雨降花

 昼顔を摘んではいけない、と教えてくれたのは誰だったろうか。薄桃色の透けた花びらを見下ろして、ユーゴは右目を細めた。薄曇りの湿度の高い庭は、青い葉と土の匂いが膜をはったように濃い。夏が近いのだ。

 いけないと云われると、やりたくなる。悪魔の囁きなどというには些細すぎるかもしれないが、誘惑の魅力は一緒だ。そうめんみたいな細さだな、と情緒のないことを思いながら花の首に指をかけた。

 そのとき、背後から濡れ土を擦る下駄の音が聞こえて、振り返ると、縁側から人が庭に降りるのが見えた。その白すぎる肌によく映える、紺絣の浴衣を着た、雨柄比留呼だった。うなじて束ねた白い髪が濡れそぼち、上質な絹の反物のようにきらきら輝いていた。

 ユーゴの手元を一瞥した彼の、火のように熟れた果実の色をした瞳が瞬いた。

「雨降り花ですね」

 瞬きしたユーゴを見て、比留呼は「一般的には昼顔、でしょうか」と言葉を変えた。

「あー。ですよね。……もしかして、昼顔を摘んじゃいけないっていうのは」

「名の通り、摘むと雨が降る、という伝承があるんですよ」

 言いながら、比留呼は音もなく花に歩みより、不意にぶちりとその薄桃の円錐を千切りとった。止める間もなさすぎて、呆気にとられたユーゴは思わず自分も花を千切ってしまった。「あ」

「雨。降りそうなので」

 取っても構わないでしょう、とさらりと言ってのけ、比留呼はその花を咥えた。何から何まで想定外で面食らうユーゴだったが、比留呼はそのまま、少し乱れていた束髪を直し始めた。両手で髪を触るために花を咥えたらしいが、薄曇りの紗をかけたその光景の、ほの白く輝くような、あまりに現実離れした様子に、ぼうっと目を奪われた。贄のような花を喰うさまが、古代の巫のようだった。

 彼のいう通り、ほど近い雨の気配が傷を撫でた。雨粒が落ちてくる前に、と、縁石の脇に置かれた傘を取りに行く。二本の傘をとり、振り返ると、比留呼は花の傍に佇んで、先刻より薄墨の濃くなった空を、真紅の瞳で見上げていた。

 雨を呼んだのが、この人のようだ。

 そう思いながら、傘を手に、晴れとも雨ともつかぬ空の下へ足を踏み出した。



(わにさんの、雨柄捜査官をお借りしました)

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