3:俺の名前は秀梨艶。次に逢った時はお前を貰う。

――いち、にい、さん…二十…。揃ったのを確認して愛琳は笑顔に戻った。


「確かに確認したよ。これに懲りて、泥棒やめるね」

「口開けろ、俺のものを食わせてやる。もっと大きく」


 愛琳が不思議そうに相手を睨む。相手は微笑んで饅頭を一つ、近づけた。慌てて包みを確認する。盗られたわけではなさそうだ。バカにしている。芙蓉の富貴后さまの女官がここまでコケにされるわけに行かない。文句を言おうとした口に小さな柔らかいものが放り込まれた。


 美味しいぞ。ふんわり甘い匂いと味に頬が緩む。生饅頭の類いだろうか。少し甘酸っぱい…これって。


「老爺が作った試作品だそうだ。中にイチゴが入っているらしい」

「……ちょっと点心ぽい。美味しい…!」

「それは良かった。失言、失態の詫びだ。その見事な胸に失態の言葉も変だがな」


 外に出て、毛氈の上で適度に距離を保って、見つめ合った。愛琳は長椅子の端に座り、据わったような目つきで男を睨んでいる。ぺろりと饅頭を平らげた指の餡をなめとりながら、相手が不服そうな表情になった。


「何故そんなに離れて座るんだ。結構な広さなのに」

「あなた、この間、私に何した」

「接吻?」

「それだけじゃないね!あなた私の胸をじろじろ~っと見た! 今日は揉んだ! そしてまた何を見てるね! 青蘭の男はこれだから嫌い!」


「ああ、知っていたか、俺の事を」


 鋭くなった細い眼には男性特有の深い彫りがある。紅を指している愛琳と同じくらいに唇は綺麗に磨かれている。肌の色は普通。武官焼けしてる程じゃない。指先には剣を扱う時の指ダコがない…多分学者…にしてはガタイが良すぎるが、武官としては華奢な方だ。


 青蘭国の男宮妓ってあたりかな。それとなくオシャレしてるし。好色だし。


 一方男は思考しては愛琳の胸に阻まれ、また考えては胸に戻ると言う悪循環の中で相手を看破しようとしているらしかった。


「素性を読み取ろうにも、年にしては豊満な胸がチラチラと邪魔をする。もしも男を分かってやっているなら見事としか言いようがない。腰に何を持っている。貧乏な壺だが…」


「失礼にも程があるね。関係ないでしょ」


 いや、と男がにじり寄った。つい、と唇を奪うと、目を瞬かせる。


「関係はある。ほら、こうすると、俺の恥骨に当たって痛い。要らないものなら外せ。やりにくいんだ。この間から」


「な、何勝手な事言ってるね!…これは母の形見の壺。寝るときも、お風呂も一緒」


「なら角度を変えるしかないな」


 変える?! 愛琳はこの言葉に過剰反応を返したが、やがて「変える」であって「蛙」ではないことにほっと胸を撫で下ろし、それどころではない状況に気が付いた。


 ――ほほ、少年なんて皆、やりたい盛りよ。そなたの唇はいささか艶めかしい。


 富貴后さまの冗談がホホホと脳裏に過る。

 ややして。男は愛琳を解放して帯剣に手を置くと、日差しの中で振り返った。


「お前は俺の女だ。教えてやる。俺の名前は秀梨艶。次に逢った時はお前を貰う。それまで女を磨け」


「あたしは愛琳ね! おまえも男を磨くね!」


 反射的に言い返して、愛琳は唇を噛みしめた。梨艶は真摯な眼で返答して来た。


「いいだろう。約束したぞ。俺はおまえに逢うまで男を磨くとしよう」


 呆然。手からお土産の饅頭が包みから顔を出し、蓬莱の地に転がってゆく。


 そう捨て台詞を残して、梨艶とやらはスタスタと街の喧噪に消えてゆき、愛琳は熱を持った頬を風に晒しながら、また今度は自腹で饅頭を買い求めるハメになった。


 秀梨艶?

 すぐにそんな名前忘れてやる。饅頭泥棒。


 頬が熱い。振り返ると、柔らかな風が吹いた。

 冬の蓬莱都に少しずつ春の雪解けが訪れるそんな季節。

 王愛琳、十三の冬。頬が何故こんなに熱を持つのか。その理由すら理解できない新芽の年頃。


 淡い気持ちは春の訪れを示す蕗の薹を揺らす冬風と一緒に駆け抜けて行った。

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