11:豹変する梨艶

「騙したね! 最低ね!」


「その最低の男を信じて着いて来たのは誰だ。こうも首尾よく行くとは。武官として、獲物を逃がすわけには行くまい。さっさと奪ってやるから安心していい。俺はこっちにかけても軍師だ。奪うことには慣れている」


「武官が聞いて呆れる! こっちも軍師って!」


 梨艶の腕が愛琳の腰に後ろから回る。むに、と感触を確かめた後に、くくっと笑いながら首筋に顔を埋めて来た。


 う、奪うって!奪うって!!


『見てごらん、愛琳。浅ましい男女の姿だ。俺たちには無縁の』などと宦官が盗み見しながらエラそうに言っていたあの場面。後宮に忍び込んで見た男女の絡み合うアレの図が何故か浮かぶ。


 つい、と背中に何かが当たった。耳元で梨艶が唸るように言う。苦しそうな声音だ。


「俺は約束を護ったぞ。お前に再会することを願って、女断ちを続けた。これも鳳凰神のお導きだ。いつ死ぬかわからん身だ。もし出逢えれば即使えるようにありとあらゆる鍛錬を積んで」


「私の上から退いて!」


「冗談云うな。押しこめてこそ、獲物を駆る醍醐味が味わえると言うものだ」


 ふみゃ。


何を言っても聞かない梨艶に愛琳が泣き声を上げる。とは言っても女官だ。泣くわけがないから呻いただけ


「ひゃ…....り、梨艶…...っ」


 肩越しの唇と吐息が首筋にかかって愛琳は肩を震わせた。


「言っただろう。お前に逢うまで俺は禁欲の日々。容赦は出来ないかもしれないが」


 まるで話を聞いていない。しかも華奢だが腕力は男のそれだ。愛琳の手首を握りしめた指の骨がごつごつと浮かび上がっている。後ろから肩に顎を乗せたまま、手で太ももを愛撫しながら梨艶は低い声音で囁いた。


「桃源郷を知っているか?」


 梨艶の指が伸びて素肌を滑ってゆくのを呆然と目に映していた愛琳だが、それに気が付いて再び肩を震わせた。梨艶の手が両足を開かせようと更に伸びて来たからだ。


「動くな。初めてか……そうか、フフ」


愉しんでいた口調の梨艶は手を止めた。ずり降ろされた上着を慌てて引き上げ、愛琳はきょとんと首を傾げて問う。


「どうかした?」


 梨艶が凝視めている先には書状があった。


(大切な書状が!)


脱がされかけた瞬間に落したのだ。


慌てて愛琳がそれを拾おうとするのと、梨艶がそれを足で蹴りどかすは同時だった。


「何するね! 人のものを蹴るな!」


 怒りのあまり声が震えて、愛琳はばたばたとそれを取りに走るが、梨艶のスライドの方が早い。


梨艶はひょいと持ち上げ「密書?」と言いつつ指で紐を解いて読み進めてしまった。読んでいる艶の顔からは笑みが消えて行った。


「読んだら駄目! 皇太子さまに渡すものよ」


「書状? 熊猫娘、おまえはどこから来た。そもそも名前を聞いていなかった。俺は青蘭の軍師、秀梨艶だ。普段は宮殿内部の警護を兼ねている身分だ」


 鋭い梨艶の瞳。軍師の策略的な瞳に女官の勝気な瞳が上等とばかりにぶつかりあった。


「私は富貴后さまの使者ね。王愛琳言う。皇太子さまに逢いに来た」


「富貴后……芙蓉国の女官か!」


 コクンと頷いた愛琳の前で、梨艶は笑みをすっかり潜めてしまう。


「ならば通すわけに行かないな」


 梨艶はすいっと帯剣していた太極の剣を抜いて愛琳に突き付けた。その目は赤く、人を憎むような目に変化している。


 あまりの豹変ぶりについて行けない。だってさっきまで――......。


 剣を突き付けた梨艶は身動きできないまま、涙を浮かべた表情を悟ったか、静かに剣を鞘に納めた。

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