12:芙蓉の女官には色々なテクニックがあるよ。

「そう、泣いてる場合じゃない! 梨艶探すよ」


 自分に発破をかけると、愛琳は扉を押した。重い金の扉はようやく僅かに開いて、愛琳はまず武器を取り返すために歩き回ることにした。薙刀は梨艶が宮殿に上がる時に奪ってしまったのだ。あの武器は大切にしているものだ。手元にないと落ち着かない。


 後宮の妃さまたちはよく集まってくすんくすん泣いている(多分泣きまね。実はそんなに弱くないよ)けれど、女官たちはそれを何千年と護って見守って来た。


天女の伝承の元に。武器は継承されてゆく。大切なものだ。


 歩いてゆくと、急に雰囲気が変わったのに気が付く。後宮の女官のはここがどこか分かってしまった。


「後宮に入ったね。続いてる」


 芙蓉国とは違うらしい。恐らく階層で分かれているのだ。その後宮には護衛一人見当たらない。そんなにここは平和なのだろうかと愛琳は五階から四階への階段に差し掛かった。青蘭はともかく急斜面が多く、階段ばかり。そんなところまで攻撃的な気がする…と広い蓮の池にぶち当たった。


 青葉を惜しげもなく拓いた大きな葉が所狭しと生い茂っている。その中央に夫人が立っている。目を伏せたままだ。盲目なのかと愛琳が足を進めると夫人はにっこりと笑った。


 ―――――優しい笑顔。束ねた黒髪もとても綺麗な髪飾りで彩られている。


「新入りさん? 貴方が梨艶の言っていた新しい女官の愛琳?」


か弱い声だ。愛琳は頷こうとして、夫人の抱いている熊猫に気が付いた。


「りえん!」

「ああ、この子? ころころ転がり過ぎて、蓮に飛び込んだので、助けていたのよ。ほほ、蓮の根に絡まったら出てこられないまま沈んでしまうところでしたよ」


「目が見えて、ないの……?」


 夫人はずっと目を瞑ったままだ。それでも身ぎれいで、愛琳が動くと「あら」という感じに察しては微笑む。


 しっとりとした睡蓮のような。ずっと向かい合っていたくなるような貴婦人の名は蓮花と謂う。

 夫人は手元で口を覆うと雅な香りを漂わせて言った。


「私は前王妃に疎まれていますのでね。目を瞑って美しい世界だけを見ているのですわ」

 

 言い方は優しいが、両目を潰されたのだろう。

 後宮の女性の食い争いは惨めで、醜悪だ。富貴后さまはそういう女性が出ないように厳重に管理しているのを知っている。後宮では当たり前の国妃と貴妃の対立。

 蓮花夫人もその憂き目に遭ったのかもしれない。


「その前王妃もお亡くなりになり、大層平和に暮らしておりますが」


 ほっそりとした手が愛琳の手の甲を撫でた。


「可愛らしい女官さん、何を悲しんでいるの? 宜しければ、この後宮の皇帝李勘鈴の貴妃、朱蓮花がお聞きしましょうか」

 富貴后さまとは対極な、静かな口調で蓮花夫人は告げた。

 愛琳はりえんを引き取りながら、俯いた。


 誰かにいう事じゃない。だけど聞いて欲しかった。蓮花の香りはとても落ち着いて、打ち明けても大丈夫だと嗅覚に訴えてくる。書状の事だけを隠して、愛琳は話をする判断をした。


「まあ、軍師が? また女性に手を出して、仕方のない方ね」


 柔らかく言うと、蓮花夫人は愛琳に手を差し伸べる。


「それで、あなたは放置されたわけね.無理もないわ。軍師は先の国境での戦いでお得意の水辺作戦だったにも関わらず、部下を数十人犠牲にして負けたのですもの。皇帝さまの激怒も酷くて、厳罰は免れたものの、哀れな程でしたのよ。ほほ、しばらくはずっと後宮に籠ってしまいがちになりましたの」


 私がやります! という女官をやんわり追い払った蓮花が自ら入れてくれたお茶はふんわりと茶器に花が咲いていた。「花茶と言いますの」と蓮花は嬉しそうに言う。


 久々に穏やかな時間が流れてゆく中で、武官の足音が響いた。


「――――蓮花夫人」

「まあ、噂をすれば軍師。うふふ、可愛い恋人が待っていましてよ。芙蓉の方、お気を付け遊ばせ。秀梨艶軍師は宮殿でも一の女遊びの過ぎる方でしてよ」


「夫人、皇帝がお呼びですよ」


 テイよく夫人を追い払った梨艶を愛琳が睨んだ。梨艶は視線を外してばかりだ。胸すら視線を投げようとしない。嫌われたのだ…芙蓉国と言うだけで。梨艶はそれに会話に応じようとしてくれない。愛琳は力なく呟いた。


「書状返せ……」

「ここにあるが?」


 がばっと愛琳は飛びかかるようにしてようやく書状を奪ったが、すぐに慌てて開いて首を項垂れさせた。白紙だ。またやられたと再び食いかかるように聞いた。


「書状返すね! どうせあなたは私を嫌いになった。蜜月なんて無理でしょ。私ばっかりどきどきで嫌だ。酷いよ。そんなに簡単に手の平返されたら哀しくてどうにもならなくなる」


 ずいっと顔を近づけられて、震える唇を指で撫でられた。ぞわっと肩を震わす前で、梨艶は冷淡な声を発した。一瞥するような目は、つま先からの震えを更に呼び起こした。


「全ての交渉は破棄という事か。ならば考えがある。俺が軍師である事実を思い知れ」


梨艶は書状をつまみ出し、両手で書状を掴んだ。


「破くのだめ! それは芙蓉国の願いが詰まった書状! 富貴后さまが悩んで託した大切なもの。貴方が読んだくらいじゃ終わらない」


 梨艶は声すら発さず、顔を逸らせた。


「こっち見るね。こっち見て。胸、じいっと好きなだけ見ていいよ」


「…………っ………――――…」


 一瞬動揺を見せた軍師がまた平静に戻った。


「何だったら脱」

「なに? そんな手に乗ると思うか」


 熊猫の手が慰めるかのように愛琳の胸を圧してくる。言葉が言えるならさしずめ「やめなよ、そんな男」という辺りだろう。


「俺は芙蓉の女も泣く女嫌いだ。どっちかにしろ」


 つまり「泣かれると困る」という事らしい。愛琳は唇を噛んで、涙を呑みこんだ。


「泣いてないね。確かに私、素性言わなかった。謝るよ。でも、言えなかった。でも私、あなたに愛琳て呼ばれたら幸せ。私だって逢いたかった! 芙蓉の女官にとってキスは求愛。だから私の旦那さまはあなたに決まりね」


「何をこの後に及んで言い出すかと思えば」


 梨艶が僅かに動揺した。その目で愛琳は確信を持った。


(梨艶は本当に私が嫌いなわけじゃない。背中に感じたあの昂りは本当で、きっと「ずっと思い描いていた」のも本当なのだろう。芙蓉国という言葉と秘密にしていた事実が、その夢を打ち砕いた……)


「芙蓉の女にフラれたか」


「……っ」更に動揺が激しくなったところを見ると、どうやら図星らしい。愛琳はきっぱりと言った。


「でも私は裏切らないね。芙蓉の女は優しいと信じさせてあげるね。梨艶…約束通り、十日頂戴!私絶対また、梨艶が「奪いたい」って思える存在になる」


「無理だ。俺がお前を許す事はない」


「やってみなきゃわかんないね! 芙蓉の女官には色々なテクある。堅物軍師くらいワケないよ。十日過ぎたら、愛琳、やはりそばにいてくれ、言うよ!」


「誰が言うか! 熊猫のほうがマシだ!」


 平行線で睨みあった。結局根負けした梨艶がその場を去る結果になり。

 愛琳は十日のチャンスを手に入れた。

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