2:蓬莱都で出逢ったまんじゅう泥棒

「それで私の衣装をこんな風にしたと……女官失格」

「そんな.....それは事故で!」


 蓬莱都の最高峰の旅籠、巌環苑。大昔の国事に使われたとだけあって、充分に広い。富貴后の好む麝香の香りで蔓延した部屋で、愛琳は使い物にならなくなった衣装を前に、頭を項垂れさせていた。富貴后の美貌は今日も眩しいほどに輝いている。両の眼は大昔の美女皇后のように麗しく、口調は皇帝にも似てはっきりとした喋り方に加えて妖艶に響く。

 女性として完璧。芙蓉国の女官すべての憧れの対象である。勿論、愛琳も例外ではなかった。優雅な立ち振る舞いは密かに真似したりもするが、まるで猿芝居。美女と猿ほどの距離がある。


「明日もう一度仕立て頼んで取ってくる」


「よい、よい。その代り明日、蓬莱の菓子を見繕ってくれないか? 皇帝への土産にしよう。あの男は土産なしで帰ると口をきかないからな」


「お安い御用ね! 分かった、行って来るよ」


 名誉挽回の機会を与えられた愛琳を優しく見る富貴后は肉体美を惜しげもなく露出する薄手の衣を巻き、天女のようにその身体を気だるげに寝椅子に横たえ、優雅に孔雀の絵柄の扇子を開く。


「先程から何故に唇を撫でている?愛琳」


(え?)


 無意識に触れていた指を慌てて外して、手を背中に隠したが、富貴后はさすがの勘でニヤリと看破してきた。


「そなた唇を許したのだな? ほほ、初めての紅は初々しいもの。男にはさぞかしふっくらと熟れた桃源郷の果実のように見えたのであろうて。美味だったろうに。少年なんて皆、やりたい盛りよ。そなたの唇はいささか艶めかしい」


「富貴后さままでそんな言い方! 唇と唇がぺとりとついただけで! じ、事故っ」


「のう、皆の者。それは接吻よな? 事故であったか、のう?」

 

 ほほほ、と笑い声が広まってゆく。自分以外の姐女官まで笑い声を忍ばせている中で、愛琳はむっつりと口を閉ざした。芙蓉の女官にとって口づけは重大なものだ。芙蓉国では今も残る天女伝説と、唇に拘る風習が多い。赤い紅は成人のみ、婚期が訪れるまで、娘たちは紅をつけることは許されない。愛琳は昨日、初めて紅をつけたばかり。さあこれからというところで、アレだ。薙刀を振り回したくもなる。


「……冗談じゃないね。あの男あたしの胸見た! じーっと睨んで! 男はみんなそう。どんなにいい笑顔してても胸ばかり見る」


「それだけそなたの胸が魅力的なのだろう。喜ばしいことだ」


 上滑りするような声音。うっとりと聞き惚れてしまいそうな優雅な喋りで富貴后はコロコロコロと笑って見せた。その前で愛琳がバツが悪そうに告げる。


「でも、あの男の背中に鳳凰と龍の絡まる紋章があったね」

「鳳凰と龍? まさか、青蘭の男か」


 富貴后の顔から笑顔が消えた。富貴后は大きく放たれた窓に目をやると、日暮染まる蓬莱都の空を指す。冬の夕暮れは指の先から闇黒に変わってゆく。


「我が国との争いは長すぎる。知っているか? 愛琳。先日も亡命者は百人を超えた。この山脈の向こう、青蘭はしばし我が国に嚆矢を引くが、それが何になるのであろう」

「富貴后さま」

「そんな不安そうな顔をするな。先日も皇帝と話をした。我が国は青蘭に和解の書状を届けようと思うのだ」


 富貴后の目が優しく撓む。


「民の声は皇帝には届かぬが、誰もが争いなど望まぬもの。その気持ちを思い出せとな。平穏は幸せの第一歩であろう?」


 塗り慣れない紅唇はまだまだ色気には程遠い。愛琳は破顔して見せた。その笑顔を見て、富貴后は何かを思いついたような表情をした。 


 



 ――二日後、蓬莱都。


 愛琳はすっかり晴れた蓬莱都を走り抜けていた。雨が降らない事のが珍しい蓬莱の空はすっきりとした冬の乾季を迎えている。


「おじさん、そこの御饅頭二十個ね! 御料紙に包んで、紐は赤ね」


 蓬莱の商店はところせましと並んでいる。その愛琳に老爺が紙に乗せた饅頭を確認のために差し出して来た。つきたての生饅頭は蓬莱饅頭と呼ばれる。不思議な妙薬効果があるという蒸かし饅頭と生饅頭の二種類がある。その数を数えて気が付いた。数が足りない。代金はきちんと支払ったはずだ。


「十九個しかないね! あたし二十個頼んだはずだよ」

「そんなはずありやせん。ちゃんと二十個……あれ?」


 また減っている。あくどいにも程があると愛琳は少し垂れた目を吊り上げた。


「今度は十八個ね! 二個減ったね! 貴方代金返すね。それとも私強いよ? 勝負するか?」


 しらばっくれる老爺に、いっそ薙刀振り回してやろうかと思い、うっかり忘れて来たことに気が付いた。仕方なく、いい加減にしろと言いかけた時、むにゅ、と何かが胸元に張った感触。 両の手が収まりきらない肉を捏ねるように動いている。


「あ、あのっ……そ、その手……」わなわなと震える後ろで平然とした声。何かをもぐもぐやっている様子で、声はくぐもっていた。


「……この饅頭にも引けをとらん感触だな」

「おまえ、この間の傘泥棒か!」


 不作法にも、饅頭を口に、自分の胸を相も変わらず揉んでいる男はあの雨の日の不届きものだった。胸元に青蘭の紋章を縫い取った衣装をつけている。だが冠位を示すものは何もない。下級武官かと愛琳は相手を睨んだ。


「今日は薙刀はなしかよ。女官だろ、そなたは」

「うっかり置いて来たね! あれば振り回してるよ! 饅頭泥棒なんか成敗してやる。二個! 返すね! 怒られるの私! 私が食べたと言われる。手、どけて!」


「手? ああ、自然とひきつけたのはそっちだ」

「引きつけてないっ!!!」


 涙声になった愛琳にハイハイと頷いて、残念そうに手が離れた。男は老爺から饅頭を買うべく、静かに露店に並んだ。 打って変わって真面目な横顔に夜空の瞳。何だか気になる様な眼をした―――。

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