◇芙蓉国の女官 書状を奪われ貴婦人に逢る

◇芙蓉国の女官 書状を奪われ貴婦人に逢る

「そうか。芙蓉国の女か」


 呟いて、切なげに瞳を愛琳に向けた。


「ハ。残念だ。至極好みなのに。ひと時の桃源郷を見せてやろうと、ずっと思い描いていた俺の夢を二秒で壊したお前の罪は重いぞ」


「何言ってるか分からない! 書状返すね!」

 ふん、と梨艶は窓から投げ捨ててしまった。愛琳は窓に駆け寄ってがっくりと膝をついた。


 ――富貴后さまや芙蓉国の願いが記された書状は蓮の合間で濡れて沈んでいた。


「何てこと……私、国に戻れないよ」


 がっくりと肩を落す前で、ピラ、と梨艶は本物の書状を指で挟んで見せた。


「この書状はしばし預かる。軍師だぞ、俺は。摩り替え用の偽書状の準備など造作もないな」


「お願い、返し......か、返してください」


 梨艶はふと笑うと、右手で自分の足の付け根と左手で愛琳のほおを同時に撫でた。


「また俺とお前の蜜月を復活させられるなら、返してもいい。俺は裏切った女を抱けるほど、強靭ではないが。誠意は貫こう」


「いつ私が裏切ったよ!」


 梨艶は嘆息すると、顔を背けて書状を懐に仕舞ってしまった。


「芙蓉国の女だと、あの時に言わなかっただろうが。……そうであれば、こんな血迷った恋慕など持たずに済んだ。俺は何より芙蓉の女が嫌いなんだよ」


「芙蓉国の女というだけで裏切った言うか…」


「ハ、芙蓉国。その言葉は俺にとっては不幸の象徴以外何物でもない」


 ふ、不幸の象徴?芙蓉国という言葉が?


――何でここまで言われなければならないのだろう。自分は確かに不遇な生まれだと思う。母を殺され、天涯孤独の身で、富貴后さまが見つけてくれなかったらと思うとぞっとする。それでも、幸せだった愛琳にこれほどの心を抉る言葉は過去を思い返しても皆無だ。芙蓉国の女官だと、あの時言わなかったから、裏切りだ。この言葉以上の裏切りはない。恋が敵になる以上の裏切りは.....。


「何でそこまで芙蓉国嫌う」

「何故嫌いな芙蓉国の女にそこまで俺が話すと思うんだ。いいな、十日だけやる。後宮にお前の居場所も作ってやろう。また俺が捨てたなどと兵士に言われるのもうんざりだ。後宮を取り仕切る蓮花夫人に言っておいてやる。それが出来なければこの書状は廃棄し、お前を蓬莱に放り出す。まあ、後宮に放り込まれれば二日で泣いて出ていくだろうがな」


「何で……そんな意地悪するね」


 梨艶は切なげに瞳を潤ませた。愛琳は何故か胸を締め付けられたように思う。


「妹だろうと、姐だろうと、俺は欲しい女は全部奪う性分だ。だが、お前が芙蓉国の女だと……それだけで俺は手が出せない。いつか憎さで喉笛を引き裂くかもな」


 そう言い残してしょんぼりとして出て行った。しょんぼりするのはむしろこっちだ。バタンと扉が閉まって愛琳は慌てて扉を叩いた。


「ちょ、待つね! こんなところに私を置き去りにするのやめて。梨艶、梨艶…...っ」


 シンとした部屋に取り残された愛琳の目から涙が毀れそうになった。


 書状を取られた事より、梨艶の豹変ぶりが胸を締め付ける。


ああ、――富貴后さま。お許し下さい。私、書状を奪われたことよりも、梨艶に言われたことで泣いてるね。悲しいよ。かなしい。裏切ってなんかない。なのに梨艶裏切ったって言う.......

 一筋涙が毀れたのに気が付いて、袖で涙を拭った。


いけない、芙蓉国の女官は決して泣いてはいけない。泣くなら唇を震わせても、立ち向かえ。そう思えれば、きっと進める。富貴后さまのように。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る