第4話 死人に口なし足もなし

 警察の現場検証によれば、老執事の直接の死因は、天井から落下したシャンデリアが直撃したことによる圧死であろう、とのことだ。

 確かに、玄関ホールのシャンデリアが落ちて、砕けたガラスの破片がそこかしこに散っている。

 舶来品だというこのシャンデリアの骨組みは、重いアイアン製だ。直撃を受ければ命を落とすのも致し方ない。

 実際、女中がシャンデリアの落下に気が付いてホールに駆け付けたところで、執事の遺体を発見している。

 しかし、そもそもどうしてシャンデリアが落ちたのか。これだけのものが落ちたら、それなりの音がしそうなものだ。なのに、どうして時間が経つまで誰も気が付かなかったのか。

 執事の上半身と下半身が、分断されていたのも謎だ。

 シャンデリアは確かに重いかもしれないが、直撃を受けたところで身体が潰れはしても、ちぎれることはないだろう。そもそも、遺体はシャンデリアの下から階段へと移動している。誰かが引きずって運んだのだ。点々としているところをみると、一度上階に持って行こうとして、上半身だけを下に蹴り落としたのか。

 ちなみに、下半身はまだ見つかっていない。屋敷内では見つからなかったので、警察が庭を捜索中だ。

 もちろん、重要参考人である独歩たちや佐々城家の使用人たちは、終わるまでこの場を離れることができない。

「これはなかなかどうして、怪奇の仕業か人間の仕業か、わからなくなってきたな」

「は? 霊感が反応しているんだから、当然怪奇が原因なんじゃあないのか?」

「花袋、怪奇が影響していても、シャンデリアが落ちるところまではともかく、遺体が引きずられる、上下に分断されるなんてことが起こらないと思うぞ」

「……つまり、どういうことだよ」

「言っただろう。怪奇は実行力を伴った人間に憑りついて、初めて害をなすのさ。覚えておきたまえ」

 現象としての怪奇は、シャンデリアを墜落させる可能性がある。原因不明の音や衝撃を起こした事例は、怪奇現象の中ではむしろよくある事例だった。

 そして、怪奇は負の感情と相性が良い。少なからず怪奇現象に疲弊していたこの屋敷の使用人が、怪奇に引き寄せられて不運なる事故死を遂げた可能性は考慮すべきである。

 少なくとも井戸で首をくくった女中については、この理論で説明がつく。ただし、今回の執事については、怪奇現象だけが原因とするにはあまりにも不自然だ。

「怪奇はあくまで現象だから、目的を持って遺体を損壊したり、移動させたりはしない。遺体の半分だけ持ち去るなんて、いかにもなことをするか? 死体は死んでいるのだから、動かない。動かした人間がいるんだ」

「お、おう……」

「そして、この場にいない使用人が一人いるだろう」

 信子の話では、佐々城家の使用人は五人。

 女中が三人いるのは確認した。死んだのは執事。残された最後の一人は――。

「庭師の相川がいないわ」

 信子はどこか焦った様子で、窓から外の庭を覗きみている。警察が検分している人影が、ゆらゆら揺れる。

「その、庭師の相川さんに怪奇がついているかもしれないんですか?」

 ハルも不安そうに窓の外を覗いていたが、独歩の話は聞いていたらしい。ちらりとこちらを振り返った。

「可能性はなくはない。もちろん、どこかでもう一つの遺体になっている可能性も否定できないな」

「縁起でもないことを言うのはやめて!」

 比較的落ち着いていた信子が、不意に声を荒げた。

「相川は大人しく、真面目でよく働く庭師よ。今朝だって、私の身を案じて執事の大澤と一緒に見送ってくれたわ」

 信子にとっては佐々城家に長年勤め、こんな事態になっても家に残ってくれた信頼する使用人なのであろう。怪奇に取りつかれて猟奇的な行いに走った、とはにわかに信じがたいことは、感情としては理解できる。しかし――。

「信子よ。怪奇は理屈ではない。どんな真面目な人間でも、いやむしろ、真面目な人間の方が、気に病むから怪奇には好かれやすい。見ろ、僕なんて見えるだけで霊が寄り付きもしない。前向きで自信にあふれているからだ」

「そう言う問題じゃないでしょう!」

「そういう問題だ。そして、怪奇に憑かれているなら、なおさら警察は真相究明のアテにはならん」

「独歩君、警察がアテにならないというのは、根拠があっての考えなのかい?」

 シャンデリアの落ちた痕を興味深げに眺めていた藤村が、顔をあげて尋ねる。

「怪奇現象絡みの事件だと認定されたら、その容疑者は被疑者として扱えない。一種の災害的な扱いをされる」

 これは、『霊穴』の発生と共に、あまりにも説明のつかない事故や、動機の不明瞭な殺人が増えたための処置である。とはいえ、警察が調査に霊感のある人間を同行させることはまずない。霊感は各々で感じ方が全く違うため、いくらでも嘘がつけてしまう。だから証拠になりえない。

 逆に言えば、どうやっても確証を得られなかった事件が、『怪奇』として片付けられるとも言う。

「だが、怪奇現象じゃあ警察の手柄にはならない。事故や自殺として片付ける方がよほどいい。だから、今ごろ外の連中は『怪奇ではない証拠』を探すのに躍起になっているのだろうさ」

「……ろくでもない話を聞いてしまったわ」

 信子は失望の眼差しで、再び窓の外を見やった。

「そう言うな、信子。取材依頼を受けた以上、仕事はちゃんとするとも。むしろ、ここからは僕の本領発揮だな。ついてきたまえ。花袋も頼む」

「お、俺もか?」

「説明がほしいのだけど」

 戸惑いながらも、信子と花袋は意気揚々と玄関を開け放った独歩の背中を追う。

 独歩は何の迷いもなく、庭を捜索する警官たちに近づいていった。

「ごきげんよう。何か成果はありましたか?」

「……お前たちは屋敷で待機していろ」

 一番立場が上であろう壮年の男が、ぶっきらぼうに言い放った。素人が口だしをしてきたら困るわけである。

 警察としては、最悪証拠を捏造してでも執事の死因を事故として処理したいだろう。もしくは、失踪した庭師を犯人と決め付けて手配書を取るか。

「私は新聞社の者でしてね。この手のことには詳しいのです。事件の解明にお力添えできればと。……私の見立てでは、この件は不幸なる事故ではないかと思うのです」

 独歩は止めに入ろうとした若い警官を、軽く手で追い払う。一度振り返って、信子と花袋に「任せておけ」と声に出さず口元だけで伝えた。

「そこにおられる佐々城家ご令嬢の言う事には、シャンデリアは舶来品、遠い異国から取り寄せたものだとか。アイアンは非常に丈夫ですが、金属は海風に弱いものです。ましてやこの屋敷は建てられてから時間もたっている。シャンデリアを吊っていた鎖と、シャンデリアを支えるアイアンの留め具が劣化していたのでしょう」

 もちろん、はったりである。高級品のシャンデリアが、潮風で劣化するほど雑に運ばれてきたわけがない。鎖はこの屋敷に設置する時に新調されたもののはずだ。

 だが、警察が調書に書くだけの理由となりえる、と判断するならば多少は無理がある理屈でもいい。

 警察の存在は独歩たちには邪魔だし、警察側には怪奇現象が邪魔。適当な推測でも、証拠として「ありえなくはない」範囲に収まっていれば、警察はこの屋敷に用がなくなるわけである。

「庭師の相川は、真面目な男だったと聞いております。もしかすると、執事の大澤殿が事故に巻き込まれたと知って、助けようと無理に死体を引っ張ったのかもしれませんね。その結果として、死体があのように損壊したので、気が動転して走り去ってしまった……十分にあり得る話です」

 花袋が小さく「そんなわけあるか」と言ったので、独歩はやや大きめの咳払いをすることになった。空気を読んでいただきたい。

「そこにいる男は私の友人ですが、庭師の相川らしき男が助けを求めて走り去るのを見たと言うのです」

「お、おい……」

 急に話を振られた花袋は、焦ってあたふたと手を上げたが、独歩はそれを黙殺した。信子に至っては、呆れて物も言えない様子である。

 上官らしき警官は、胡散臭そうに独歩を睨みつけた。

 今の話に無理があることくらい、独歩自身が誰よりもわかっている。要するにこれは、『そういうことにしてくれ』という交渉なのである。

「国木田独歩と、言ったな」

「ええ」

「そこの佐々城家のご令嬢と、恋愛事件を起こした従軍記者、国木田哲夫だな、お前は」

(おっと、そうきたか)

 これは予想外で、さすがの独歩も少しはひやりとする。

 なまじ記者としてはそこそこ名が知られてしまったのが、裏目に出てしまった。まさか恋愛事件を覚えているとは。

「おや、ご存知でしたか。今は独歩と名乗っております。お見知りおきください。雑誌や新聞を発行しているのは、事実ですよ。よろしければ、今度我が社の取材をお受けいただけませんか?」

「断る。これ以上邪魔をせず、大人しく屋敷に待機しろ。過去の恋人との痴情のもつれということにして、逮捕されたくなければな」

 どうやら頭が固いタイプのようだ。

「それならば、私の多少無理がある理論で事故死とした方が、お互いに後腐れがありませんよ」

 作戦変更。堂々と取引を持ちかける方が、この男には有効であろう。

「私も、かつての婚約者に不要の心配をかけたくない」

「そもそも、破局した婚約者の元にいるのは何故だ」

「おや、人がお悪い……。自慢ではありませんが、私はこれで策を弄する方でしてね。この家のご主人には偉く嫌われておりましたが、これでも使用人には好かれていたのです。何せお嬢様との約束を取り付けるにも、中に入らせてもらえなければお話にならない。よって、私にはこの屋敷の使用人には、感謝の念こそあれど恨みなど一切ございません。疑うなら聞き取りをされてみては?」

 ちら、と横目で見ると、花袋が道端で犬の糞を踏みつけたような顔をしていた。信子にいたっては能面のごとき無表情である。

「お恥ずかしい話ですが、私の会社はあまり儲かっているとは言えません。彼女とは、今は恋情ではなく、事業のお付き合いがあるのですよ。パトロンの屋敷の使用人をどうにかするなんて、そんなバカげた話はありますまい」

 この辺りは、概ね事実であるから、いくら嗅ぎまわられても構わない。独歩社にいってもそういう証言がでるだろうし、この屋敷の使用人にしてもそうである。

「要するに、あまり景気の悪い話になられたら困るというわけなのです。ましてや世の中は霊だ怪奇だと騒がしい。この哀しき事故も、怪奇と噂を立てられれば、警察としても威信に関わるでしょう。嘆かわしいことです」

 頑なな相手に要望を伝える時は、こちらの事情をある程度正直に話した後、相手の立場に共感と同情を表明するべし。論戦で言い負かしてもいいし、そうできる自信もあるが、それでは警察からの心象がどんどん悪くなるからだ。

 押してダメなら、引いてみる。駆け引きの基本である。

「私は記者でもありますから、警察とはことを構えたくありません。怪奇でないと証明さえできれば、お互い気苦労のタネも減りましょう」

「……死体の半分が見つかっていない」

「なるほど、半分が見つからないと、証拠として書くにも……ということですね。現状、何らかの理由で庭師が持ち去った可能性が高い。だが、理由が不明。そもそも事故死であれば、遺体を損壊する理由などないはず」

「だから探している」

 だいぶ交渉の余地が出てきた。要するに、消えた遺体の下半身さえ見つかればいいのである。怪奇的であっても、怪奇として処理しない理由があればそれでよろしい。

「花袋よ、君はどう思う? 何か『臭う』かね?」

 独歩は近づかなければ見えないが、花袋の鼻はかなり遠くからでも微かな『臭い』をとらえられる。物を語らぬ死体探しには適任である。このために花袋をつれてきたのだ。気配を辿れる藤村でも良かったが、花袋の方がどの程度の霊感であるのか把握しているので頼みやすい。

「俺はいつから犬になったんだ……」

 花袋は沈鬱な表情となったが、独歩は彼の爪先を軽く蹴飛ばした。こちらが頑張って「怪奇ではない」という体裁を整えているのだから、霊感に関する発言は謹んでもらいたい。

「背が高いから、僕よりも見つけやすかろう」

 話を合わせろ、と目で訴える。花袋は眼鏡の奥の眼差しを少しそらして、はぁ、と大きなため息をついた。

「お前が確認しろよ……」

「もちろん、それは任せてくれたまえ」

 花袋は、霊感抜きでも鼻がいい。

 どれくらい鼻がよいかと言えば、珈琲の豆や茶葉を変えたら淹れている最中でも気が付くし、水の匂いで通り雨があとどれくらいでくるかわかる。しまいには、街中で綺麗な娘がすれ違いざまに香らせた髪油の匂いまで判別する。

 髪油の匂いについては、若干彼の性癖を感じないでもないが、人の三倍くらいは臭いに敏感なのだ。血なまぐさい遺体の匂いをかぎ分けるくらいは雑作もないだろう。

 ――もちろん、この庭に遺体がある前提であるが。

「……多分、あっちだ」

「お? わかるのか?」

「こっちの方から血の匂いがする」

 花袋はどんどん進んでいく。独歩は本当に犬を連れ歩いているような気分になったが、そこは親友のためにあえて口をつぐんでおいた。

 花袋は、どんどん屋敷の裏手に進んでいく。信子も、先ほどの上官含む数人の警官も、どこか釈然としない様子で彼の背を追った。

 少なくとも、独歩と信子に関しては、釈然としないのも当然であった。花袋がたどりついたそこは、先ほど自分たちが確認したばかりの、例の枯れ井戸であったからだ。

「そこは、ついさっき確認したばかりじゃない」

 信子は不審そうに花袋を睨みつけたが、彼は聞いていなかった。丸眼鏡の奥で、瞳が爛々と光る。

「絶対にここだ。間違いない」

「どれどれ……」

 独歩が覗きこむ。そこは、先ほどみたものとは全く違う光景が広がっていた。

 投げ捨てられて、折れ曲がった執事の下半身。その遺体を、羽根が曲り、目が落ち、くちばしの欠けたたくさんの小鳥が、我先にと屍肉をついばんでいる。

「……庭師殿は、ずいぶんと錯乱なさっていたようですね」

 振り返ってそう言うと、何人かの警官が駆け寄ってきた。中を覗き込み、顔をしかめる。一人は茂みまで駆けて行った。数秒の後、嘔吐する彼のうめき声が地鳴りのように響いた。これで吐くなら、上半身の時も吐いていそうだ。

(恐らく、小鳥が見えているのは僕だけでだろうが、遺体が投げ込まれたのが僕らと入れ違いであったのは確かだ)

 独歩たちは、屋敷に顔を出す前にまず裏庭に来た。

 そして、井戸には執事の下半身がなかったことを確認している。『見える』方の独歩はともかく、花袋や藤村もはっきりと「何もない」と答えていた。

 そして、今は独歩だけではなく警官も見えている。複数人の警官全員が、たまたま『見える』ことなどまずありえない。花袋に見せるまでもなく、この遺体はそこに在る。

 となると、急に色々と辻褄が合わなくなる。

 何故、裏庭にいたタイミングを見計らったかのように、屋敷で悲鳴があがったのか。どうしてシャンデリアが落ちた時は、誰も気付かなかったのか。何故、遺体を損壊したのか。入れ違いに下半身だけ井戸に投げ込んだのは何故か。

 とりあえず今は――。

「遺体は見つかりました。どういたしますか?」

「遺体を回収し、一度戻る。本件は事故として処理をし、庭師の相川に関しては状況を知る者として捜索を開始する。現場の確保は厳守していただきたいが、貴殿らは自由に帰宅していただいて結構だ。ただし、相川が戻った時のために、連絡役は用意する」

「順当な判断ですね。……信子、それでいいか?」

「構わないわ……」

 信子は淡々と答えた。

 事実上、口先だけで警官のほとんどを追い払う偉業を成し遂げたのだから、もっと景気のいい顔をしてほしいものだ。しかし、相川が行方不明、謎が山積みとなっては、浮かない気持ちになるのもわからないではない。

 独歩には、ひとつの推測ができた。

 しかし、「どうしてそういうことになったのか」がわからない。

 警官たちが、何やら調書を書きながら相談しあっているのを見ながら、思案する。仮にこの推測が正しかったとして、その『どうして』の出どころがあるとしたら、信子のすぐ近くに存在するのではないか?

 独歩は花袋を手招き、警官たちには聞こえない程度の小声で耳打ちする。相手の背が高いので、背伸びをする必要があるのが解せない。

「花袋。急いで國男を呼んできてくれ」

「は? 何でアイツを?」

「あいつが一番オカルトに詳しいだろう。僕は一度社に戻る。そして、資料をもって戻ってくる。ハルちゃんは……」

 少し考え込んだ後、独歩は信子を振り返った。

 女性でなければ難しいことが、ハルならできるではないか。しかも、ハルは霊感もちだ。

「信子、今晩はハルちゃんと一緒の部屋で寝てくれ」

「ハルさんを……危ないことに巻き込むのは」

「そりゃあ、ハルちゃんを巻き込むのは僕としてもどうかと思わないでもないが――現状、一番危険なのは霊感を持っていて、しかも屋敷に直接関わりのないハルちゃんよりも、信子の方だ。むしろ、ハルちゃんなら、屋敷内の異変に気付ける可能性は高い。これ以上死人を増やしたくないだろう」

 さすがに、これ以上使用人が死ねば、金を積んでごまかすのは難しくなる。病死が二人、事故が二人。四人死んでいるだけでも、ずいぶんなことだ。

「僕らは警察でも探偵でもないが――都合よく霊感を持っている。信子、これは怪奇の取材だ。僕らは何も、道楽で首を突っ込んでいるんじゃあない。真実の探求は、文士にとって永遠の命題なのさ」

「お前は金ももらうもんな……」

 さりげない花袋の指摘に、独歩はややムキになって彼のすねを蹴り飛ばした。

「いてえ! お前、それこそ真実だろうが!」

「場をわきまえろ。それとさっさと國男呼んでこい!」

「俺は伝書鳩か!」

「犬になったり鳥になったり、愉快じゃないか。僕なんてこれから独歩社まで走って戻ってくる。トンボ返りだ。虫じゃないか。動物ですらない。贅沢をいうな」

「こんの屁理屈野郎!」

 親友たちの微妙な口論を聞きながら、信子は「大丈夫かしら」とため息をついた。

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