14:優しい会食。でも……。

さて、愛琳である。

 熊が出て来たかと思いつつ、門番の前で、愛琳はつま先をととん、と打ち付けたところだった。芙蓉国で武術を叩きこまれた。負ける気はしない。


「熊さんたち、少し寝た方がいいね」


 愛琳は微かに指を鳴らすと、じっと熊の集団を睨んだ。

 何とか首を狙えばおねんねしてくれるだろうか。生物は首がねらい目だ。点穴の要領でいいだろう。脚を引いて、構えを取った。


「武器庫に何の用だ……おまえ、何者だ」

「御免こうむるね」


 ぱん、と手をあわせ、たかく飛び上がる――ところを引き戻された!


(わ、! わわわわわわわわ!)


 首根っこを掴まれた愛琳は宮殿にもんどり打って転がった。「いたた」と立ち上がる間もなく、抱え上げられた。


―――ん? 何かいたか?

―――こんな月夜に? ハハ、天女でも降りて来たか? 

おめーのどうしようもねえ頭の中にな―――…


 そんな野太い声の雑談が聴こえる前で、愛琳は腕をばたつかせていた。後から口と腕を押さえられて声が出せないのである。


「むぐ、んんん~っ………っ」


「暴れるな。見つかれば八つ裂きだ。芙蓉国の人間だとバレてみろ。帰れなくなるぞ。そしてあの未開の地に捨てられる」

「んんん~~~~~~っ!」

「言うこと聞けと言ってるんだ! 騒ぐなよ、殺されたくないなら……だ」


 ――――掠れた声の主は、まさにあの軍師、秀梨艶だった。


「いいな、手を外すぞ……」


 愛琳は急に現れた相手にもじもじと足をすり合わせている。


(梨艶、天女のように突然現れる。嬉しいけど。あたしまだ怒ってるね)


 文句の一つや二つ、と顔を上げた瞬間、愛琳の腹がけたたましく鳴った。


「あ……」

「騒ぐなと言っただろう。騒ぐなとは静かにしていろの意味だ」

「わかってるね……恥ずかしいから、黙って」


「し」と梨艶は鋭い目を一掃鋭く光らせて、愛琳を庇うように腕で囲んだ。壁と、梨艶に挟まれて、ど、ど、ど、と今度は胸が騒ぎだす。また野太い声の雑談が聴こえて来た。


―――ははは、ダイエットだなんだ、無理すっからだ。どうせ振られたんだからよ――

―――俺じゃねえよ。それにまだまだ勝負はこれからだ――――


 愛琳は真っ赤になってしゃがみ込んでしまった。それでも腹は反逆するようにぐうぐうと哭き続けている。呆れた梨艶の吐息が生々しく耳に響いた。

 梨艶はため息をつくと、愛琳の手をしっかりと握った。

 

 あたたかい。


「ね、あの蓬莱の夜を思い出すね」

 

かすかに梨艶が微笑んだように見えたのは気のせいだろうか。


(もう、微笑むなんてあり得ない。私、嫌われたから……)


 腹を宥めすかせる愛琳を引いて、梨艶はまたあの部屋に連れて来た。首筋がムズムズして、あの口づけを思い出した。


そうだ、最初に梨艶は言った。


「奪いたい」……と。思い出して泣きそうに、なった。「梨艶に奪われるなら、私、いいよ……」


そう言おうとしても空腹の音の方が軽やかに響き渡ってしまって愛琳は諦めた。


(そういえば、後宮での食事はとてもではないけれど、辛くてロクに食べられなかったね……)


 芙蓉国の味と、青蘭の味はまるで違う。スープにしても、白湯味が主流の芙蓉国に対して、青蘭はどれもこれもが真っ赤な香辛料入り。魚も火が通り過ぎているし、野菜に至っては生か油いため。つまりは「蒸す」という習慣がないらしく、好物の点心など一皿も出て来なかった。


「おなか、すいたよ、梨艶」


 無言で梨艶は扉を押し開ける。湯気の立った膳を親指で指した。


「ちょうど届いた俺の食事だ。毒見代わりで良ければ食え」


 ―――――白湯!


 梨艶は膳の前の窓に腰をかけると、瞳を冷やかに瞬かせた。


「一時間ほど経っているからな、誰かに毒を入れられたかも知れんが。俺は芙蓉の女も嫌いだし、泣く女も、腹を減らす女も嫌いだ。どれか一つでも解決しろ。不愉快だ」


 信じられない想いで、椅子を引いて、腰を下ろした。梨艶は目の前に座って、高級そうな軍師服の袖を合わせ、静かに愛琳を見つめていた。感情が見えないけれど、怒ってはいなさそうだ。


「うん! いただきます。美味ね!」

「そうか、良かった」

「でも、点心ないね。芙蓉国は必ず点心つける。点心は芙蓉国の源。ちなみに桃饅頭が好…」


 梨艶の鋭い視線に苛まれ、愛琳は静かになった。


 一口一口を噛みしめるごとに、芙蓉国が思い出される。

 寂しい部屋にふと気づく。

 梨艶はいつもこんな風にご飯を食べているのだろうか。

 芙蓉国はテーブルに円卓を置くスタイルだ。取り合いしながらもわいわいと食べる。あまりにもこの食事は寂し過ぎるのだ。誰もいなくなって、一人で夕食を取った日を思い出してしまい、愛琳は箸をおいた。


「もう要らないのか」

「寂しい夕食は嫌いなの。ひとりぼっちを思い出すよ」

 梨艶は夜の色の瞳で、また夜の空を見つめた。

「何を世迷言。人など独りの方がいいだろう。問題もない。愛情絡みもない。まあ、しいて言えば―――――」

 夜の闇に何かがキラリと光った。梨艶は青龍刀を握りしめた。


「愛琳、何かが飛んでくる! 避けろ!」

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