Ep.13 姿の見えないお尋ね者
書店を出たところで、時刻は正午を一時間ほど過ぎたところだった。
空腹を覚えた彼女らは、隣接したファミレスから漂う馨しい料理の匂いに誘われて、店内へと吸い込まれていった。
入店してすぐに窓際の席に通された二人は、さっさとオーダーを済ませて、足にしがみついた疲労を溶かすように、ふう、と一息ついた。
「いねえな、サトル」
菅谷は、ぼんやりと窓の外を眺めながら、運ばれてきたばかりの水をぐいと一気飲みした。
「この町の人なんですかね?」
「それすらもわからん」
信じがたいことに、二時間以上の捜索をもってしても、彼女らの手元には何一つとして目ぼしい情報が入ってくることはなかった。その代わりに、足でこなした情報収集がもたらした空腹と疲労のみが、何の得にもならないお土産として二人の全身にのしかかっている。
さすがの菅谷も、暗礁に乗り上げつつある事案には頭を抱えないではおられず、その顔からは余裕が失われつつあった。
お昼時を過ぎたばかりの店内には、家族連れのテーブルがちらほら見受けられ、子どもたちのはしゃぐ声が溢れんばかりに響き渡っている。
あるテーブルでは、我が子の無邪気な声を傍にいる親が厳しく叱りつけ、またあるテーブルではコップを引っ繰り返した子どもが母親に叱られながら、傍らの紙ナプキンを何枚か手に取ってせっせと拭き取っている。
何気ない日常の一コマと言った感じか。二人はその光景を無表情で眺めながら、頭の中ではひたすら《サトル》のことだけを考えてた。
そんな彼女たちの元に、両手に皿を持った店員が近づいてきた。
「おまたせしました。ミートソースパスタのお客様」
「あ、私です」
「こちら、目玉焼きハンバーグでございます」
「どうも」
料理が運ばれてくると、二人はフォークをとって、空腹を訴え続ける胃の中へと料理を落としてゆく。
出来立ての料理は湯気を上げ、いくらか息で冷ましてから口の中に放り込む。一口食べればたちまち胃にエンジンがかかり、瞬く間に二つの皿は
「《サトル》は一体、いかな理由で俺たちに絡んできたのだろうか」
フォークの先で湯気を立ち上らせるハンバーグを口元まで持っていったところで、ぽつりと菅谷が漏らす。
「しかも、同じタイミングで両チームに喧嘩を売ってきています」
燈瑚がフォークにパスタを巻き付けながら同意する。彼女はパスタを食べるとき、意地でもスプーンを使いたがらない。
「……もし、だ」
フォークを置いた菅谷は急に声量を落としたかと思うと、テーブルに上半身を乗り出すようにして、
「この件、俺のチームと千束一派を争わせるために仕組まれたことだと考えてみてくれ。シズカと、そっちの舎弟がやられたことにより、俺らの怒りを煽ったのだとしたら?」
「それはつまり、兄貴のチームと菅谷さんのチームを争わせて、どちらかを壊滅させようとした、とかですか?」
「考えすぎだと思うか? こんな小説のような空想、阿呆らしいと思うか?」
「ないとも言い切れません。空想のようなものだからこそ、この作戦を企てたのかもしれない。自ら手を下そうとはせず、相打ち、もしくは一方のみを壊滅させて、勝ったチームのみを標的とした場合、自分の手元の戦力は温存できる……。ああ、なんだか私もよくわからなくなってきた。考えすぎたのかしら」
「うーむ……」
菅谷は上半身を起こすと、冷め始めたハンバーグをにらみつける。
サトル探しが難航したことにより、この問題は憶測を交えての話し合いでしか進展は望めそうにない。
姿無き敵のなんと目障りなことか。特に菅谷は、不良少年たちを取りまとめておきながら、その更生に努めるほど、心の底から不良を憎んでいる。
今回の《サトル》のような人間は、彼からすれば紛れもなく憎むべき相手であり、外道にも勝る手段で両チームの平穏をかき乱した許しがたい男だ。
「……とりあえず、食べてしまいましょう。せっかくのほかほか料理が冷たくなってしまいます」
二人は沈思するように黙り込んで、黙々と料理を片付けた。
不思議と心地の良い沈黙に身を委ねながらも、燈瑚はふと、香の顔を思い浮かべる。
兄貴は《サトル》を知っているのだろうか。奴が何を考え、何がためにロクに姿も見せないまま、彼女らの頭を悩ませるのか。
視界の端を透明人間がちらつくようなもどかしい感覚に、燈瑚はついにお手上げ状態となった。これ以上考えて何か新しい発見があるとは思えず、残り少なくなったトマトソースと麺を上手く絡めることに集中していると、ちょうど同じタイミングで、彼女らはフォークを置いた。
食後、少し休憩して店から出るとき、伝票を取った菅谷が燈瑚の分まで払ってくれたのは驚きだった。
「付き合わせた詫びだよ。こう見えてバイトしてっし、ここは俺が払っておく」
財布を出しかけた燈瑚を諌めて、会計を済ませた菅谷は店外へ出ると、
「お前、もう帰るか?」と燈瑚を振り返る。
「菅谷さんはどうするのです?」
「俺はもう少し探る」
「なら私も」
「買い物は済んだんだろ? じゃ、もう外に用はないんじゃないか?」
「最後まで付き合いたいです」
「別にここで帰っても、お前が千束香に成りすまそうとしてたこと言いふらしたりしないぜ」
菅谷は苦笑して言った。
「その心配はしていないのですが。……着いて行ったら迷惑ですか?」
「そんなこたないが……」
「なら、私も付き合います」
燈瑚の胸の内にあるのは、少しは軽くなったとはいえ、完全には拭い去れていない青木たちへの罪悪感だ。
今回の件、彼女は手を引くつもりであったが、胸の内にこびりついた罪悪感を払拭しないまま身を引く気にはなれなかった。
トラブルなんて嫌いだった。面倒ごとに巻き込まれるなんて御免だと思っていた。けれど、こうして自分が事件解決に向けて動くことで、自分の中の罪悪感を忘れることができるのが、何よりの助けになった。
しかし、それとは別の感情も生まれつつある。浮上した一つの事案――第三のチームの存在――について追求したいという思いで、一時休戦という形で、菅谷と行動を共にしたかった。
いつから自分はこんなに冒険家になったのだろう。日常生活での鬱憤を晴らすかのように、彼らが身を置く危険な舞台に飛び込んでみたかった。
利口で、そこにつけこんで周りの人間たちに利用されてしまう自分とは違う姿を、己の中に見出したかった。
だから千束燈瑚は、その訴えかける熱い眼差しを菅谷に向けないではいられなかったのだ。
菅谷一郎は、覆しようのない強い意志のこもった目で見つめられ、ふっと微笑を漏らした。
「わかった。一緒に行こう」
▼
――と、そんな二人の姿を、大通りを挟んだ向かいの道で見つめる影があった。
「あれは……。どうして燈瑚ちゃんが菅谷と……」
青木である。彼の立っているところから車がひっきりなしに通り過ぎる道路を挟んだ向こうに、二人の姿がちらちらと見え隠れしているのだ。
青木は、六号と十二号のキャンバスを画材店の袋に入れて右手に下げた姿で立ち止まると、去ってゆく燈瑚たちの背中が見えなくなるまで、その場に立ち尽くしていた……。
決して見間違いなどではなかった。
燈瑚と、ライバルチームのボス・菅谷一郎。
青木の胸の内に暗い感情が生まれる。体の内側が、言い知れぬざわめきに満ちて、理由のわからぬ不快感が頭の中を支配した。
指先が冷えて、脳は沸騰するような熱さに震えているのに、眉間のずっと奥の方だけやけに冷たい。
怒りの感情か、とも思ったが、よくよく考えてみるとそれとも違う。
青木は彼女らの姿が見えなくなってからも、その場に立ち尽くしたまま、渡ろうとしていた信号が点滅を始めてもなお、そこから動くことができなかった。
▼
結局その日は目ぼしい情報は何一つ得られず、西の空に熟した蜜柑のような陽が傾きかけた頃、燈瑚と菅谷は帰路の道へとついたのだった。
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