Under the rose

「ユーゴの恋人って、どんな人なんだ?」

 ある時にこにこと訊いてきた笑顔は、夏の朝の湖の色をした髪にとりまかれ、木漏れ日のように心地よいものだった。

「…………え?」

 ドリップコーヒーに湯を注ぐ手を止め、ユーゴは強ばってる自覚のある笑顔を作る。ぴょん、と座っていた椅子から跳ねるようにおりた、夏の妖精のように青いARMA─ダーリンは、ケトルを構えたユーゴの隣まで歩いてきながら続ける。

「だって、ユーゴ、俺のことモン・シェリって呼ばなくなったもん。できたんでしょ、Mon cheriが」

「ああ…」

 ドリッパーの底からぽとん、とコーヒーの滴がおちる。ミントを混ぜた粉がこぽこぽと泡をたて、どう答えたものか悩んでいるユーゴの沈黙を補う。

「ちょっとさびしいけど、モン・シェリ呼びは恋人ができるまでの約束だったもんな!」

「うん……いや、ダー君意外と聡いな、こういうのってうわ」

「ダー君じゃなくてダーリン!」

 ぴすっぴすっと脇腹をつつかれてユーゴは慌ててヤカンをおろし、どう答えたものか考えながらとりあえず二人ぶんのカップにコーヒーを注いだ。豊かな香ばしい匂いに、ほのかなミントの香りが混ざる。

「それで、どんな人?」

 横についてきたダーリンの、まさに人好きのするという言葉がぴったりの笑顔に、うっかり素直に喋りそうになる。元々幸せなんていうふわふわしたものを押し込めておくのは人には難しくて、隙あらば開いた口からこぼれてしまいそうになる。花を満開に咲かせた木のように。でも、花びらを落としてはいけない理由も、時にはあるのだ。言葉を選び、そっとしまい込み、それでも彼について伝えたいことを慎重に舌にのせながら、カップをひとつ手渡した。

「……愛したがり」

「愛したがり? ユーゴよりも?」

 照れてしまうようなことを真正面から投げ返してくる彼は、名前の通り、愛をコンセプトに造られている。それならこんなに真っ直ぐに愛を知りたがるのも仕方ないのか、と思いながらも、こういうことを話すのが思いのほか恥ずかしいことに、年を取ったなあとユーゴは椅子に腰かけた。その向かいで、ダーリンはとても嬉しそうに両方の手で頬杖をつく。少女じみた仕草のよく似合う花のかんばせは、それこそ愛されるために生まれた造型なのだ。

「それで、いつ結婚するんだ?」

 けほ、と飲みかけのコーヒーが少し引っ掛かり、ユーゴは咳をして苦笑いした。ガラスの靴とハピリー・エヴァー・アフターに憧れる少女のような問いに、望むような答えは返してやれないのはわかっていた。

「結婚なあ、そーだなぁ…」

 歯切れの悪い答えに、こてんと首をかしげただけのダーリンは、すぐに手を叩いて別の質問を生み出した。「キスは? デートも! どんな感じ?」

 恋人とすること、と聞いて彼が思いつく純度の高い空想は、おもちゃの宝石箱からとっておきを取り出してきたように輝いている。「ダー君さぁ」「ダーリンね」「ぶふっ」

 ARMAの運動速度で脇腹をつつかれ、コーヒーを噴きかけた。危ない、今噴くと真正面のダーリンの白い服が大変なことになる。

「どこへも出かけないな。お互いの家が多い」

「それで楽しいんだ?」

「俺たちはね」

 つまらない答えかもしれない、と少し眉が下がった。恋に夢みる季節は短い。箱のなかのサファイアに似た彼に、できるだけ楽しいものを見せてやりたかった。ふーんと、興味深そうに聞いていたダーリンは、にっこりして次の弾丸を放った。

「それで、性交はしたのか?」

 今度こそ消火ホースの勢いでコーヒーを噴き出し、真正面のダーリンの輝く顔面にぶちあててしまった。

 謝りながら布巾をもってきて、謝りながら服を着替えさせて、謝りながらシャワーを浴びさせて、一息。彼の固定バディである御木捜査官ほどの手際はないが、それなりにてきぱきと後始末し、朝露に濡れたリンドウのような長い髪をタオルでごしごしやっていると、くるりとダーリンは振り返った。お湯を浴びたあとの笑顔はいつにもまして眩い。

「で、したのか?」

 なんだこれは。ダー君ダー君とからかいつづけたツケを払わされているのか。ユーゴは冷や汗がにじみ、傷痕を中心に顔が火照るのを自覚しながら視線をさまよわせる。嗚呼視界の端にあってもわかる、そのシトロンの瞳の無垢。幼い自分が、赤ちゃんはどこからくるの、と訊ねたときの両親の気持ちが今ならわかる。ごめんなさいお父さんお母さん。

 性交セックスから始まった関係だなんて、口が裂けても言えない。

 この間数秒、ただ事ではないユーゴの表情に色んななにかを察したのか、ダーリンは立ち上がると力強くユーゴの肩を叩き、目がつぶれるほど眩しい笑顔でぐっと親指をたてた

「大丈夫だよ、ユーゴ! あせらず、一歩ずつ手順を踏んでいけばいいさ! 俺、応援してるから…!」

 違う、逆。と言おうとしたのを飲み込んで、ユーゴはかつてないほど情けない笑顔で頷いた。



(もへさんの、ダーリンさんをお借りしました)

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