Ep.3 双子の兄妹

 青木の言葉を理解するのにいくらか時間を費やしながら目を瞬く二人。それに伴う無言の時間は、彼らが一生懸命に、頭の中で青木の言葉が意味するところを会得しようとしている努力の時間である。


 その意味がわかっていない彼らとは裏腹に、燈瑚はあっさりと察する。この人たちは兄貴と関わりのある人たち――所謂、舎弟だ、と。


 通りで助けに来てくれたわけだ。きっと彼らには、独自の情報網のようなものがあって、自分たちのが住宅街の真ん中で何者かに誘拐されたという旨をどこからかキャッチしたのだろう。しかし、救出したのは自分らのボスなどではなく、その妹――しかも、の。


 未だ、この場にふさわしい反応を見いだせない二人を横目に、束の間訪れた沈黙を破るがごとく、お辞儀をした燈瑚が口を開く。

千束燈瑚せんぞくとうこです。いつもがお世話になっています」

 まるで判でしたような社交辞令の言葉に、長身と赤毛は未だ混乱の解けぬ顔で軽く会釈を返した。


「青木さん、これは一体どういうことですか?」

 長身の方が問う。

「種がわかれば単純明快な事実さ。君はボスの双子の妹さんだろ? それも一卵性だ。まさに瓜二つ。きっと菅谷一派の奴らは、ボスと彼女を間違えたんだな」

 青木は納得したように腕を組んだ。


 あまり嬉しくない事実だが、彼女ら兄妹は言葉通り瓜二つ。まさにその言葉は、千束兄妹のために存在しているのではないかと思われるほどに、両者はそっくりなのである。顔立ちも、身体つきも、声も……人は皆、兄妹が隣り合っているのを見て、口を揃えてこう言った。


「まるで、どちらかが鏡のようだ」と。


 そう言う人たちは皆、感心してその言葉を述べるのであるが、燈瑚にとってはあまり褒められた言葉ではなかった。


 子どもの頃にはいろんな人に男の子に間違われた。今だって、女の子らしい華やかな化粧が似合わない。男性的な顔立ちで、いつもいつも粉を叩いただけの薄化粧しかできないし、学友たちが裾を翻して着ている鮮やかな色のひらひらしたワンピースなんて、哀れなほど似合わない。


 家にかかってきた電話に出れば、セールスマンはみんなして彼女に「息子様ですか?」と訊ねるし、友達に誘われたカラオケボックスでは、流行りのアイドルグループの歌なんて、声が出なくて歌えない。


 兄と似たこの見た目、嫌いではない。

 けれど、他人が自分をどう見ているのか……そればかりが気になって、着たい服もしたい化粧も出来ていないのが彼女の一番の苦しみであった。


「ボスってば、双子だったんすか。青木さん、知ってたんですか?」

 燈瑚の暗い心情など露知らず、彼らは大袈裟なくらい驚いて、さらにまじまじと彼女を見た。

「ああ。ボスから聞いたことがあった。すっかり失念していたよ。まさかこんな……あいつらがボスと妹さんを間違えて攫っちまうなんて、思いもしなかった」

「じゃあ、ボスは今ちゃんと病院に?」

「そのようです」と、他人事のように応えたのは燈瑚である。

「そうだよな……あの怪我じゃ、暫く出歩けるわけない」

 赤毛が心を痛めたように顔を歪めると、冷たい燈瑚は、たかが兄貴に、そこまで沈痛な面持ちで思いを馳せなくてもいいのに、と身も蓋もないことを思わずにはいられなかった。


「すみませんでした。俺らがもう少し、注意深く奴らの動向を注視していれば、妹さんを危険に晒すことにはならなかったのに……」

 青木は燈瑚に向かって深々と頭を下げた。それに続いて、長身と赤毛も「すみませんでした!」と綺麗なお辞儀を見せる。


 いくら嫌いな兄の舎弟とはいえ、眼前で三つもの頭が下げられては、さすがの燈瑚も腰を低くしないではいられず、

「やめてください。そんな、謝らないでください。頭を上げて……」

 まるで土下座でもせん勢いで腰を折る三人に、こちらの心にも罪悪感が沸き立つ。こんなところを誰かに見られるのはばつが悪い。


「あなたたちのせいではありません。運が悪かっただけですよ。こうして無事に助けていただいたのですから、結果オーライです。それに私の方がきちんとお礼を出来ていません。助けていただいて、ありがとうございました」


 四人全員が深い礼をした異様な光景に、土手の上を通りすぎる人々は、奇異なものでも見るように視線を留めた。

 一刹那の静寂を、決して止まることのない流水音が支配する。

 その中で、一番先に頭をあげたのは青木だった。


「燈瑚ちゃん、君はもうボスに会っているか? 入院した君のお兄さんにさ」

「いいえ……先程、大学が終わったものですから。母が見舞いには行っていますが」


 やや歯切れが悪いのは、兄を慕う舎弟たちの前で「兄なんかどうでもいい」という態度はいくらなんでも取り辛いという心理から来る無意識の反応であった。


「じゃあ、今回の一件も知らないよね?」

「今回の一件?」

「先日、ウチの一人が、ライバルチームの――君を誘拐した、にやられたんだ。そして今日、君の兄貴は、自分の舎弟が受けた傷の礼をしにいくと意気込んだはいいが、あちらさんも何故か妙にいきり立っててな、結果、相打ちとなったのさ。菅谷もだいぶ痛手を被ったが、君の兄貴は奴以上の大怪我を負った。さっき、俺らが病院に担ぎ込んだのさ。菅谷一派は君の兄貴が入院したことは知らないらしい。ボスとしても、己の不在を相手方に知られるのは不本意だろうってことで、俺の方から緘口令かんこうれいを敷いているがね」


 そんなことがあったのか。そういえば兄貴、ここ数日、妙にシリアスな顔してたなと思い出す。

 いつも以上に口調や態度が荒れていたし、どこかぴりぴりしたオーラを放っていた。怖いからそっとしておこう、と普段よりも多めに距離を置いていたはずなのだが、何故かこうして兄の抱える事件に巻き込まれる形となってしまった。

 もはや溜息すら出ない。己の不運を呪いたくなる。


「お兄さんから、そういう話はあんまり聞かないかな?」と、青木。

「ええ。……兄貴とはあんまり話さないので」

 そう言うと、彼は何故か少し寂しそうに「そうか」と頷いた。


「このままボスの不在が長引くと、いずれ奴らにもバレてしまいますね」

 話がひと段落付いたところで、赤毛が不安そうに言った。

「何としてもボスが帰ってくるまで、隠し通したいところだな」

「けどよ、向こうも馬鹿だよな。ウチのボスが簡単に攫われるわけないのに。顔だけ見て早とちりしやがって」

 長身の言葉に、まるで自分がどんくさいと言われたような気がして燈瑚はムッとする。

 彼のこの口調から、些かデリカシーに欠ける性格を見出すも、他の二人は彼の発言を咎めるでもなく、沈思するように難しい顔をしている。


 これ以上、兄貴関係のいざこざに巻き込まれるのはごめんだと思った燈瑚は、不躾を承知で、

「私はもう失礼します」

 と、ぺこりと頭を下げてその場を後にしようとしたが、そんな彼女を、赤毛のとんでもない一言が立ち止まらせた。


「いいこと思いついた! 青木さん、この子にボスの替え玉をやってもらえば、菅谷一派の目を欺けるんじゃないですか?」

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