1-04『好都合男と今日も風が語りかけてくる屋上』1

「おいおい、入院してたんだって?」「思ったより元気そうでよかったよー」「綺麗な看護師さんとかいたかー?」「今年も一年よろしくね、いいんちょ」――などなど。


 俺の心配をよそに、復帰一日目の学校の様子はことのほか温かなものであった。


 四月十五日。

 退院し、冬泉の自宅を訪ねてから、週末を挟んだ月曜日。

 始業式から一週間が経って、ようやく俺は学校への登校が叶っていた。二年時のクラス替えの結果も、ここでようやく知ることになる。


 幸い知り合いは多く、今年も学校では上手くやっていけそうだ。

 あえてマイナスポイントを挙げるなら、俺が入院している間にクラスの役職決めが完了してしまったらしく、知らないうちに二年続けて学級委員長を押しつけられたことか。


 別段、本来ならそこまで忙しい役職でもないのだが、冬泉と知り合ったきっかけが委員長職だったことを思えば、今年も引き受けるかは考えたいところだった。

 とはいえ、仮に休んでいなくとも、もし《やってよ》と誰かに頼まれたとき、果たして俺が断っていたか。

 自分の意思の弱さを、思い知ったばかりの俺だ。無理かもしれない。


 まあ、望まれたポジションであるのなら構わないだろう。


 ……今年も奈々那と同じクラスなら、また違ったふうになっていただろうか?

 そんなことを、少しだけ考えた。

 そして、意味がないことに気づいてすぐやめた。


 ちなみに冬泉も、俺と同じ二年一組らしい。もっとも今朝も登校していないし、やはり今年は、まだ一度も来ていないという。

 次に行くのは……さて、いつ頃になるやら。別に定期を決めているわけではなく、三日四日空いたらそろそろ行くか程度の考えだった。

 だから逆に連続して出向くこともあるが、おおむね三日くらいなら、冬泉が死なないということは経験則で学習していた。

 だからってギリギリは攻められないしね?


 本年度初登校の歓迎ムードに押されながら、席を教えてもらって、鞄を下ろす。

 ホームルーム五分前を報せるチャイムが鳴り響いたすぐあと、担任の先生が教室にやって来た。

 かと思えば開口一番、


「来てるな、佐野。よろしい。では本日放課後、生徒指導室に顔を出すように」


 ほかのどんな挨拶よりも早く、出頭命令が下された。


 ……なるほど。

 病室で奈々那が言っていたことの意味がようやくわかった。


 退院したばっかでいきなり呼び出しかー? などと茶化すクラスメイトたちの喧騒に、俺も曖昧な笑みを浮かべつつ答える。


「わかりました、――空閑先生」


 今年度二年A組担任にして、歳の離れた奈々那の実姉。

 空閑くが美海みみは、実に真面目な表情で頷いた。


「――ではホームルームを始める。日直、礼を」



     ※



 要するに、実の家族である生徒と教師が同じクラスにならないように、という配慮なのだろう。いや詳しいシステムなど正直、知らないが。


 ともあれ放課後、俺は呼び出された通り生徒指導室へ向かった。

 クラス全員の前で思いっきり呼び出しを、しかも朝から喰らったことでもわかる通り、美海姉――もとい空閑先生は、教師としてかなり厳しいほうだと思う。

 別に理不尽なわけではなく、要はいつも真顔で硬い表情をしているから、取っつきにくく見えるのだ。

 実際、性格も外見とあまり変わらない。

 教師としては若手ながら、生徒指導担当を任されているのもそれが理由と睨んでいる。


 少なくとも、知り合いだからという理由で、俺や奈々那に融通を利かせてくれるような甘さは持っていない。

 まあ俺にとっては家族という印象が強く、ほかの生徒たちのように恐怖までは覚えていない。甘くないだけで、姉としても教師としても好きだった。

 これから冬泉と付き合うにあたり、なんなら参考にすべきかもしれない。


「――失礼します」


 言いながら扉をノック。中からの「入れ」の言葉に従い、ドアをスライド。

 教室の広さに反してテーブルはひとつで、椅子の数も少ない。簡素な部屋ではあるが、俺にとって生徒指導室はすでに見慣れたものである。

 誤解なきようつけ加えておくと、俺は自分が指導の対象生徒として呼び出されたことは一度もない。むしろ逆に、指導する側として訪れていると言ってもいいくらいだ。


「座れ。茶を淹れる」


 挨拶もなく、端的に指示だけを言うような口調。奈々那と姉妹とは思えない態度だ。

 実際、珍しい《空閑》という苗字でもなければ気づかれないかもしれない。

 よく見れば顔は似ているのだが、やはり表情が違いすぎる。黒髪の美海姉とは違って、奈々那は髪の毛を脱色しているというのもあるだろう。


「ん。ありがとう、空閑先生」

「構わん。呼び出したのはこちらだ」

「頼ってもらえる分には、俺も嬉しいから大丈夫」

「…………」


 教師としての仕事中に《美海姉》と呼ぶと怒られる。

 とはいえ、口調までは目くじらを立てられないため、敬語は使わない。無論、ふたりきりだからというのもあるが。


 椅子に座り、少し待って湯呑みを受け取った。

 ひと息。お茶に口をつけ、俺のほうから先に訊ねた。


「えーと……冬泉の件だよね?」


 何を隠そう、最初に「冬泉の家に行け」と俺に命じたのが美海姉だった。

 去年は担任でこそなかったが、生徒指導は担当していた。同クラスの委員長だった俺に、引きこもりのところまで連絡物を届けに行く仕事を任命したわけだ。それが最初のきっかけだった。

 問いに、美海姉はこくりと頷き。


「それもある」

「それも……?」


 含みのある言い回しだ。ほかにも何か用件があるらしい。

 ただ、美海姉はそこには言及せずに。


「退院後、冬泉の家には行ったか?」

「あ、うん、まあ。退院してすぐ、金曜には」

「……そうか。どうだった?」

「どうもこうも。いつも通りかなあ、冬泉自身は。入院で一週間くらい行けなかったし、危うく死にかけてたっちゃ死にかけてたけど……それも含めていつも通りだよ」


 本来、それを含めていつも通り、では困るなんてものじゃないのだが。

 残念ながら、それが冬泉小姫という女である。


「変わらず、ということだな。よくわかった」


 小さく頷く美海姉。身長が結構低めで、言葉少なだから、こういうちょっとした動作が子どもっぽくて結構かわいらしい。

 ちなみにこれを言うと、美海姉は照れて赤くなるのでオススメだ。


「……学校側は、これ以上は干渉するつもりもないようだが」


 そう、美海姉は言った。俺は問い返す。


「つまり、空閑先生は違うんだよね?」

「今年は担任だ」


 端的な答えに息をつく。それだけが理由でもないだろうに。


「確かに冬泉は成績優秀者だ。入学以来、模試でも常に全国トップクラスを落とさない。だが出席日数を予備テストでカバーし、ギリギリを計算するようなやり口は、教師として看過できないだろう。とはいえ、言って聞くような奴でないことも、わかってるがな」

「まあ実際、……マジで頭はいいんだよな、冬泉」


 単に秀才なわけではない。

 ていうか、あの女が勉強にかける時間は相当少ないと思う。

 最低限でトップを維持できる要領のよさが冬泉の本領なのだ。


 俺自身、中学生までは学年トップに近い成績を修めていたからわかる。

 まあ当たり前の話でもあるのだが、高校生にもなれば、勉強はものなのだ。地頭がいいから勉強しなくてもテストで点が取れる、なんてのは通じなくなってくる。

 それを本当に最低限度の、しかも授業をほぼ受けず自習だけでこなしているのだから、冬泉は天才的だ。

 本当に頭がいいってのはこういう奴を言うのか、なんて、昔はちょっと感心してしまったくらいである。


「正直、あそこに行ってるお陰で、俺の成績もかなりよくなってるし……」


 テスト前なんかは、冬泉に要点を教えてもらうのだ。そこを押さえておくだけでもかなり違う。

 身の回りの世話をしてやる分の報酬は、ある意味で支払われているわけだ。


「どうだ、佐野」


 と、そこで美海姉は言う。


「どう……って?」

「冬泉の話だ。今年はもう少し登校日を増やすように変わる気配はないか? 佐野だってもう二年、受験も視野に入れなければならない。これまで通りは通えないだろう」

「んー……それはその通りだと思うけど。でも美海姉」

「空閑先生、な。なんだ、お前から言ってもダメなのか?」

「あ、ごめん。ただ期待はしないでほしいかな。あいつ、そういうとこかなり頑固だし。一応また俺からも言ってみるけど、たぶん俺には何もできないと思う」

「それでいい。私だってお前に責任までは求めない。本当は頼むのも心苦しいが、難しいところでな。佐野、お前なら……冬泉にいい影響を与えられると思う」

「……どうだろうね」


 それは期待が重すぎる。

 ある意味、俺がいちばん悪影響を与えている可能性もある。

 将来的にあいつをニートにする下手人が、俺という試算も出ているところだ。


 うーん、まったく笑えない。


「とはいえ、甘やかすのもほどほどにしておけよ、佐野。こういうことを頼んだ上で言うのもなんだが、昔からお前は他人に甘すぎる。それは結果的に冬泉のためにもならない」


 ピンポイントの忠告にドキッとした。

 さっと顔を背ける俺。その態度に呆れたのだろうか、美海姉は溜息をついた。


「はあ……わかってるとは思うが、お前が最後まで面倒を見てやれるわけじゃないんだ。結婚して一生面倒を見るというのなら話も変わるが。それとも、まさかそのつもりか?」

「そ、」

 超焦った。

「ん! な、……ことっ! あ……るわけないじゃない」

「……おい。伊吹?」


 俺の態度のおかしさに、美海姉のほうが呼び方を変えてしまっていた。

 いや。いや違う、そんなつもりはまったくない。本当に。


「まさかとは思うが、自宅へ行くのにかこつけて不純な交友をしているなんてことは――」

「ないないない、絶対ない! それは、それはない!」


 勢いきって否定する。

 むしろ俺は、それを最後まで避けようとしている紳士であるのだからして。

 慌てる俺に対して、美海姉は再びの溜息を零し。


、ね……」

「……いやその」

「まあいい。少なくとも私は、伊吹。お前を信用している。最終的な責任は私が取るさ」

「……そんなことには、ならないから大丈夫。美海姉に迷惑はかけない。絶対」

「空閑先生だ、佐野」

「先に伊吹って呼んだのは美海姉だよ」

「む……、そうか。そうだったな。つい出てしまった」


 薄く微笑む美海姉。

 昔からずっとよくしてくれている姉代わりだ。美海姉を失望させるようなことだけは、絶対にしたくなかった。


「まあ、そういうことだ。学年も変わったことだからな。お前が行くのではなく、冬泉のほうを学校へ来させる形へ徐々に変えていけ。本来はそれが自然だろう」

「……わかった。うん。ありがとう」


 実際、まさか美海姉だって、俺がここまで冬泉に構うことになるとは思っていなかったはず。家事までやって面倒を見ているのは、あくまで俺の独断だ。

 本質的にはむしろ、美海姉はそれを、俺にやめさせたいと思っているのかもしれない。


「さて。話は変わるが佐野、お前にひとつ頼みがある」


 と。そこで美海姉は場を切り替えるみたいに、そんなことを言った。


「頼み? って言うと、冬泉の件とは別にってことだよね?」

「そうだ。冬泉の件とは違って、こっちは正式にお前に頼んでみようと思っている」


 いったいなんの話だろう。学校関係のこと、という意味だろうか。


「えーと?」

「……保健室登校、という言葉を聞いたことはあるか」


 どこか言いづらそうな美海姉。

 なるほど……。俺もそれで納得する。あまり面白い話ではなさそうだ。


「オッケ。まあだいたい、言いたいことはわかった」


 俺は答える。

 おそらくはひとり、保健室登校になっている生徒がいるのだろう。

 いじめか、あるいは何か別の理由か。冬泉の一件から、俺が話し相手になれないか白羽の矢が立ったわけか。

 美海姉はこくりと頷き、


「む、そうか。察したなら話が早い」

「まあ、その切り出しならね」


 そして言った。


「実は生徒にひとり、屋上登校をしている奴がいるんだ」

「ごめん美海姉、俺なんにも察してなかった」


 ――そんな自然な感じで聞いたこともない概念が登場するとは思わなかった。


 いや。

 いや屋上登校って何。

 それどういう意味?

 さすがに予想していませんよ?


「だから佐野。学校では空閑先生と――」

「ごめんだけどそうじゃなくて。そこじゃなくて。……屋上登校って何?」

「言葉通り、屋上に登校するということだ」


 そうはならんやろ。

 いや、さすがにそうはならんやろ。

 なっとる? あ、さいで……。


 いやいやいや。


「ど、え、……それどういうこと?」


 あまりに普通すぎる質問をしてしまう俺。

 いや、まあ、言葉の上での意味ならなんとなくわからないこともないのだが。


「ていうか、ウチの学校って屋上に入れたの? 俺、一回も行ったことないんだけど」

「確かに通常の場合、生徒の立ち入りは原則的に禁止という慣例だ」


 なんだか持って回った言い方をする美海姉。


「えーと。つまり例外がある、ってことでいいんだよね?」

「授業ないし課外活動、あるいは災害時などが例外に当たるな。今回はふたつ目だ」

「……課外活動をしている、って? いや、でも」

「硬い表現をしたが、要するに所属する部活動によっては、屋上の鍵を手に入れることができる、というだけの話だ。彼女は天文部に所属する、唯一の生徒なんだ」


 彼女……つまり女子生徒なのか。

 いや、それよりも。


「この学校に天文部なんてあったんだ……それも知らなかった」

「無理もない。本来、天文部は廃部になる予定だった」

「廃部? ああ、そういえば唯一の部員って言ったっけ。でも今年の新入生が入る可能性あるんじゃ……」


 話の流れで、俺は上級生を予想していた。廃部になる部活の唯一の生徒、という説明を聞いて、一年生を想像するほうが無理があると思う。

 けれど、そこで美海姉は首を横に振って。


「そうじゃない。その生徒は一年だ」

「一年生? 一年で、廃部になる予定の部の唯一の部員……? 意味が、よく……」

「周辺の情報はあとで説明する。別に本人から聞いいてもいいしな。私が頼みたいのは、佐野――要はその生徒の話し相手になって、授業に出るよう説得してくれということだ」


 先に言うべきだと判断したのか、美海姉は依頼の結論を口にした。

 こういったことで、美海姉が――空閑美海が俺に頼るなんてのは酷く珍しい。プリント届けてほしい程度ならともかく、この話はそれなりに重いだろう。


「加えて言っておこう。少なくとも現状、いじめやそれに類する問題は確認されていない。入学からまだ一週間程度だし、そもそも彼女はほとんど授業に出席していない。この件は冬泉のそれとはかなり場合が違うと思ってくれ。でなければそもそも頼まないしな」

「……わかった」


 事実だけを陳述するような美海姉の口調。聞きようによっては、それが冷たく聞こえてしまうことは否めないだろう。

 だがそれが、美海姉なりの優しさであることを俺は知っている。不器用だが、思い遣りある人だと知っているから。こういうのが、美海姉なりの真摯さなのだ。

 そんな美海姉の頼みを断ることが、俺にできるはずもなく。


「やるよ。もちろん成果は約束できないけど、後輩と話してみるだけなら断る理由なんてない。新しく友達になれるかもしれないし、まあ、とりあえず任せてみてよ」


 大船に乗ったつもりで、とまでは豪語できないけれど。

 誰かに頼ってもらえるのは悪い気分じゃない。誰かの役に立てている間は、俺もここに存在していいのだと、そういう評価を貰えている気がするから。


「……まあ、お前は断らんよな。正直、だからこそ言い出しにくかったんだが……これは断ってもいい話だぞ。それはわかってるな?」


 引き受けたというのに、美海姉はむしろ複雑そうだ。

 俺は苦笑する。もちろんわかった上で受けた。


「やりたいからやってるだけだよ。むしろ俺に言ってくれてありがとうって気持ち」

「……伊吹」

「実際、その程度なら負担にもならないしね。今から行けばいい?」

「ん、ああ……そうだな。もしかしたらもう帰っているかもしれないが、おそらく屋上にまだいるだろう。今日から顔を出してくれるか? 名前は――」

「いいよ、本人に聞く。教師に言われて来たなんてのは、あんま歓迎されないだろうし」


 少なくとも、冬泉の世話をしているよりはだいぶ健全だと思う。

 美海姉はそれでも何か言いたげだった。半ば強引に、俺が話を切り上げようとしていることに気づいているのだろう。

 けれど結局、特に何かを言うことはなかった。


「いや、……わかった。お前なら彼女とも上手くやれるだろう。期待している」

「それは嬉しいね。じゃあ、行ってくるよ」


 なんにせよ珍しい美海姉の頼みごと。その対象が、ほかの誰でもなく俺だったことが、俺にはとても嬉しかった。人に頼られることほど嬉しいことはない。

 無論、それが自分の手に余ることなら話は別だけれど。




 ――頼られることで、と資格を貰えた気がしていた。

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