1-09『好都合男とぽんこつダメ少女たちとの日常』3
「んはは。なんぞ最近、忙しそうにしとるみたいやん、伊吹」
昼休みが終わり、銅後輩と別れて(彼女は屋上に残った)教室に戻る。
声をかけられたのはその途中で、中学時代からのツレでもある
「なーんて。それはいつも通りのことだったっけか。なァ、ご同輩?」
「なんか用か、恵介?」
「んにゃ、別に。トイレ寄った帰りだよ。新学期早々、景気がよさそうだなっちゅー話」
「……それは皮肉か……?」
にやりと笑みを浮かべる糸目の男。
人好きのする笑みなのだが、なにせ目が開いているようには見えないため、何か腹黒いことを画策しているみたいな雰囲気がある。
なお雰囲気だけだ。
別に何も企んでいないのに、常に何か企んでいるように見えるのが恵介の特徴なのだ。
実際より腹黒に見られるというのだから、普通に考えればデメリットだろうが、当人はむしろ、それを含めて状況を楽しんでいる嫌いがあった。
「まあ忙しいのは否定しないけどな。つい最近まで入院してたんだし」
「あァ、そうそう。お前ほんと大丈夫なんだろな? 奈々ちゃん、お前がぶっ倒れたって話するとき、かなり顔面蒼白だったんだぜ。埋め合わせはちゃんとしとき、マジで」
奈々ちゃん――とは奈々那に対してよく使われる愛称だ。《な》が三つ続く名の響きを当人はあまり気に入っていないらしく、そう呼んでほしいと言っているのだ。
俺の場合は、昔からの呼び名ですっかり定着してしまっているが。奈々那自身も別に、そこまで強く気にしてはいないらしかった。
喋り方まで胡散臭い恵介だが、言っていること自体はもっともである。
俺は頷き、
「それもそうだな。どうするか……」
「デートでも連れてってあげたらどうだ。そんくらいは男の甲斐性だろィ」
「……それ、埋め合わせになってるか? 俺が楽しいだけだろ」
「んはは」
何が面白いのか恵介は笑う。
まあ、こいつの場合はいつもだいたい笑っているが。
「だいぶ心配してたんやぞ、奈々ちゃん。個人的に話聞いたけど、神社で倒れてたって話らしいじゃん。それ、奈々ちゃんが見つけたんだろ? 誰だって焦るって」
「……別に大したことないんだけどな」
「お前……だからそういうとこやっちゅーの」
俺の言葉に、恵介が眉根を寄せる。
目がほぼ見えないため、こいつの表情は眉で判断しなければならない。
「ご同輩。別にお前が嘘ついてるとは言わんけど、いきなり意識失ってぶっ倒れるなんて結構な話じゃんか。それで当のお前が、自分の心配一切しとらんっちゅーんだから。そら奈々ちゃんも気ィ張るってもんだ。だろ? あの青い顔、お前も見とくべきだったなァ」
「ん……」
俺にしてみれば《未来を視てしまったショックで気絶した》という、間抜け極まりない事実が明白で実感がないが、確かにこれは、見た側にだってショッキングだろう。
その辺り、言われてみれば意識から抜けていたような気もする。
外側から見たとき、俺は前触れもなくいきなり意識を失って病院に担ぎ込まれたのだ。しかも数日間は目覚めることすらなかった。
健康体であることは検査でも証明されているが、何か大怪我や重篤な病気に罹ったのではないかと、そう考えるほうが自然だった。
俺だって奈々那と逆の立場なら、心配でしばらく傍を離れない。
「つかよ、伊吹。お前さん、昼はどこ行ってたんだ? さっき食堂で見かけたけど、奈々ちゃん割と機嫌悪げだったべ? そういうの、大抵はお前さんのせいだろィ」
「あー、ちょっと屋上にな。後輩とメシ食ってたんだ」
後半はともかく、前半は隠すことでもない。
答えた俺に、恵介は丸く目を見開いて。
「……女子か?」
「いや……、まあそうだが」
「へェ。そらやるやんけ、ご同輩。まだ一週間かそこらで――いや、伊吹の場合は最初の一週間は入院してたってのに、もう後輩に手ェ出してたんか。お盛んなこって」
「お前な……」
「んはは、まァ冗談冗談。伊吹にそんな甲斐性ないんは知ってっからな。つーかご同輩。お前さんの場合、むしろ相手に手ェつけられることのほうが心配になってくるわな」
それもそれでどうなんだ、という気分である。
信用があるんだか、ないんだか。まったく釈然としない気分だった。
それでも恵介は、軽く肩を竦めるようにしながら嘯く。
「や、これマジな話でな。いつかお前は、どっかの誰かに強引に捕まえられて、一生寄生されたまんま暮らしていくんじゃねえかという危惧があるわけさ。友人として心配だぜ」
「そんなこと――」
そんなことが。
「……いや。あるわけないじゃないですか」
「お前、そんな急に不安になるリアクションすんなや。おいマジかよ。まさか心当たりがあるとか言わんよな? 大丈夫かよ……」
割と素のリアクションを返してくる恵介だった。胡乱げに目を(おそらく)細めている。
もちろん、大丈夫に決まっている。はず。……たぶん。
「なあ、恵介。お前ならどう思う? もしも、未来のことが予知できたと仮定して」
ふと気になって、俺は予知未来に関して訊ねてみることにした。
この男なら、どんな雑談でもそれなりに考えた答えを返してくれるだろう。
「そのとき、自分にとって不都合な未来が視えたとしたら、どうする?」
「また妙な質問だな。なんだよ、ご同輩。将来に不安があんのか?」
「それは……もうないほうがおかしい時期だろ。高校生活もあと二年だしな」
「そらそうだ。つっても、そんなん場合によるとしか言いようがないぜ。たとえば地球に隕石が衝突して、人類が滅亡する未来を予知したとして。そんなんどうしようもねェ」
「まあ、それは確かに。なら、もっと個人的な未来ならどうだ?」
「受験に落ちるとか、か?」
「んー……だいたいそういうことかな」
「そうだな……」
少し、考え込むように俯く恵介。歩くスピードが少しだけ下がった。
こんな下らない質問でも、一応は考えてくれる辺り、付き合いのいい奴ではある。
やがて、考えを纏めた恵介は顔を上げると。
「――でもまあ。別に、何もしないんじゃないか?」
正直、予想していなかった考えを言葉にした。
「何もしない? え、だって、そのまま行ったら――」
「特別なことは、って意味だよ。それまで通り受験勉強はがんばるけど、だからって根を詰めたりはしないと思う。まあ最悪、死ぬわけじゃねえしな」
「……なんでなんだ?」
「だってお前、自分で見た未来を変えられる保証なんて、どこにもないやろ?」
「――――、ああ」
「足掻いて足掻いて、それで最後に、運命だから変えられませんでした、なんて言われてみろ。無駄に気に病んだ分だけ損じゃねえか。だったら考える意味ねえやな」
それが自分にはない発想だったと自覚して、俺は思わず閉口した。
だが、確かにそうだ。
俺があの予知未来を、必ずしも変えられるとは限らない。
もしもあの予知が運命で、もう確定した未来だというのなら、俺の足掻きには何ひとつ意味がない。
というか思い出してみれば、過去、自分で予知した未来が変わったことなんて、一度もないではないか。未来が変わってしまえば、それが予知だったことにも気づけないのだ、当然ではあるけれど。
俺は、俺の予知がその通りになった結果しか、視たことがない。
「そりゃ、たとえば《いつどこどこで事故に遭う》とかわかってんなら、その時間、その場所には近づかんとか対策も取るけど。でもお前、それで回避できるとすら限らねえわけじゃん。運命が収束して同じ結果になるー、的な? SFならお馴染みの設定やろ」
「…………」
「第一、予知能力とかよく見るけど、それって設定自体が矛盾を孕むやろ? 自分で予知した未来があるとして、その未来に至る自分が、予知を視ていない自分なのか、それとも予知を視ている自分なのか。どっちやっつー話な。オレ、そういうの気になんのよなァ」
その通りだった。恵介はこう言っている。
――俺は、自分と冬泉が同棲している未来を視た。
ではその未来に至っている自分は、果たして予知を知らなかったからそうなったのか、それとも予知を知っていてなおそうなったのか。
確かに、それは考慮すべき点だ。
「前者なら、今の自分がその予知を視ちまってる時点でもう、未来は変わってるわけで。いや、変わってんのはこの場合、過去か? どっちでもいいけど、どっちにしろもう違うルートでしょ。予知を知ってる時点で、知らなかった自分とは状況が違う」
「だから何もしなくていい。予知を知っている状態で普通に生きる、という行動が、もう予知とは違うパターンを取っているから……」
「そんでもし後者なら、それこそ足掻く意味、ないわな。知ってても変わらんのなら、何やったって同じこと。つまり結論、――予知能力なんざ、大道芸にもなりません、だ」
極論ではある。だが確かに、恵介の意見は予想外の示唆を含んでいた。
なんの気なく振っただけの雑談で、まさかここまで興味深い視点を与えてくれるとは。
「恵介……意外と運命論者だったんだな。びっくりしたわ」
普通に感心して、俺は言った。
いや。もちろん俺は、あの予知未来が覆せるものであるという前提で行動する。諦めるつもりは毛頭ない。
未来を変えられるかどうかなんて、変えてみなければそもそもわからない。
失敗ですら不可能の証明ではないのだ、足掻く以外の道はなかった。
第一、俺は自分が、あの未来を受け入れている様がまったく予想できないのだ。
どこがどう狂えば、あんなキラキラ系ダーリンに成り下がるというのか。俺には意味不明だ。
「別に運命論者ってわけじゃねえよィ、ご同輩。単に面倒が嫌いなだけさ」
果たして、俺は未来を変えることができるのだろうか。
それとも未来とは、そもそも変更不可能なものなのか。
答えは、少なくともまだ出ていない。
未来を変えようと試したこと自体ないのだから、結論を出すには早計だ。
せめて自力で、未来が視えるようにできればよかったのだが。
生憎とあの神社での気絶以来、予知が再発動する気配はなかった。
あれが最後だったのかもしれない。
考え込んでいるうちに、気づけば教室へ辿り着いていた。
※
その放課後。俺は下校する足で、そのまま冬泉の部屋を目指していた。
そろそろ顔を見に行っておくべきだろう。
冬泉は、進級してからまだ一度も登校していない。美海姉にも言われたことだし、苦言くらいは呈してやる奴がいてもいい。
俺としても、あの予知未来を避ける最も具体的な手法が、冬泉の社会適応である以上は努力がいる。
このままでは本当に俺が貰ってしまいかねない。
意思が弱い。
ダメ。
いつも通り冬泉の住むマンションに入る。
「おっす。生きてるか?」
訊ねてみれば、奥の部屋から聞こえてきたのは、返事ではなく電子音だった。またぞろ時間も忘れて、ゲームに没頭しているのだろう。
いいご身分である。羨ましくはないが。
がらりと奥の間の引き戸を空ける。
冬泉はそこを一応の自室としており、基本的にはそこだけで活動していた。
「おぉ、伊吹くん! ちょっと待っててね、今終わらせちゃうから」
「別に遊んでてもいいぞ」
「いやいや。伊吹くんが来たんだから、ぼくは伊吹くんとお話がしたいよ。ゲームはいつだってできるけど、伊吹くんとは伊吹くんが来たときにしか話せないんだからね!」
「……、どうだかね」
相変わらず信頼だけはめちゃくちゃしてくれちゃっている冬泉。
俺としては逆に言葉がなかった。そこまでの心を、抱えられるほど腕力はない。
「俺はお前が、俺の話を聞いてくれてると思ったことが、あんまりねえよ」
「それは伊吹くんが酷いことばかり言うからだろう? やれちゃんとお風呂に入れ、やれきちんと食事は取れ、やれ真面目に学校に来い……伊吹くんは本当に残酷だよ」
「どこが? どこが残酷なの? それ俺が悪いの、ねえ?」
「そりゃそうさ。だって伊吹くん、君の使命は、ぼくを一生甘やかし続けることだよ?」
「そういうの 言わないでよね 刺さるから 本当にマジ 心がつらい」
「なんで短歌?」
マイブームだからですね。嘘だけど。
俺と言葉を交わす間も、彼女の手は止まることなくコントローラーを操作する。
あまりゲームには詳しくないのだが、意識を簡単に分割している冬泉が異常なのはわかった。
しばらくして、冬泉はゲームの電源を落とす。
「……風呂、入ってるんだな?」
今日はなんだか、冬泉からいい匂いがしてくるのだ。
ゲームを切った彼女は、頬を膨らませながら俺に振り返って。
「さすがに、ああも臭い臭い言われたらね。ぼくの乙女回路だって錆を落とすよ。今週はきちんと綺麗にしているんだ。どうだい? ぼくは臭くないだろう!」
その台詞がどれほど俺を感動させたか、おそらく冬泉にはわかるまい。
なんならちょっと、涙が出てきそうなほどである。俺は深く頷いて冬泉に告げた。
「そうか……お前もついに、風呂に入ってくれるようになったのか。なんだかんだ言って少しずつ進歩してるじゃないか。感動したよ。今日の冬泉はいい匂いだ!」
「言っただろう? 伊吹くんに嫌われたら生きていけないからね。ぼくもこれでちょっと反省したんだ。やっぱり、そう、伊吹くんに支払う報酬が足りていないんじゃないかと」
瞬間、のっそりと立ち上がった冬泉が。
こちらへ飛び込んできた。
「――というわけで、こうだっ!」
「うおっ――!?」
飛びかかって――いや、飛びついてきたのだ、冬泉が。
咄嗟に、その細く軽い体を受け止める。
女の子らしい柔らかさと匂いが俺を襲った。
――視界が。
いつかのように白んだのは、ちょうどのその瞬間で――。
俺の目の前に――《未来》が広がる。
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