第30話 帰る場所ー解放ー
一旦二人と別れた私は残りの業務をこなし、引継ぎまで終わらせた。
案外私は追い込まれると冷静になれるらしい。
「お疲れ様でした」
「お疲れー」
事務所を出て、約束したカフェへ足を向けた。カフェラテを手に奥へ足を進めると、ソファー席で窓の外を見つめる彼女を見つけた。
男性は居なかった。
「お待たせしました」
「先ほどは、すみません」
感情的になるけれど常識はきちんと備わっている人なんだろうと思った。罰が悪そうに俯いた彼女を見ていると、こっちが謝りたくなるほど、彼女は小さくなっていた。
「亮ちゃんを返して」と言った、あの勢いは何処へ行ってしまったのか。
「真希さんと呼んでも良いでしょうか」
「あ、はい」
「あの、さっきの男性は?」
「彼は後から来ます。今は自分が居ない方がいいだろうからって」
「そうですか」
「彼氏です。さっきの人は、私の彼氏です」
私から質問をする前に、彼女は俯いたまま落ち着いた声で話を始めた。
一つ年上の彼は会社の先輩で、入社した時からよく面倒を見てくれたそうだ。明るくて頼もしくて、とても優しい彼に惹かれ恋人の関係になった。彼は真希さんの生い立ちやこれまでの境遇を聞いて、これからは自分が護るからと約束をしてくれたそうだ。
聞く限りでは上手くいっていないとは思えなかった。
「結婚を考えるようになって、向こうのご両親に挨拶に行きました。前もって彼が私の事を話してくれていたので特に私からは言う事はなかったです」
その話では奥底に潜んだ闇は見えない。けれど、私には聞こえてくる。お腹にある小さな鼓動から私はある映像を見た。それは、彼女が隠している辛いできごと。
『嫌、私の子供だもの。誰にも渡さない!』そう言って一人で泣く彼女の姿があった。
「言われたくないことを言われた。そうでしょう?」
「えっと?」
「真希さん、お腹に赤ちゃんがいますよね? それ、気付いていますか」
「えっ、なんで知って」
真希さんは驚きで目を見開き、涙をポロンと零した。
「気持ち悪いと思うかもしれないけど、私には人が見えない物が見えたり聞こえたりするの。さっき怪我の治療をした時に手に触れたでしょ。真希さんとは別にもうひとつ心臓の音がしたから。ねえ、その赤ちゃんって」
「彼の子です。妊娠している事が分かって挨拶に行ったので」
「そう」
「は、ぃっ。うっ、うぅぅ」
真希さんは声を押し殺して泣きはじめた。私は無意識に彼女の手をそっと握る。
そこから見えたのは彼に肩を抱かれ、二人の大人の前で泣きじゃくる彼女の姿だった。
『赤ちゃんが出来てしまったのは仕方がないわ。一緒に育てましょうね』
『ああ、赤ちゃんはみんなで育てよう。私たちの家族だからね』
『大丈夫です。二人で頑張って育てますから』
『何言っているの。あなた子供の育て方、愛情の注ぎ方が分からないでしょう?』
『そうだぞ。子供は宝だよ、間違った風に育たないように私たちも協力するよ』
彼のご両親はどういうつもりで言ったのかは分からない。ただ、あなたには子供を育てることはできないだろう言ったのは間違いない。親を知らない人間が親になれるわけがないという意味だ。
私はギュッと力を込めて彼女の手を握った。
「それで辛くなって亮太に会いに行ったの? 亮太なら助けてくれるって思ったの?」
彼女は小さく頷いた。これまでも亮太は彼女に手を差し伸べて来たんだろうと思った。亮太にとって彼女は家族で、彼女にとっても亮太は家族なんだと思った。
「亮ちゃんとなら、この子を育てられるかなって、思って」
「その子が、亮太の子供じゃなくても⁉︎」
「っ!」
抑えていた感情が突き上げてきた。
「勝手すぎる!」
「ごめんなさい」
「皆、勝手すぎるよ。育て方が分からないと決めつける彼のご両親も、護るって言ったくせにあなたをこんなに傷つけた彼も、彼との家庭を諦めて亮太の所に逃げるあなたもっ。みんな自分勝手!」
私はここがカフェだという事を忘れて、大きな声を出してしまった。
それでもイライラは止められなかった。
「きっと亮太なら助けてくれるよ。真希さんの事、とても大事に思ってるから。でもそれでいいのかな。例えば実の親である、あなたの彼氏はどうなるの? これから亮太と生きて行こうって決めた、私はどうなるのかな」
「……」
「どうせ誰にも分からないって、追い出された私たちはどうしたらいいのかな」
「……」
「分かりたいけど、本当に分かってあげることが出来なくて苦しんでいる私たちの事は、どう思って」
そこまで話した所で真希さんの彼が入ってきた。話が終わった頃だろうと踏んだのだろう。
私は静かに席を立ち彼に頭を下げ店を後にした。もう頭の中はぐちゃぐちゃだった。自分勝手だと言った自分だって同じだ。亮太と離れたくないからあんな言い方をした。私も自分の事が可愛い自分勝手な人間だった。
あてもなく彷徨うはずでカフェを出たにも関わらず、習慣とは恐るべきもので、いつもの自宅最寄駅についていた。
「あ、帰って来ちゃった」
だからと言ってこのままマンションへ向かう気にもなれない。
お腹空が空いたので、コンビニでサンドイッチとお茶を買って、また公園に戻った。
公園にはベビーカーを押しながら歩くママさん。ウォーキングをする老夫婦。近くのベンチには同じくコンビニで買った袋を漁るおじさんが座っていた。営業の外回り中だろうか。
平日のお昼の公園でベンチに座ってサンドイッチをかじるアラサー女子な私。
(なんか空しい……)
「人生って濃いなぁ。そして私って素直じゃないなぁ」
バッグの中でスマホが振動しているのに気付いたけれど、手を伸ばすのも億劫で目線だけ向けて放置した。
誰からだろうなんて考えもしなかった。ただ、誰にも邪魔されずにぼーっとしていたかったから。
「奏」
亮太、亮太に会いたいなぁ。でも何て言おう。
「奏」
亮太のことばかっかりで呆れてしまう。亮太の声が聞こえるなんて、どんだけ病んでるのかな。
「おい! 奏、無視すんなっ!」
「え? ひっ」
見上げると、スマホを耳に当てたまま肩で息をする亮太が隣に立っていた。
しかも、ものすごく怖い顔をして。
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