第26話 尋ね人

 気怠い体に気合を入れて起きると、亮太はもう居なかった。


「あれ? 今日も仕事だったの?」


 もうお昼になろうとしていた。朝早くから私は、亮太にいただかれてしまった。

 服は何処だと探していたら、部屋の入り口近くにあった。


(ああ!あんな所に投げ飛ばしてっ)


 毛虫のように這うようにして服を取りに行く。


「やだぁ、久しぶり過ぎて腰が変な感じ」

「何やってんの」

「きゃあっ!」


 咄嗟に手にした服で前を隠した。見上げると、部屋着に着替えた亮太が私を見下ろしている。

 じぃっと見られると逆に動くことが出来なくなるから不思議だ。

 それでも前に当てた服を広げ、もう少し隠さなければと指先に力を入れた。


「服着るからあっちに行ってて」

「なんだ、まだ足りなくて誘いに来たのかと思った」

「っ、なわけないでしょー」


 亮太は「あはは」と笑いながら部屋のドアを閉めた。あんな冗談を言ったりするのかと、驚く。

 最近の私は亮太の一言一句、一挙一動に過剰に反応してしまって困る。今まではそんなことなかったのに。やっぱり一線を越えると、相手に対する感情が大きく変わるようだ。

 それと同時に、独占欲がも湧いてくる。


「男の人も同じかなぁ……」


 ぼそりと小さな声で言ってみた。一緒であってほしいような、これは私だけの秘密にしたいような複雑な気持ちになった。そんな自分に、自分で苦笑する。

 部屋着をなんとか身に着けリビングに出ると、なんと亮太がキッチンに立っていた。


「え! 何してるの⁉︎」

「何って、おまえが作ってくれたやつ温めようと思って」

「なんだびっくりした」

「はあ?」

「何でもない」


 まさか料理ができるのかと驚いた。亮太からはそういう事をするイメージがわかない。

 出されたものは残さずに食べるし、「旨い」と言ってくれる。でも、誰かに食べさせるという行為が目に浮かばない。一言でいうと、捻くれた少年像しか思いつかないのだ。


 私は動くのが面倒なくらい怠いので、ダイニングテーブルに座って突っ伏すようにして顔だけ亮太に向けた。


「今日休みだったの?」

「ああ。二日もぶっ通しだったからな」

「そう」


 なんだか元気そうでムカつく。私はまた明日から仕事なのに、疲れが取れる気がしない。

 いや、逆に疲れさせられたのが正解。


「しんどそうだな」

「まあ……」

「食える?」

「うん」

「なぁ、それって俺のせい?」

「聞くな!」


 へらへら笑いながらお茶碗やお皿を並べて行く。

(あれ? お味噌汁って、作ったっけ?)

 キッチンに目を向けるとお鍋から湯気が上がっているのが見えた。


「これ、亮太が作ったの⁉︎」

「そうだけど」

「作れるんだ。感動したぁー」

「味噌汁くらいで感動すんなよな」

「だって」


 亮太はどんな顔わして作ったんだろう。それを考えただけで胸がキュンとなる。

 私はもちろんお味噌汁を一番最初に口にした。


(ちゃんと出汁きいてるじゃん。美味しい)


「美味しい。なんか優しいね」

「施設のおばちゃんに教えてもらったんだ。時々、みんなで作った。一人立ちしても大丈夫なようにってな」

「そうだったんだ。じゃあ他にも作れる?」

「まあ、ありきたりのは。カレーとか肉じゃがとか定番のやつ」

「へぇ」

「でも俺は作ってもらう方が好きだから、もうしてやんねーぞ。今日は特別だ」

「なにそれ、けちだなぁ」


 亮太の顔が、ほんのり赤くなっていたのを私は見逃さなかった。出逢った時なんて頬骨を上げる事なんてなかったのに、今は弧を描くように口元を緩めたり、目じりを下げたりする。

 心を許してもらえたのだろうか。野良犬が懐き始めたそんな例えしか思いつかない。


「んふふっ」

「何笑ってんだよ」


「何でもないよ」と言って誤魔化した。だって幸せって言葉が浮かんで恥ずかしくなったから。


 * * *


 翌日、私は珍しく日勤だった。

 いつものように朝礼から始まり、改札に立って、切符販売して精算して、ホームに立つ。

 お昼休憩を挟んで、お掃除セットを持ち構内を巡回する。

 あれ以来、鉄道警察隊の詰所の前を通るのが少し恥ずかしい。そのため、なんとなく早足でその前を通り過ぎる。

 するとその時、鉄警隊の事務所から一人の若い女性が出てきた。

 肩まで伸びた髪には緩いパーマがかかっていて、肌の色は白く、お人形さんのように可愛らしい人だ。


「あっ、駅員さん。この駅ってここから何分で着きますか?」

「はい(うちの最寄駅だ)。駅は三つ目で快速に乗れば二つ目になりますね。今なら四番ホームから出ています」

「ありがとうございます」


 彼女の可愛らしい笑顔に絆されるようなるなんて。きっと彼女から見たら私なんてオバさんだ。


(いくつだろう。二十代前半かな?)


 私は羨ましいビームを彼女の背中に送り、仕事に戻った。


 * * *


 午後五時を過ぎた所で、休憩の人と入れ替わり業務報告書の記入をして本日は終了。


「おつかれ様でした」

「おつかれー」


 日勤を終えると、とても健康的な生活をしている気になる。亮太も今日は早く帰ると言っていたので、スーパーに寄って帰ることにした。


(あれ? あそこにいる娘って?)


 マンションの入り口に近づいたとき、昼過ぎに乗り場を聞かれたあの可愛らしい女性を見つけた。

 彼女は近づく私に視線を向けたけれど、何もなかったかのようにまた道路に目を戻した。


(ああ、制服だったから気付いてないんだ)


 声を掛けるかどうか迷いながらマンションに入りエントランスで鍵を出した。その時「あの」と声を掛けられたので「はい」と振り向く。


「知っていたら教えて頂きたいのですが」

「はい」

「伏見亮太って人がこのマンションに住んでいると聞いたのですが」

「えっ」

「もしかして、ご存じ、ですか?」


 その質問には驚いた。ご存じも何も、今一緒に暮らしていますけどと心の中で答える。

 彼女は少し潤んだ瞳をくるんと動かして首を傾けた。まるで飼い主を見失って不安そうに縋る真っ白なチワワに見えた。


「し、知っています」


 なぜか私は、その子に追い込まれたように答えた。

 彼女の瞳は一層大きく開いて、花がほころぶように笑った。


 私にはない、乙女の甘い香りを振り撒いた。

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