Ep.7 作戦

 四人全員が、彼女の発言に意味を求めて黙り込むや否や、辺りには川のせせらぎのみがその場唯一の音として存在していた。

 八つの目が燈瑚から離れ、それぞれが互い互いに視線を絡めてゆく。

 無言の中で、全員が目線で会話をするというなんとも奇妙な空間が広がったが、静まり返った一同の中で、いの一番に口を開いた青木が、己に冷静さを強いているようなぎくしゃくした雰囲気で燈瑚の肩を掴む。


「な……何を言ってンだ、燈瑚ちゃん」

 彼の動揺は相当なものだったらしく、冷静であろうと努めた理性をも押しのけて、その声は滑稽なほどに上ずった。

 他の三人も同様に、予想すらしていなかった展開に小さくざわめきだす。


「相手に兄の不在を悟られない唯一の方法ではありませんか。私の他に替え玉が務まる方もいませんでしょう? 昨日の彼――ええと、名前は存じ上げてないのですけれど――長身の彼の言葉、ずっと考えておりました。私が兄の代わりを務めるわけにはいきませんか?」


「だっ、だめに決まってるだろ!」

「本当ですか!」


 隠しおおせようのない動揺にさらに声を裏返らせた青木を押しのけて、三人の舎弟が双眸をらんらんと輝かせながら言った。


「ええ、本当ですとも。チームの、ひいては兄貴のためですからね」

「おおー!」


 拍手喝采。はじけるような拍手のシャワーの中で、燈瑚は誇らしげに胸を張った。

 実に恐ろしい。まるで人が変わったかのようではないか。これがあの、平和を愛し、誠実を愛し、清廉潔白の申し子たる千束燈瑚の言葉であろうか。

 否、ここは摩訶不思議なファンタジーの世界ではない。彼女はまさしく千束燈瑚に違いない。それなのに、前日の己の言葉を手のひら返しよろしく撤回した彼女の態度は、青木から見ればこれこそまさに摩訶不思議この上ない。


「ちょっと、お前ら黙ってろ。――落ち着きなよ、燈瑚ちゃん。君には無理だよ。ボスの右腕として、君をこの件に巻き込むことは賛成できない」


 舎弟を黙らせてから少女と再び向き直ると、青木はまるで無茶を言う子どもに言い聞かせるように、膝詰めで説得する。


「私にしかできないことだと思うんです」

「君は女の子なんだよ?」

「でも、兄貴の妹です」

「君には荷が重いだろう」

「兄貴のためになるなら、私はどんなことだってして見せます」

 その言葉を聞いて、またも子分三人が感極まり、しまいには目に涙を光らせる始末。「流石さすがボスの妹さんだぁ……」


 青木は、嘆くように大きなため息をつきながら片手で頭を抱え、

「だめだ」と厳しい顔で言う。

「部外者を巻き込むわけには行かないよ」

「部外者じゃないですよ。血縁者です。それに、兄貴がいないのを悟られなければいいのでしょう? それなら、喧嘩慣れしていない私にだって出来ます」

「君は、昨日攫われて怖い思いをしたばかりじゃないか。それにお兄さんだって、こんな形で君に力を貸してもらいたくないはずだ」

「でも私がいないと、兄貴が入院していることがバレて、最悪、このチームは菅谷一派の傘下に与しなくてはならないんですよね?」

「それはそうだけど……」

 青木は、イタイところを容赦なく突いてくるだな、としばし言葉を失う。


 まったく、彼女の心境に一体どんな変化があったというのだろう。青木は目の前の強情な――香よりもいくらか少女らしい印象がある――双眸を見下ろしながら思った。

 もちろん彼は、燈瑚が好きな男の子の言葉に感化されてそんな無茶な提案を押し通そうとしてくるとは考えにも及ばず、ただひたすらに頭を悩ませるばかりであった。


 しかしその時、刹那の沈黙に割り込むように、

「でも、作戦自体はなかなかいいですね」と、短ランの舎弟が声を放つ。その言葉の意味を求めて、四人の視線が一斉に彼へと向く。


「妹さんには、ただの替え玉をつとめてもらえばいいじゃないですか。喧嘩には参加しない条件で。ボスが帰ってくるまで、妹さんには形だけオレらの傍にいてもらいましょう。その間、できるだけ妹さんは家の外では重症を装ってください。腕や顔や、服から見えるところに絆創膏を張ったり、歩調をわざと遅くして歩くのも苦痛だといったように。相手のボス――菅谷は、万全の状態のボスと決着をつけたいでしょうから、街中で見かけたボスが全身傷だらけの重症患者だったら、その傷が癒えるまでは手を出してこないと思うんです。文字通り、置物として俺らのトップでいてくれれば、奴らの目だけは欺けるのではないですか?」


 彼の話を聞いて、一同はぱちぱちと目を瞬いた。

 いとも簡単に言ってのけるが、果たしてそんなことが可能なのだろうか。そう思った青木たちが互いに無言で視線を交わす中、

「いいですね、それ」

 と、燈瑚だけは目をきらきらと輝かせた。


 実を言うと、短ランの発言は理に適っていた。

 菅谷という男は、狂的なほど香とのタイマン勝負に執着し、漁夫の利や弱みに付け込んだ戦略などを徹底的に嫌うたちであった。


 千束香との決着において、清々しい程の正々堂々、誰の目から見ても揚げ足のとりようのない圧倒的な勝利という形で、香に敗北を叩きつけてやりたいようで、拳を交わすたびにその欲求は強さを増し、彼の狂気に拍車をかけているように思えるのだ。


 もし香が入院中だと知られたとしても、菅谷一派が決着を強いてくる確率は極めて低い。菅谷が、なんとしても香と拳を交えたいからだ。けれど、己が入院していることがライバルに知られるのを、プライドの高い香は嫌がるのではないかというのが舎弟たちの頭にはあった。


 ボスの心境を察するならば、相手をけん制する形で燈瑚を替え玉として置いておくのは応急処置的に考えれば悪くない。


 両者のそういった性質たちを考えると、その作戦は妙案かと思われた。

 想い人のため、と視野が猫の額ほどの広さになっている燈瑚と、形だけでもトップを置いておきたい高校生三人組。

 香のいない間、実質ボス代理としてチームを率いている青木は、現在自分たちが置かれている危機に対応すべく迅速に対策案を練らないといけない。


「う……ぅうん……」

 青木は難しい顔をして腕を組む。

 一体彼の何が判断を鈍らせるのか……青木本人も、己の歯切れの悪さにもどかしさを感じないではいられなかった。

 己に熱い視線を向けてくる燈瑚をちらりと見やり、様々な思考を巡らせる。


 替え玉案を採用した際の彼女への危険は?

 そもそも相手に正体がバレずにやり過ごすことができるのか? ――まあ、このことに関しては、燈瑚がよっぽどなをしない限り大丈夫だろうが、安心はできない。

 それよりも心配なのは、彼女は大学生で、昼間は学校に行かなくてはならないし、千束燈瑚としての日常を過ごしているときに菅谷一派に見つかっては、その時点で作戦は失敗に終わる。かつ、欺かれた菅谷は怒り心頭。舎弟たちが自分の知らないところで妹の手を借りておきながら失策を演じたと知った香は、孤高のプライドをこれでもかと引き裂かれ、その結果、待ち受ける未来は想像しただけでも頭痛がしてくる惨憺さんたんたる有様……。青木は年下のボスにこっぴどく叱られ、最悪、ナンバー2の資格を剥奪されてもおかしくない。


 そもそも香があと何日で病室から出ることが出来るのかわからないというのに、彼女に無期限の替え玉作戦をもちかけるとは。舎弟かれらの頭はそこまで考えが及ばないのだろうか。


 四対一という、数では圧倒的不利な状況でも、青木は頑として頷くことをしなかった。

 しかし、ひた隠しにした心の内が揺れに揺れているのも事実だった。


 今回の両チームの争いの決着をつけるべく、菅谷一派が果たし状を突きつけてくるのは時間の問題である。

 しかし、此度の争いは、菅谷一派の方からふっかけてきた卑怯な舎弟襲撃事件が火種だ。なぜ正々堂々を誓い合った仲でありながら、寝耳に水の奇襲に踏み切ったのか。青木はそれがわからなかった。


 甘っちょろいライバル関係だと揶揄やゆされるかもしれないが、両チームの間には、互いに重んじる礼節というものが存在した。

 香も菅谷も、この言葉を互いに心得た上で拳を交えてきたのだ。

 今回は相手がその掟を破ったのである。

 青木が納得できないのはそこだった。だからこそ、ボス不在のチームを纏め上げて、卑怯な手で喧嘩を売ってきた菅谷一派に吠え面をかかせてやりたいと水面下で怒りを燻らせているのである。


 だから、仮の状態でもボスを置いておきたいと思っている舎弟の提案に惹かれているのも事実。彼女がいれば、一先ずボス不在という一番の弱点を隠すことが出来るのだから。――と、これは青木青年の本能側の考え方で、冷静を極める理性側は、一般人の女の子を野蛮な喧嘩に巻き込むのを良しとしないのだ。

 菅谷一派への怒りと、燈瑚の安全。天秤にかけるまでもない。己には彼女をこの争いから遠ざける以外の選択肢など存在しないのだ。


 やはり、己の心は変わらない。

 青木は導き出した結論に己を納得させ、彼らに「否」と伝える決心をした。

 彼女を巻き込んだ末に後悔を強いられるのは、青木が最も避けたいこと。

 燈瑚とは、日常世界と自分を繋ぎとめていてくれる友人関係でありたかったのだ。己に付きまとう危険から遠ざけて、安全なところで笑いかけてくれる優しい日差しのような少女でいてほしい。だから青木は、彼女の強い意志を突っぱねてでも、この作戦の決行を阻止しなければならないと思ったのだ。

 

 ――しかしその時、深い沈思の中にあった青木の意識を現実世界に呼び戻したのは舎弟の、同意を求める声であった。

「――ね、青木さん?」

 はっと我に返った青木は、深く考えもしないまま咄嗟に、

「ああ」と返事をする。


 その瞬間、自分以外の四人が飛び跳ねん勢いではしゃいでいるのを目にして、彼はきょとんと目をしばたたいた。

「え? な、何……?」

「よろしくお願いします、燈瑚さん。いえ、!」

 声を揃えた舎弟たちの言葉を耳にして、青木は悟った。

 ……自分が、選択肢になかった荊道への選択を承認してしまったのだと。

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