Taphephilia

「俺、あなたに懺悔しなくちゃならないことがあるんです」


 

 つめたい月夜だった。酒の匂いが頭蓋のまんなかにわだかまり、香炉の煙のようにふわふわと脳を揺らしている晩の、路地裏だった。

 え、と濡れた舌が一瞬で乾いたように固まり、ゆづは足を止め…きれずに少しふらつく。酒のせいだ。高めの塀の上から伸びた、民家の庭の枝葉がちょうど仁の表情を翳りで隠していた。 

 思わず視線がさ迷ったアスファルトには、ぽつぽつと朱色がまかれていて、ピントが合うと、それは柘榴の花で、おやこの季節だったかな、と思う頭は酒のせいじゃなくぐらぐらだ。酒の入った仁はゆづにとっては地雷がしこたま埋められた国境のようなもので、彼がこういう風に口を開いたとき、ふとした瞬間に恐ろしい事実が暴露されるのではないかと怯えてしまう。昔の恋人、あやまち、残酷な心模様。ありもしない地獄の景色は、飲み過ぎた酒が描かせるものだけではあるまい。

 固唾を飲んで、続く言葉を待つ。ひゅるりと吹いた秋風が、柘榴の花をまたひとつちらす。




「………こないだ、未亡人もののAV検索しました…………」

 


 時が止まった。ような気が、した。

 ゆづは三秒ほど表情筋をうにゃうにゃさせ、みぼうじんもの、と唇で今しがた聞いた言葉をたどった。その意味を理解して、それでもなお三秒考えたところで、

「そ、それってつまひ、いやつまり、人妻とか熟女とかあのへんのAVにあるやつですよね!?」

「そうです…………」

「え、いや、まずしのぶさん女性のそういうのいけたんですか!?」

「全く、皆目、一部の隙もなくだめです」でもゲイビだと無いんですよそういうの、とやけに据わった目で言い放つ仁は既に居直り強盗の風格だ。

「そういうの、というのは…………」

「喪服です」

「はあ。しのぶさんは喪服フェチ、と……」

「わかってて言ってるんですか。鬼ですか」

「い、いえ、あのぉ……」正面から凄まれ、ゆづはもう座り込みたくなった。つい先日まで、自分がいつも喪服を着ていたのを理解しているのは、目の前の男だけではないが。それにしても。返しに困る告白、暫定今年トップに躍り出る衝撃である。

 仁は立ち上がると、猫のように頭を振って続けた。「ですが、未亡人ものはむやみやたらと見つかっても俺は女性に興味がないので、幸いといっていいのか未遂です」

「未遂でしたか」

「減刑してください」

 どうやら仁もやけくその風体である。眼鏡を外して目元を掌で覆い隠しているが、耳から首筋までが嘘のように赤い。酒のせいとは思えなかった。

「じゃあ執行猶予つきですね」笑って返す余裕は取り戻しても、ゆづもまだ耳が熱い。わしゃわしゃと擦ってみたが、一向に思考はぐるぐる酒に浮かんだままだ。

「…………ええっと、まあ、はい、僕はそれぜんぜん気にしないんで、冗談ですね、執行猶予とかは」こほん、と咳をする。芝居がかった仕草でごまかさないと居たたまれなかった。

「そ、その。しのぶさん、別に、僕にまた喪服を着てほしいわけではない、んです?」

「あ、そういうわけではなくて。ただ。その」

 俯いてしまった仁の無言を、会えないときに自分の面影を探したかったと受けとるのは自惚れが過ぎるだろうか、と思いながらも、ほぼ正解なことはわかっている。この澄ました黒猫みたいな男は、存外さびしがり屋だ。

「……本当に、出来心というか。つい。ふらっと。魔が差して」

「あ、いや、変に疑って訊いたんじゃないですよ。そのために喪服を着る……というのは、それはなんか、アレですけど。その、知っておきたいですし」好みというか、とこの期に及んで言葉を濁すゆづに、しばらく─普段よりは─目を丸くしていた仁は、ちょっと考えてから腕を組み、

「………希望を言っていいなら、少し乱された着物に五つ紋付きの羽織を肩にかけて、電気の消えた夜の和室の焼けた畳にへたりこんで酒の入った目で見上げられたいです」

「しのぶさんね、あのね、そこそこ酔うと性癖フルオープンになるのそろそろ自覚した方がいいですね」口を塞ぎに行きながらゆづは仁の肩を叩く。並んで、平行四辺形の月光が射し込む路地裏をまた歩きだしながら、具体的に過ぎるシチュエーションの性癖をさらけ出した仁は、既にできあがった人間独特の据わった目で「眼鏡は外さないでください、外します。お花があるといいですね、床の間に。俺、最近花が好きなんです。人にあげたら、綺麗だろうなって」

「了解了解、しのぶさん次から宅飲みにしましょうねー、ほらほら。あ、月が綺麗ですよ。月光がまっ白くて、ね、あそこに落ちてる柘榴の花が。珊瑚みたいに光って。ふふ、僕らふたりだけしかいないの、まるきり、夢みたいですね。……」


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