1-17『銀髪美少女なら養いたいと思いませんか?』2
この日の授業は大半が頭に入らなかった。
考えることが多い。だからずっと頭を回していた。
結論なんて出なかったし、そもそも俺は本当に何かを思考できていたのだろうか。ただ迷走していただけかもしれない。
わかることはひとつ。
自分が大きくショックを受けているということだけ。
けれど、では何がショックだったのか、俺はどうしたらいいのか、どうするべきなのかという点はまったくわからない。
時間だけが無為に流れ、気づけば放課後になっていた。
「おーいおい。いつまでぼーっとしてんねや、ご同輩」
そんなふうに恵介が声をかけてきたときにはもう、クラスメイトたちは三々五々、放課後の活動へと繰り出し始めたあとで。
そんな状況をようやく確認した俺は、緩慢に顔を上げて友人に応じた。
「あー、すまん。ちょっと考えごとしてた」
「はぁん? そんな思い悩むとはまた珍しいな。なんぞ悩みでもあるんか?」
気楽な調子の恵介。彼なりに気を遣ってくれているのだろう。
それに感謝を伝えるつもりで、俺もいくぶん肩の力を抜いて笑う。
「なんだよ。俺は普段、そんなに悩みと無縁に見えんのか」
問いに恵介は、思いのほか真面目な様子で。
「つーか伊吹の場合はむしろ、他人の悩みを聞いとる場合のが多いやろ。ご同輩ほど度を越したお節介もそうそういねえかんな。ようやると思っとっけど」
「お節介って……」
「んはは。まあ気ぃ悪くすんな。伊吹に限っちゃ、それも罵倒の台詞じゃねえやな」
どうだろう。結局、俺は求められた以外のことは何もできない。
では今回、友人に離れるよう求められたというのなら、応じるのが佐野伊吹なのか。
――そうかもしれない。
「なんならオレの悩みも聞いてほしいくらいだわ」
軽く、恵介はそんなことを言った。
俺は首を傾げて。
「へえ……悩みがあんのか」
「どういう驚きやねん。つか本気にすんじゃねっつの。男子高校生の悩みなんて、大半が彼女欲しいとかそんなんだよ。ご同輩みたく美少女に囲まれてるほうが普通あり得んわ」
「だからってどうこうないけどな……」
「はー、もったいな。冬泉ちゃんなんかめちゃめちゃ美少女やん。お前、いっつも家まで行っとんやろ? なんかないんけ? こう、ラブコメ的なハプニングっちゅーヤツは」
「ないな。別に」
冬泉は意図的に攻めてくるのだから、
なんて、さすがにそんなことは恵介にも言えないけれど。
「……そら冬泉ちゃんも報われんな」
軽く肩を竦めた俺に、恵介は細い目を向けた。
「なんだよ……」
「なんだよ、じゃねーっちゅの。そらそやろがい。お前、年頃の女子が、そうそう簡単にひとり暮らしの家に男呼ぶわけなかろうが。いつも気にしてんで、冬泉ちゃん。お前を」
「いつもって。言うほど会わないだろ、冬泉とは」
「そりゃ顔は見んけど。でも友達やしな。話そうと思えばなんでもあるやろ。オレなんか最初に登校したとき、真っ先に連絡先聞きに行ったべ、とりあえず」
――――。
「え、マジで?」
「お前がそれで驚くんがいちばん釈然とせんわ。言っとくけどな、ご同輩。お前が『最近ご同輩は後輩の女の子に夢中』やってのは密告済みやぞ。ちゃんと機嫌取っとけよ」
お前だったんかーい。
衝撃と言えば衝撃の発言に思わずツッコミが出てしまった。脳内で。
いやまあ、確かに冬泉は、来さえすればクラスメイトとも普通に話す奴ではあるが。
家まで行っている分、逆に冬泉とロクに連絡を取らないから盲点になっていた。
「男は誰しもオオカミであるべきやで、ご同輩」
相変わらずのエセ臭い口調で、恵介は語る。
「いや、オオカミって」
「その点、お前はなんなん。オオカミどころかオカンじゃねえかい」
「うるさいな……あと上手くもない」
「つーわけでオカン。――これ伝言やけど、さっき空閑センセが呼んどったで」
「そういうことは先に言え!」
「なはは!」
恵介はひと笑いして去っていった。
お前がなんなん? ――ああもう口調が移っちまった。
※
美海姉に呼び出されたとなれば、向かう先はいつもひとつである。
「――失礼します」
「入れ」
ノックをして、いつもの生徒指導室に迎え入れてもらう。
中には美海姉のほかに、なぜかもうひとり――銅後輩の姿があった。
「佐野せんぱいっ!」
俺の姿を認めた途端、ぱあっと花が咲いたみたいに表情を和らげる銅後輩。
なんというか、まあ本当に懐かれたものだ。ここまで慕われると俺だって嬉しくなる。
ふと奥を見れば、美海姉がこちらに苦笑を向けていた。
「ずいぶん好かれたじゃないか、佐野」
「はい! 大好きですっ!」
なぜか銅後輩が答えていた。やだ素直。恥ずかしい……。
もう俺だって、どんな表情をしたものやらだ。
「……まあ、悪いことじゃなかろう」
そして美海姉は全てを流した。
いや、まあいいけどさ。
「そんで美海――空閑先生、今日は何用?」
「今日は礼だ。まあ座れ。いつも通り飲み物を出してやる。コーヒーでいいか?」
「いいよ、なんでも」
「銅はどうする」
「ではわたしもコーヒーがよいです。オトナなので」
オチが見えた気がした。
が、俺も美海姉も何も言わないでおいた。
「銅からおおむねの事情は聞いている。だいぶ世話をかけたな、佐野」
すでにポットでお湯は沸かしてあったらしい。
手際よくコーヒーを用意しながら、美海姉は言った。ことのほか軽い雰囲気だ。
俺は銅後輩に視線を向けた。
「……今日、初めて授業を受けてきました」
「そうか……、そうか。そうなんだな」
ほっとした。それは――それは本当に。
もちろん、まだ簡単に、誰もが受け入れてくれたわけではないだろう。
入学以降、ほぼ一か月にわたって、銅後輩は教室に顔を出していなかった。事実上の休学みたいなものだと思えばいいだろうが、勘繰る生徒だって決していないわけではないだろう。
けれど、それでも、こうやって。
今、銅後輩は笑顔でその報告ができている。
そのことが、俺は本当に嬉しかった。
「……よかったな」
「はい! 全部、せんぱいのお陰ですっ!」
「そんなことねえよ。俺は、別に何もしてやれてない。お前が自分でがんばったんだ」
半分は、これは美海姉に聞かせるために言った。
それに実際、俺が寄与した部分など、あったとしてもほんのわずかだろう。
「へへ」
俺の言葉を聞いて、銅後輩はわずかに笑った。
見ていると、彼女はとてとて俺のところに近づいてきて。
「それなら、それなら! わたしががんばったというのなら、せんぱい。ご褒美が欲しいです!」
「ご褒美? まあいいけど……何がいい?」
「じゃあ、せんぱい。――頭を、撫でていただいてもいいですか?」
「――――」
まさかそんなことを頼まれるとは思わず、俺は硬直してしまった。
すぐに再起動して、はっと美海姉のほうに目を向ける。
けれど美海姉は視線を逸らしていた。
俺たちが何を話しているのか、聞こえていないはずがないというのに。
ああもう、仕方がない。
恥ずかしいが、どうせ初めから俺は断るなんて選択肢を持っちゃいないのである。
「ほらよ」
ぽん、と銅後輩の頭に手を置いた。その手をほんの少しだけ動かす。
冗談めかしてやったことなら何度かあったが、改まると妙に気恥ずかしい。
「……うぇへへへー」
それでも。銅後輩が本当に、嬉しそうな笑顔をするものだから。
「よく、がんばったな。おめでとう」
恥ずかしさより、嬉しさのほうが勝ってしまった。
ぐりぐりと銅後輩の頭を揺らす。
「きゃー!」
それでも揺らがず嬉しそうなのだから、銅後輩も本当に変わっている。
どうせなら、もっと大きなものを要求すればよかったのに。
「……兄妹みたいだな、君らは。そら、できたぞ」
美海姉がコーヒーを作り終わったことで、短いご褒美の時間も終わった。
俺たちも席に座る。銅後輩はこちらをまっすぐに見て、
「弟ができてしまいました」
「なんで上を取れる気でいるんです?」
俺はコーヒーをひと口、飲んだ。
砂糖やクリープもテーブルの上にはあったが、俺は使わない。
別に銅後輩を陥れるためではなく、そのほうが好きなだけだったが、割と予想通り、銅後輩は俺を真似して。
「……うぐ。や、やりますね……コーヒー魔王軍の中でも幹部級と見ました、この苦さ」
無理してブラックで飲まなくてもいいのに……。
その脇では、美海姉が普通に砂糖をコーヒーに入れていた。大人だなあ。
「ばかな」
銅後輩が呟いたが、バカなのはたぶん銅後輩ですよ。
まあ、面白いのでしばらく放っておこうと思う。
「ありがとうございます、空閑先生」
代わりに美海姉のほうに向き直って言うと、すぐに首が横に振られて。
「礼を言うのはこちらだろう。私の期待以上だったよ。頼みは、これでお終いだ」
美海姉は言った。
これで、俺もお役御免になったわけだ。
「礼はまた別にするが、今日のところはそれだけだ」
「いいよ、別に。空閑先生にってより、美海姉に頼まれたと思ってる」
「……生意気を言うものじゃない」美海姉は小さく微笑んで。「安心しろ。一時間目からサボって図書室で騒いだ件については、無条件で目を瞑ってやる。礼には含めないよ」
「あっははは……」
いや本当にすみませんでした、余計なことばっかして。
「あ、そうです、せんぱい。大丈夫ですか?」
――と、そこで諦めたみたいにシュガースティックを持った銅後輩が言った。
俺は軽い調子で答える。
図書室で感じた不調は実際、もうすっかり消えているのだ。
「大丈夫だよ。そう言ったろ?」
だが銅後輩は首を振って、こんなふうに言った。
「でも、なんだかさっきまでと様子が違うような気がするのです」
「…………」
教室にいたとき、恵介に指摘されたことはともかく。
生徒指導室に来た段階ではもう、顔には出していなかったはずなのに。
「何かお悩みなのですか?」
――まさか銅後輩に見抜かれるとは思っていなかった。
いや。でも考えてみれば、もともと銅後輩は聡いところのある奴だったか。
「……なんでもないよ」
だからって、銅後輩に心配はかけられない。
今、大変なのは彼女のほうだ。俺自身は何に困っているわけでもない。
「銅後輩こそがんばれよ。まだまだこれからなんだから。手帳、埋めないとな」
「あ、それです!」
そこで銅後輩が目を輝かせて言った。
「どした?」
「さきほど空閑先生ともお話したのですが。せんぱい、今度いっしょに屋上で天体観測をしませんかっ!」
「ああ、そうか……そういえば、銅後輩は一応、天文部だったっけか」
そして顧問が美海姉だった。
視線を向けると、美海姉も小さく頷いて。
「課外活動としての利用ならば、屋上を使っても問題はない」
「なるほど……」
確かに、それは楽しそうなイベントだったが。
即答しなかった俺に、銅後輩は愕然とした表情を見せて。
「あ、あれ……ダメですか?」
「ダメじゃないけどさ。せっかくなら、もっとほかの友達を誘ったらどうだ?」
「――――」
「それが目標だろ? わざわざ俺に気を遣わなくても、別にいいんだ」
そのほうが、たぶん銅後輩も楽しいだろうし。
いっしょに全部埋めよう、とは確かに言ったが、あのときとは状況が違う。
銅後輩は、何も無理に俺とやらなくてもよくなったのだ――よくなるはずなのだ。
けれど。
なぜか銅後輩は――美海姉までもが、信じられないという表情で俺を見ていた。
どうしてだろう。重ねて言う。
「え、えっと……でも別に、俺は天体観測の役には立たないと思うぞ? 経験ないし」
「……伊吹……」
美海姉が俺のことを《伊吹》と呼んだ。
素が出るほどおかしなことを言っただろうか。
「……佐野せんぱいは結構ばかです」
「銅後輩まで……」
わからない。考え直してみても、理由に心当たりがなかった。
もう俺は役に立てないのだ。だったら俺を優先順位の上位に置くのは忖度だろう。
そんな気の遣わせ方を、俺は後輩にさせたくない。それだけなのだが。
「いーですかっ!」
と、銅後輩が俺を指差した。
思わず「あ、はい」と言ってしまった。
彼女は続ける。
「いいですか、せんぱい。わたしは――佐野せんぱいのことが大好きです」
「あ、えっと……ありがとう?」
「なぜだと思いますかっ!」
「な、なぜって……そりゃ俺がいろいろ、こう、やったと……銅後輩が思って、」
「違います」
ばっさりと一刀両断して。
銅後輩は言う。
「――佐野せんぱいは、わたしのお友達だからですっ!」
「…………」
「だから、大好きなお友達と、わたしはいっしょに遊びたいです」
それはごく単純な、理屈ですらない感情で。
それは理由もなく、価値を認める言葉だった。
「せんぱいは、わたしをどう思っていますか? せんぱいは――わたしといっしょに遊びたいとは、思ってくれませんか? わたしは、せんぱいの気持ちが知りたいです」
「……そうか。そうだな。ああ、銅後輩の言う通りだ」
と、答える以外に何が言えるだろう。
まさか、銅後輩に教えられてしまうだなんて。
「悪かった。そうだな、お前は俺を誘ってくれたんだよな。ありがとう。もちろん、俺もお前と遊びたい――お前のことは、大好きだ」
まっすぐ目を見て、笑顔で言った。
ただそれだけの理由で決めていいことがあるのだと、俺はすぐに忘れてしまう。
銅後輩は、俺をまっすぐに見上げながら。
「――――ぅえ? あぅ……」
いやなぜか視線を逸らされた。
「え。どした?」
「あの、……いえその。なんか……こっち、見ないでください」
「あれえ――?」
なぜだろう。急に嫌われてしまった。
「あっ! や、違くてっ、その……あれえ!? なんか急に熱くなってきましたっ!」
わたわたと手を振る銅後輩。
なんだろうと思って視線をずらすと、なぜか美海姉は微妙な表情で苦笑していた。
「お前と銅は、どうやら思ったよりも相性がいいようだ」
「そう、なのかな……」
だとしたら、それは嬉しかった。
あんな未来視ではなくて。
今、ここにこうして――銅後輩といられることが。
「悪い、銅後輩。美海姉。俺ちょっと、行くところができたみたいだ」
だからそう言って立ち上がる。
考えてみたのだ。いったい自分がどうしたいのかということを。
そしてようやく気がついた。
俺は、冬泉が何を考えているのか、それをどうしても知りたいということを。
「また急に吹っ切れた顔をして。どこに行く気だ、佐野?」
美海姉に問われる。
ついさっきまでの俺は、その答えを持っていなかった。
でも今は違う。
たまには俺だって、自分のことを考えてもいいはずだ。
――そろそろ自分の足で歩くときが、俺にも来たはずだった。
「友達のところに行ってくるよ、美海姉」
「……そうか。なら、今日のところは急げ、伊吹」
言われるまでもなく俺は駆け出す。
扉を開け、そこで一度だけ振り返って、俺は銅後輩を見た。
「天体観測だけじゃないぞ、銅後輩」
「――え?」
「もう一回、俺から頼む。お前の手帳、いっしょに全部埋めさせてくれ。お前のお陰で、やるべきことが見つかったんだ。そのお礼……いや、俺が、お前と遊びたい!」
「……せんぱい」
「ありがとう。銅後輩――いや、燐! 愛してる!! 一生しあわせになれよっ!!」
目指す場所は、冬泉小姫が住むあの部屋へ。
誰に頼られたわけでもなく、誰に許されたわけでもなく。
ただ自分の感情だけを優先して、俺は、走り出すことを決めたのだ。
※
「あわ、あわわわっ、――、――――っ! ――――!! ――――――――ッ!?」
「そんな顔で見られても私が困る、銅。まったく、伊吹の将来が恐ろしいな……」
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