10:蓬莱都で言ったな。次に逢う時にはお前を貰うと

「野生熊猫がいっぱいいる!」


 道の端っこで丸まって遊んでいる熊猫。少し行くと、必ず一匹は転がっている。歩きながら、愛琳が聞き返した。馬を引いていた梨艶はさらりと答えてくれる。梨艶の声は綺麗に響いて、少しだけ掠れ声だ。


「いつからか、青蘭には野生熊猫が棲みつくようになった。そこかしこに居る。だが大抵は大人になれば狩られるか、殺されるかだ。熊猫の毛皮は上質な布団になるからな」


 黒い髪はあの頃より伸びている。愛琳の胸もあの頃より膨らんでいる。相変わらず愛琳の胸元にいきがちな視線を軌道修正しながら、梨艶は足を止めた。赤い漆で塗り分けられた大路の中央。ちょうど芙蓉国では銀龍楼閣天壇に当たる場所だが、大路は長く奥まで伸びている。夕暮れの二人の影もまた伸びて、斜陽を感じさせる。


 二人で並んで、雄大な街を見下ろした。


「ここが青蘭首都揺籃の朱雀大路。その道を中心として、「王の都市」「商人の都市」に分けられている。青蘭では王と商人以外は下層と見做され、ほとんどが兵役に駆り出される」


 赤い色で染められた大きな大路を進むと、橋にぶつかった。諾々とした太い河が水音を響かせ、その濁流を流している。


「この河は箔珀河。この山東部の山脈の向こうから流れる我が国の水源だ。蓬莱都を渡る河だよ。この橋を渡れば皇族のおわす都市『萬世』に差し掛かる。その再奥に宮殿はあるが、高台に建築された謂わば砦と言ったところか…歴史上、宮殿が動いた事はない」


 丁寧に国を説明する梨艶は少しだけ格調高く見えた。


「おまえの探す宮殿はこっちだ。簡単に逢えるかどうかは運次第だぞ」


天壇のようなものだろうかと愛琳は梨艶の後について階段を上がってゆく。敵国だと言うのに、梨艶と並んでいると、桃源郷のように足元が弾む。


 梨艶は良く似合う黒色の着物に赤い帯を締めている。その上に無造作に羽織った上着がマントのように山風に翻った。


 青蘭の真横には横道山脈がある。少し乾いた空気は蓬莱都と酷似していた。ゆっくりと岩場の階段を上がると、さらに碁盤のように区画割された街の全形が良く見えた。


「見晴らしいいね。梨艶、あっちは何」


 黒い樹がたくさん生えている一角に、梨艶が目を細めた。


「未開の地だ。たまに罪人を打ち捨てたり、吊るしたりしているな。興味がないなら入らないことを勧める」


 ――ぞっ……


 不穏な空気を醸し出している北央に目をやらないようにして、愛琳は再び会話に興じた。


「皇太子さまどこにいるの?」


「皇太子? 李劉剥さまの事か?」


 うん、と愛琳は頷いた。ここ、揺籃で梨艶に出会えたことは、幸運だ。どうやら梨艶も自分と同じような武官なのだと思うと、繋がりが出来たようでまた嬉しくなった。


梨艶は慣れた足取りで宮殿の本堂を歩いてゆく。金の砦ともいえるような五段の大きな建物が宮殿の中枢らしい。


 その周りにはぐるりと蓮の池が張り巡らされ、陽を浴びて輝いていた。ひしめき合って肉厚の葉を重ねている蓮。小さく花が咲いてはいるが、冬の寒さのために少しだけ水面には氷が張っている。それが陽の光を反射させ、鏡のように煌めいては融けた氷が割れて水に溶けてゆく。その真下から蓮の葉が灯篭のように浮かび上がっているのだ。


「綺麗ね」


「……年々増えるんだ。お蔭で蓮酒が有名になったがな…。知っているか?蓮の中に酒を通して香りを移すんだ。皇太子さまだったな。こっちだ」


 言いながら、梨艶は静かな廊下を歩き、部屋の前で足を止めた。黒塗りの壁に赤い格子。やはり紋章の鳳凰と龍が睨みあう大きな壁画に天女の絵姿。


 青蘭にも天女伝説があるのかと、見入っていた愛琳は梨艶に聞いた。


「皇太子さま、ここにいるの?」


「ああ。と、その前に、胸のものを出せ。皇太子さまは熊猫がお嫌いだ。心配はない。子供熊猫は後宮の女たちの人気だ。殺されることはないだろう」


「本当ね。りえん、ちょっと待ってるね」


 愛琳はしぶしぶと温かい熊猫を廊下に置いた。ころころと丸まって遊んでいる熊猫に梨艶は「ほら」としゃがみ込んで袖から笹を出してやり、驚いている愛琳に「熊猫が多くて困るよな」とぼやいた。


 立派な彫刻を金で塗り固めたような大きな鉄の扉。梨艶は「入れ」とばかりに愛琳の背中を押して、静かにその扉を閉めた。目の前には見事な天蓋のついた寝椅子と少々の酒と瓢箪と火鉢が置いてある。


「ここに皇太子さまいるの?」


「ああ」


乱雑に散らかった数多くの書籍を梨艶は足で避けると、聞き返した愛琳にニィっと雄の表情でゆっくりと言った。


「ここは俺の私室だ。蓬莱都で言ったな。次に逢う時にはお前を貰う――と」

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