1-06『好都合男と今日も風が語りかけてくる屋上』3

 まあ、なんだ。まだ少し話しただけではあるが、一応それなりにキャラが掴めたという感はある。

 とりあえず、変わり者であるという点だけは間違いないのだろう。


 どうして俺の周りにはこういうタイプが集まるのやら。

 別に冬泉や銅後輩に限った話ではなく、どうも昔からそうなのだ。それが嫌というわけじゃないが、小さい頃から不思議には思っていた。


「銅後輩は天文部員なのか。まだ仮入部期間じゃなかったっけ、確か?」


 話題の糸口を探して、俺はそんなふうに訊ねてみる。

 その言葉に、わたわたしていた銅後輩は、なぜかきょとんとした顔で。


「……まだいらっしゃったんです?」

「えぇ。何それ、さっさと帰れってこと……?」


 からかいすぎて嫌われてしまったのだろうか。いや、普通のことしか言っていなかったはず。

 とはいえ目的を考えれば、多少は合わせてやるべきだっただろう。失敗したか。


 だが銅後輩は、問いにふるふると首を振り。


「あ、いえ。すみません、別にそういう意味ではなく」

「はあ……?」

「普段だったら、話してる相手がもうとっくに呆れて帰っている頃合いですので。あいやもちろん、そんなこと気にしてないのですけれど。ぜんぜんしてないのですけれど」

「強がりが弱い……」


 結構、悲しい気持ちになっている俺だ。

 その下手人たる銅後輩は、なぜかこちらをまじまじと見つめて。


「……ええと、部活のお話でしたっけ? わたしはもう普通に入部届を出しましたよ」

「へえ、早いんだな」


 別に仮入部期間でも、入部届自体は普通に受けつけているか。考えてもみれば。


「前の天文部部長が知り合いだったのです。もう卒業してしまって、今は大学生なのですが。天文部に入れば屋上が使い放題という話を聞いて、のこのこ騙されたわたしですな」


 ぽやぽやと説明する銅後輩。


「騙されたという表現はともかく、なるほど。そういうことだったのか」


 去年の段階で、その名も知らぬ三年生の先輩しか部員がいなかった。

 ゆえに勧誘もせず廃部を待つだけだったのだが、天文部員氏の卒業と入れ替わる形で銅後輩が入った。

 学校側としても、入りたいという生徒を蹴ることまではしなかったわけだ。


「完全に騙された形です。天文部に入れば、屋上が使い放題だなんて。そんな美辞麗句にほいほいと乗せられたわたしは、実にお持ち帰りが楽な初めちょろちょろ中ぱっぱ女」

「銅後輩の言葉のセンス、割と俺、嫌いじゃないよ」

「はあ。え、普通に喋ってるだけですけど……? センスって何が」

「こっちの話。それより、騙されたってのはまたどういう意味? 実際、屋上はこうして使えてるわけじゃん」

「ふ」


 銅後輩一流の『ふ』を頂いた。


「……部室、ないんですよね。天文部……」

「……あ、そうなんだ……」

「とっくにお取り潰しになっているそうで。屋上のスペアキーだけはこうして天文部員が個人で引き継いでいますが、それも昔は部室に置かれていた鍵を、ごたごたしてるうちに勝手に処理しちゃったみたいな、そういう案件な模様です。……片棒を担がされました」


 銅後輩が制服のポケットから取り出した鍵が、ちゃらりと音を鳴らす。

 事実上、それは学校の屋上の鍵を、個人で所有しているに等しい。卒業したという天文部の部長が、こっそり使っていたということだろう。

 あまり褒められた行為ではない。


「まあ、羨ましいけどね。屋上を自由に使い放題ってことじゃん、それ」

「自由に部室を使えるほうが、どう考えてもよくないですか……?」


 そんな正論を言うなよ。お前が。


「あー、でも格好よくない? 俺も使いたいくらいだよ。屋上なんて初めて来たし」

「……ふ。佐野せんぱいは意外とお子ちゃまですね。そんなに羨ましいですか」


 風に揺られながら銅後輩が鼻で笑う。

 無駄にイラっときた。こうも格好つける奴に言われたくない。


「ま、まあ? どうしてもと言うのなら、ええ。佐野せんぱいには特別に、屋上をお貸しすることも吝かではありませんよ。いや本当ラッキーですね、佐野せんぱいってば」

「…………」

「わたしも、この美しい空間を独り占めする贅沢は甘受し尽くしたところです。ところで佐野せんぱいは、人の縁というものを信じますか? 運命。わたしはあると思うんです。こ、ここでお会いしたのも何かの縁。せんぱいさえよければいつでも来てください。歓迎しますよ。あ、えと、なんかして遊びますか? じゃ、じゃんけんとかします……?」


 やだ、この子ってばめっちゃ嬉しそう……。

 ちょろい。ちょろすぎる。しかも明らかに人恋しい感が出ている。泣ける。


「……そうだね! 銅後輩がいいんなら、ときどき顔を出させてもらおうかなっ!」


 思わずそう答えてしまった。

 いや、言えんて。断るとかこの空気でできんて。無理やて。


「あ、ほ、ほんとですかっ!?」


 俺の言葉に、銅後輩の表情がぱあっと明るくなる。


「えっと……うん。ほら、せっかくこうして出会えたことだしね?」

「……お、おほんっ。まあ? わたしとしましては、こう、ひとりの自由を味わう場所として重宝していたのですけれどねっ。しかし、そこまでして頼む佐野せんぱいを見捨てるほど、わたしも人の心というものがわからないわけではありませんから。……えへへぇ」


 だってこんなに嬉しそうなんだよ?

 これが裏切れますかと。俺には絶対に無理です。


「まあ、うん。これからよろしく、銅後輩」

「あ、はい」


 こくり、と頷き。


「ところで、佐野せんぱいはどうして屋上へ? 使えるの知らなかったんですよね。だったら普通、こんなところまで来ないと思うんですけど」


 銅後輩はそんな疑問を投げた。


 おっと。思いのほか鋭い銅後輩の指摘に、俺は思わず閉口する。

 ぶっ飛んでいるようでいて、頭の回転は意外に早い。そういう部分は。なんだか冬泉を彷彿とさせる感じだ。

 気を抜いていると、ときおり鋭く急所を突かれてしまう。


「さては、やっぱりさっきのは佐野せんぱいの強がりで、実は友達がいないのでは?」


 鋭いって褒めた直後に的を外してこないでくれ。

 いったい俺にどんなキャラを期待しているんだ。


「実はな、ここには美海姉――空閑先生に言われて来たんだよ」


 少し考えたが、俺は結局、隠さずに事実を言うことにした。

 そのほうが銅後輩に対して誠実だろう。そう思っての言葉だ。


「はあ。空閑先生、と言うと……」

「あ、言ってもわかんないか。生徒指導部で、俺の担任なんだけど」

「いえ、わかります。天文部の顧問の先生ですよね。いつも怒ったみたいな顔した、怖い女の先生」

「……まあ、そう」


 本人が聞いたら、またわかりづらく落ち込みそうだ。


「てか美海姉、天文部の顧問だったのか……それでね」

「それがどうしたんです?」


 こくりと首を傾げる銅後輩。表現を考えつつ、俺は言った。


「一年に、いつも屋上登校してる奴がいるって聞いて。それでちょっと話しにきた」

「――つまり、佐野せんぱいは」


 すっと、そこで銅後輩の目が細められる。

 少しだけ声が低くなった気がした。


「わたしがクラスに馴染めなくて教室にも行けなくなったのを知ってて来たんですか?」

「……実際、そこまで詳しいことは知らないけど。でもまあ、そうだ」

「わたしに同情して、ですか? 佐野せんぱいがわたしを助けてくれるっていうんですか」


 どう答えるのが正解なのだろうか。

 あえて捻らずまっすぐに告げてみたのだが、これは失敗だっただろうか。

 俺は、小さく首を振る。


「そういうわけじゃ、ない。別に同情してるつもりは――」

「えっ違うんですか!? 助けてくれる流れじゃない!?」

「……、あれえー?」


 なんか思っていた反応と違う。

 銅後輩は愕然とした表情で。


「な、なんですか、そんな期待だけ持たせて。自慢じゃありませんが、入学から一週間、わたしはまだクラスの誰とも口すら利いたことのない女ですよ?」

「えっ、と……それは確かに自慢じゃないけど」

「そこで佐野せんぱいという、高校に入って初めてのお友達が、わたしをこう、なんだか華麗に助けてくれる的な流れじゃなかったんですかっ。見捨てるんですか!?」


 まさか普通に期待されているとは思わなかった。

 あ、そういう感じなんだ。そういうテンションなのね。

 それちょっと予想外だった。


 何よりも、至極あっさり俺を友達だと思ってくれているのが意外すぎる。


「……銅後輩は、普通に授業に出たいっていう意志はあるんだな?」

「いや、当たり前じゃないですか。じゃなきゃ高校に入学する意味なくないですか?」


 ――おい聞いてるか冬泉、ぐうの音も出ない正論来たよ!


 その通りだった。

 その通りすぎて不覚にもびっくりしちゃうくらいその通り。


「わたし、――お友達が欲しいんです。いえ、そんな贅沢は言いません。せめて、せめて普通に、学校に通えるようになりたいです」

「……そんなものはな、銅後輩。贅沢でもなんでもないよ」

「そうですか……? えへへ、そう言っていただけると心がコサックダンスを転びますね」

「うん。……それはわからないけれども」

「佐野せんぱいは優しいので好きです。わたし、久々にお友達とお話ができましたっ!」

「…………」


 今さらのように、美海姉が『冬泉とは場合が違う』と言っていたのを思い出す。

 あいつは、自らの意志で不登校になっている。友達が欲しいとも別に思っちゃいない。なんなら高校なんて辞めたっていいと考えているだろう。

 それが本意なら、別にいい。


 けれど、銅燐は逆だ。

 彼女は友達を欲しがっている。普通に学校に通いたいと、そう願っている。彼女の屋上登校は、彼女の意志に反した行いなのだ。


 それならば。


「……教室に行けないのか?」


 俺は銅後輩の隣に移動しながら、そう訊ねる。

 手すりに肘をつき、まっすぐ遠くを眺めるようにして。


「そう、ですね。そんなふうになるなんて、わたしも思ってなかったんですけど。高校に進学すれば、そうすれば普通に通えると思ってたんですけど。行ってみたら、なんか、思ったよりも……ダメで。あはは、すみません。初対面なのにこんな話」

「…………いや」咄嗟に。


 俺は自分の心臓を右手で強く押さえつけていた。


 ――嫌な想像が脳裏に浮かぶ。


 悔恨が。という覆せない過去が俺を苛む。

 後悔することすら罪深いほどの失態。

 俺は、俺には何もできないという事実を、認めるべきはずだった。


 ああそうだ、そのはずだ。

 そうでなければならない。


 同じ過ちを繰り返すつもりでいるのだろうか。俺は自分を過信してはならない。

 甘さは優しさとは違うものだ。

 人を助けるということの重さなら、充分に理解したはずだろう。




 ――ほらね、伊吹くん。

 やっぱり君じゃ、私を助けられなかった――。




「佐野せんぱいとは不思議と話せるので嬉しいです」


 銅後輩は言う。

 俺以外とはと、言っているも同然だった。


「なんででしょう? やっぱり先輩で、同級生じゃないし、ここも教室じゃなくて屋上だからですかね。それとも、佐野せんぱいをお仲間だと初めに勘違いしたから……?」

「……なんとかして俺を同類にしようとするのをやめろね?」

「ひとりって寂しいんですよ、せんぱい。ひとりの夜なら素敵でも、ひとりの昼は……」


 あの件は、美海姉も知らない。俺と彼女以外の誰も。

 でなければ俺は、屋上で銅後輩と会うことはなかった。

 おそらく美海姉は、知っていれば俺を選ばなかったから。


「そうでしょうか?」


 こくりと、首を傾げた銅後輩が、俺を正面に見つめる。

 屋上の柵の前。ほかに誰もいないふたりだけの空間に俺はいる。


 ――そんな状況で、俺は。


「ああ。せっかくこうして友達になったんだから。それだけで進歩だろ」

「それなら、せんぱい。――不束者ですが、どうかわたしを助けてくれますか?」


 まっすぐな双眸に見据えられる。

 わかっていた。これはきっと明白に間違った選択だ。

 俺にはなんの責任も取れない。

 そんなことは痛いほど理解している。

 学習し、反省し、かつて犯した過ちを、繰り返すことなく糾すのだと――奈々那にも誓ったはずなのに。


 それでも。




「――任せろ。俺が、お前を助けてやる」

「おお。さすがせんぱい、とっても頼もしいのですね」




 俺はまた、同じ失敗を繰り返そうとしている。


 銅燐は俺に頼った。

 助けてほしいと、確かに言った。


 それを、俺は見捨てられない。

 見捨てることだけは絶対にできない。


 この選択がどんな結果を生むか、なんの保証もないのに。

 冬泉のことだって、俺は解決できていない。

 これ以上に背負えるものなんてあるはずもない。

 何よりそんな自分の甘さが、というのに。

 俺は。


 自分へ延ばされた手を振り払うことだけは――たとえ死んでもできる気がしなかった。

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