とりかへばや

 労働時間の見直しを、と叫ばれて久しい近頃ではあるが、ZENOの捜査官は大抵朝が早い。そして残業も夜遅くまでだ。少々寝不足気味のユーゴが、セットしそびれた前髪をかきあげながら自分の席についた朝七時には、既にそこそこのデスクが人と書類で埋まっていた。勤勉なのはこの国の民族性だとは思うが、時々やりすぎじゃないかと思う。最も、ユーゴ自身も、同僚たちと一緒にどっぷり深夜まで残業耐久レースに出場する常連ではあるのだが。

 席についてすぐ、少し離れたデスクから席を立ち上がった後輩の馬頭瀬緒が、近くで既に仕事を始めていた神座苑清廉の肩を叩くのが見えた。自分と同じように、昨晩遅くまでオフィスに残ってサウナよろしく我慢大会を開催していた二人である。

「ちょっと清さん、いいですか。確認しときたいことがあって。ユーさんも」

 と、こちらを向いて手招きをする。さすがはイケメン、立っているだけで華やかである。少し目を引いてしまうことを憂いながら、ユーゴは立ち上がって彼らの傍へ行った。しかし、瀬緒はさりげなく歩きだし、室内から廊下へ出てしまう。あれあれ、と清廉と二人でついていくと、廊下の観葉植物の死角になるところで彼は立ち止まった。持っている書類に目を落とすふりをしながら、女性だったらもれなく陥落するような視線をちらりと投げかけてくる。

「二人とも、昨夜、残業のあとちゃんと帰ってないっしょ」

 ビジネスホテル? と訊ねる瀬緒に、清廉は言葉に詰まり、ユーゴは苦笑いで頷いた。

「俺、ユーさんのこと信じて清さんのこと任したんだけどさぁ」

「わはは……終電で終点まで寝過ごしちゃったんだよな」

 でも、残業後に寝過ごし、彼と外泊した程度でなぜこうして物陰に呼ばれているのか、と考え込みそうになったユーゴの首元に、すっと瀬緒の指が伸びてくる。訝しそうにしていた清廉の方も同じく、瀬緒は巧みに二人のネクタイの結び目に指を滑り込ませ、思いっきり引っ張った。ユーゴの方はネクタイピンに阻まれたが、清廉のネクタイはしゅるりとほどける。抵抗する間もない早業である。これがイケメンの手管かとおののいている間に、瀬緒は手早くユーゴのネクタイもはずし、ふたつを見比べた。どちらも黒く、光沢がある。だが、すぐに瀬緒の眉間に皺が寄った。

 改めてあたりを見回した彼は、誰もいないことを確認して腕を交差させ、それぞれ、お互いがつけていたネクタイを胸に押し当てた。

 先に気づいたのは、黒い瞳を持つ清廉だった。色のコントラストに弱い青い目のユーゴがまだ首を傾げている間に、ばっと清廉は自分の方に差し出されたネクタイをとる。その動きにやっとユーゴも気づいたようだった。さっとむき出しの傷痕が赤くなる。

「言われなきゃわかんない、とは思いますけどねぇ」

「い、いや……」

 現に君は気がついたじゃないか、と気まずそうな顔でネクタイを締めなおす清廉は、ついさっきまでつけていたネクタイの色が、普段ユーゴが身に付けている見事な黒であり、目前でやはり気まずそうにネクタイピンを留めなおしているユーゴがつけていたのが、ややグレイがかった清廉のものであることにため息をついた。瀬緒は形のよい唇に意味深な笑みを浮かべ、ふたりを交互に見ていたが、不意に二、三回まばたきをした。

「……………」

「え、えーと、お舟バトーちゃん?」

 笑顔が消えた瀬緒が、まじまじと自分達の袖口を凝視していることに不安になったユーゴが声をあげる。…と、自分のシャツの袖を見て口元を押さえた。次いで察した清廉が天を仰ぐ。

 二人とも同じような、コンバーチブルカフスの白いシャツだ。しかし、肝心のカフスの形が違う。アンティークのガラスのカフスと、綺麗に磨かれた銀のカフス。それは見慣れたものだが、使い慣れたものではない。

「……今、シャツまで着替えろとは言いませんけど」

 俺以外、そうそう気づかないだろうし、とにっこり笑った瀬緒は、美しい切れ長の目でふたりを見上げた。清廉は切れかけの蛍光灯を睨み、ユーゴは顔を覆った。

「……今晩は早めに帰りましょうね」

 はい、と三十路を過ぎた男二人の殊勝な返事が響いた。



(四宇さんの馬頭捜査官と、からしぎさんの神座苑捜査官をお借りしました)

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