呼んでくれたらしい。


「それでもしばらくは検査入院だってさ。ま、春休みが延びたと思いなよ」

「……そっか。いや、心配かけたみたいで悪かった。大丈夫だから安心してくれ。学校のほうはどうだ? もう始まってるんだろ」


 始業式の前日に倒れた俺は、そのまま丸一日以上を眠り続け、目が覚めた今はもう新学期二日目らしい。

 二十四時間以上、完全に意識を失っていたのは生まれて初めてである。

 いや何も嬉しくないが。


 今は新学期二日目の午後――放課後の時間。

 俺が意識を取り戻したという連絡を受け、奈々那は学校帰りに顔を出してくれたのだ。


「今年は、わたしと伊吹はクラス別れちゃったね。まあ仕方ないんだけど」

「仕方ない?」

「それは行けばわかるよ。伊吹はあと一日、二日は入院しないといけないけどね」

「みたいだな……別に体にはなんの問題もないんだけど」


 というか医者だって、未来予知の結果がショックすぎて倒れました、なんてことわかるはずもない。もう未来予知って認めるしかないですかね……。

 正直、クラス替えのスタートダッシュで何日も休むほうが気が重いけれど。


「バカ言わないの。原因わかんないなんて逆になんか怖いじゃん。大人しくしてなよ」


 奈々那にそう言われてしまえば、何も返せなかった。

 いやホントにマジで。あんなこと絶対誰にも言えないって。恥ずかしすぎる。


「なんか持ってきてほしいものとかはある? 着替えとかは先に佐野のおばさんが持ってきてくれたらしいけど。暇潰しとかさ」

「んじゃ、文庫本でも差し入れてくれるとありがたいかな。悪いね。空閑のおばさんたちにも、あとでお礼を言っといてよ」

「それは退院したら自分で言いなよ。わたしもそろそろ帰るし」


 さもありなん。

 奈々那の見舞いに改めてお礼を告げてから、暇な入院生活を味わうことに。


 ――とはいえ考えるべきことがないわけではなかった。

 無論、それはあの日、俺が神社の境内で見てしまった幻覚妄想について。そろそろあの光景が予知された未来であることと、正面から向き合わねばなるまい。

 どうやら俺は将来、あの冬泉小姫と結婚するらしい。


「…………」


 自分で考えていて恥ずかしくなる台詞だ。

 深層心理で冬泉に惚れていて、だからあんな白昼夢を見てしまったと考えるほうが自然だろうし、なんならそっちのほうがまだしも救いがあるような気もするが。

 残念なことに俺は、どう考えても冬泉には惚れていないし、あれは確実に予知だった。


 小学生以来、本当に久々の《未来視》だった。

 しかし、それがまさかあんな内容だとは。

 黒歴史なら黒歴史らしく過去から襲ってくるべきだ。黒歴史が未来に待っていると知らされるほうの身にもなってほしい。


 ――無論のこと俺は、あんな暗黒の未来を認める気はない。


 というか、あの……何。あの俺は何?

 あれは俺か?

 本当にあれが佐野伊吹か。


 冬泉のほうはまだ理解できる。

 奴は怠惰の化身だ。ニートになっても一切の不思議がない。むしろ働く姿のほうが想像しづらい。

 順当に進化した(つまり人類として退化した)冬泉は、あんなもんだろう。


 けれど俺はおかしい。

 俺がおかしい。

 なんなら冬泉より俺のほうがおかしかったレベル。


 なんだあのスーパーダーリンは。奉仕に快感を覚えていやがったじゃねえか。

 人類代表級怠惰こと冬泉にパラサイトされる事態に、何かしらイケない快楽を見出していた。


 ……俺、あんなんなっちゃうのん?


 由々しき状況であった。看過はできない。

 確かに、俺は他人の役に立つことが嫌いではない。いや、はっきり好きだと言っていいレベルだろう。昔から「他人に甘すぎる」と、奈々那にもよく叱られたものだ。

 しかし必ずしも、その優しさは褒められたことではない。

 実際、そのせいで幾度か失敗も繰り返してきた。

 それを反省して、高校に入ってからはちょっとずつ矯正も試みているし、実際それなりに上手くいっているとも思うのだが。

 やはり冬泉という例外が問題らしかった。


 このままではいけない。

 あんな未来は、はっきり言って終わっている。

 あれは決して美しい光景ではなかった。冬泉も、未来の俺ですら、今の俺からしても幸せそうに映っていたが――それでもだ。

 そんな閉じ切った関係を俺は望まない。


 つまり、


 ――俺はこれから、未来を変える戦いに挑まなければならないのだ。


 そんな事態が、まさか自分に起きるとは思っていなかった。未来へ挑むなんて、どこの少年漫画の主人公かって感じだ。ちょっと格好いい。

 まあ字面の格好よさと内情の落差はだいぶ酷いけれど。そういうことは今は忘れよう。


 元より、そろそろ冬泉にも真っ当な人間になってもらおうと考えていた。

 このままではふたり揃って堕落してしまう。俺と冬泉は、お互いがお互いにとって害とならない適切な関係を築く必要がある。社会に適合して暮らしていかなければならない。

 大の大人がふたり揃って倦怠の日々を送るなどあってはならない。

 冬泉だって、まさかあんな未来を望んだりはしないはず。あの日、神社で未来が視えたことは、むしろ天啓と取るべきだろう。


「俺が、冬泉を真っ当な人間にしてやればいい……!」


 かなり難易度の高いミッションであることは間違いなかった。俺は《未来では結婚してふたりで暮らしてるんだぜ》なんて死んでも言いたくない。これは隠さねばならない。

 その上で、あの激烈社会不適合人間を、果たして真人間にできるだろうか。


「……腕が鳴るぜ」


 差し当たっては冬泉に、まずは家事を少しずつ教えて行こうと俺は思う。

 あいつは、家事が本当に何ひとつできない。

 塩と砂糖どころか一味と山椒を間違うし、洗濯機を指して「なんか置いてあった箱」と豪語、掃除機など俺が言うまで所持してすらいなかった。

 あいつ、マジでなんでひとり暮らしなの? 事実上スーサイドでは?


 まあ構わない。

 俺は未来を知ったのだ。

 猶予はある。

 これからだ。

 退院したら真っ先に冬泉の家に向かって、あいつに家事を教え込む手段を考え――、


「……あれ?」


 そういえば、と俺は気づく。

 そう。

 俺は入院中だ。

 あと数日、病院から出ることはできない。


 ……さて。

 その間、いったい誰が冬泉の世話をするというのだろう?



     ※



「退院させてくれ人の命が懸かっている俺が冬泉を助けなくちゃ」という看護師さんへの直談判が「この子どうしましょうメンタルが危ういわ」と無駄に入院を引き延ばした。

 なんて物わかりの悪い病院だろう。

 あの医者は完全にヤブだ。何度も「俺がいないとあいつは死ぬ!」と言っているのに、担当医ときたら「そんなわけないだろう」の一点張り。まったく話が通じなかった。


 正論ですね。

 はい。

 でも正論は時に人を傷つけるからね。覚えておいてほしいです。ええ。


 結局、俺の退院は目が覚めてから三日後――四月十二日の金曜日まで待たされることとなってしまった。

 それはすなわち、最後に冬泉宅へ行ってから一週間後ということだ。


「……だ、大丈夫かな……」


 一度家に帰り、家族と退院を喜んでから、俺はそのまま自宅を出た。

 現在、時刻は午後一時。

 奈々那はまだ学校にいる時間だ。

 スマホで訊いたところ、少なくとも奈々那は新学期になってから、学校で一度も冬泉を見ていないという。凄まじい不安が俺を襲った。


『冬泉さんによろしくね』


 奈々那はそう言っていた。電話越しの口調は呆れ混じりのもので、『退院していきなり行くんだ? ふーん?』みたいなテンションだったが、コトはとにかく重大だ。奈々那もそれはわかっているのだろう。

 いや、マジで生きてるよね……? お願いします……。


 通い慣れてしまった、平日の昼間の道を行く。

 冬泉の住んでいるマンションは、通う高校から程近い距離だ。

 通学から通勤へのラグがなく実に通いやすい。バイトでもないのに通学と通勤を接続したくない事実は放置。

 この道を、制服ではなく私服で歩くのも新鮮だった。初めての経験だ。

 最寄りの駅からもそう距離はない。

 すぐに目的の高級マンションへと辿り着いた。


 なお合鍵は、会って三度目の段階でもう貰っていた。

 三回しかあったことのない男に合鍵を渡すの本当よくないと思う。


 けれど今回は好都合だ。

 十五階建てのなかなかお高そうなマンション――その最上階の角部屋に冬泉はいる。

 ロックの解除も一年の間に手慣れたもの。オートロックの玄関の自動ドア、その手前にある端末へ《一五一五》と部屋番号を入力し、鍵を差し込んで捻る。

 これで自動ドアのロックを解除して、マンションの中へと入れるわけだ。


 エレベーターで最上階へ。部屋の前に立つ。

 ひとまず、俺はチャイムを鳴らした。

 鍵があるから無断でも入れるのだが、何か倫理観というか、最後の一線を守りたい欲みたいなものがあって、これまでやったことはない。


 ――果たして反応はなかった。


 嫌な予感がする。

 こういうとき、中がどうなっているのかを予知できれば楽なのだが、生憎と俺の《未来視》が、あの神社への来訪以降、発動することはなかった。

 無論、自力で発動する方法なんて、何ひとつわかりゃしない。


「……開けるからな?」


 小さく、呟くように俺はそう言った。もう無断とかなんとか言っていられない。

 もちろんそんな小声が、ドアの奥に聞こえるはずもないのだが。自分の小市民性を感じながら、ドアにカギを差し込んだ。

 がちゃり、とこちらもオートロックのドアを開く。


 ――中に女が転がっていた。


「いや冬泉さぁん!?」


 思わず叫んでしまう俺。

 玄関のすぐ先、暗い廊下の真ん中に銀髪の少女が倒れ伏している。短パンにTシャツと、露出の割に色気が皆無なその格好が、俺にはずいぶんと見慣れた姿である。


「お、おい! 嘘だろ? そんな形で未来が変わるなんて、俺は御免だぞ冬泉っ!」


 慌てて靴を脱ぎ棄て、倒れ伏す少女――冬泉小姫に駆け寄った。

 その身体を抱き起すように、冬泉と顔を合わせる。七日振りの顔には覇気がない。


「どうした! なんでそんなふうになってる!?」

「あ――、」


 冬泉が瞼を開き、声を発した。意識がある。

 嗄れ声。喉で呼気が詰まったみたいに、冬泉はけほけほと咳き込んだ。


「しっかりしろ! 大丈夫か!? 俺のいない間に何があった!! ――お前、汗臭ぇな!?」

「あ、ああ……誰かと思えば。そのツッコミは……やっぱり、伊吹くん」

「判断基準ツッコミ!?」

「よかった、君に会えて……ぼくは、けほっ。ぼくは、最後に……君に、会いたかった」

「待て待てやめろ! そんな自然な形で遺言パートに入ろうとするんじゃない!」

「今まで、ぼくを世話してくれて……ありがとう。最後に、伝えたいことが……あるんだ。ああ、間に合って……よかった。あれ、なんでか涙が出てくるよ……」

「出てねえけど。いや出てねえけど!」

「あれ? えっと、ちょっと待ってね……今がんばって泣くから……」

「いらねえよ! おい。さてはお前、余裕あるだろ。これ演技だろお前、なあ?」

「最後に伝えたいことがあーる」

「戻るな。なかったことにするんじゃない。いいよ聞くよ、わかったよ、何!?」

「――一週間もぼくを放置するとか超許せないし死んだら絶対化けて出る覚えておけ」

「まさかの恨み言!」

「実際、この一週間はほぼ絶食だった」

「ねえ本当はバカなんじゃないですか冬泉さん!」

「一応は、ね? 作り置きの、ごはんで……しばらくは、凌いだんだ……」

「食べてんじゃん。なんで嘘ついたの?」

「問題は、その……あとさ」

「一応聞こう」

「君が、残してくれた……インスタントの、焼きそばを……作ろうと、したんだ……」

「じゃあ喰えよ」

「でも、ダメだった」

「何が?」

「お湯を切ろうと、したら、だ。麺もね、いっしょに、流しに消えたのさ……」

「インスタント焼きそばすら作れねえのかよ、お前はよォ!」

「仮初の希望……」

「インスタント焼きそばにそんな大仰な形容つけたの人類初じゃない?」

「で、でも……そう。あれはきっと不良品で」

「いや不良品はお前だよ、冬泉」

「その言葉、今マジで効きます……つらい……、お腹減ったよ……うぅ。だって、来ないなんて聞いてないじゃないか……ぼくは、ついに伊吹くんに捨てられたものかと……」

「う、ぐ……ぐ」


 ああ。ダメだ。

 こんなのはよくないとわかっているのに。

 どうしても耐えられない。我慢できる気がしない。

 


「……あああああもう本当にお前はさあっ!」


 腕の中の冬泉に告げる。

 ダメだ。俺は本当にダメなんだ。


 ――――。




「今すぐ食事にしてやるから、冬泉はシャワーを浴びてきなさいよねっ!」




 その言葉を聞いた冬泉が。

 ぱあっと、花が咲いたみたいに嬉しそうに笑ったことだけが、せめてもの救いだった。

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