第11話 原因不明のまま、退院
目を覚ましたのは、ちょうど看護師さんが点滴の交換に来た時だった。
「森川奏さん、点滴交換します。左手借りてもいいですか?」
「え?」
私の左手首にはリストバンドが付けられており、そこにバーコードがあった。
看護師さんはそのバーコードを読み取って、点滴の内容や量を確認しているようだ。
「すごい。こんなシステムなんですね」
「ええ。これで患者さんへの投与ミスが防げるんです。毎回行いますから宜しくお願いします」
因みに間違えた薬だとコンピューターの画面全体に大きく『×』と表示が出るらしい。
日に何度も点滴を交換するので腕に刺した針はそのままで、途中の接続部分に点滴バッグから伸びた管を繋いで換えている。
でも針をずっと刺しっぱなしはダメらしく、三日に一度は腕を換えて刺し直すらしい。
「森川さんの血管は優秀だからすぐに入ったんです」
「なんですか、優秀って」
「叩かなくても伸ばしただけで真っ直ぐな血管が浮き出てくるの。あ、次の差し替えの時に若い子にさせてもいいですか?」
「私ので良ければ」
それよりも、私はいつまで入院しなければならないのだろうか。
「そう言えば昨日来られてた彼。とってもハンサムね、県警の人だって聞いたけど」
「あっ、え、あ、はぁ」
「警察官って、どうやって知り合うの? 私達って出会いが少ないからすごーく羨ましい」
「ははっ……」
そんなやりとりをしていたら、事務局長さんがやって来た。
万が一手術や高度治療が必要な場合はやはり実の家族でなければならない。婚約者の立場では無理との事だった。でも現段階ではそう言った治療は予定していないとのことで、身元保証はそのまま伏見さんで問題ないという事になったようだ。
(どうして伏見さんは、そこまで私にしてくれるのかな。気になる……今度聞かないと!)
彼は張り込みが忙しいのか、翌日になっても顔を出さなかった。誰かが出入りをするたびに目を向けてしまう自分がいた。
「はぁ、バッカみたい」
「もーりーかーわーっ。おい」
「はい?」
悶々としていたところに、車掌の河上さんがドアの向こうから顔を出していた。手には大きな紙袋を下げている。
「あれ、河上さん。どうして」
「おれ今日は朝上がりでさ、みんなから頼まれたんだよ。森川に渡すようにって」
河上さんは乗務歴30年、今年52歳になるベテラン車掌だ。普段は駅員の私達とは別の基地で待機しているのだけど、河上さんは私が入社した時から気にかけてくれる父のような存在の人だ。
ホームで走る私をいつも見てくれていたんだそうだ。
「田畑も来たがってたんだけど、シフトの関係で当面は空きがないんだってよ」
「すみません。私が入院したから、みんなのシフトぐちゃぐちゃですよね」
「ばーか。森川一人がいなくたって、駅は立派に回るんだぞ。なめんなよーってな」
「河上さんっ。もうっ、相変わらずですね」
河上さんは車内放送も面白いと時々ツイートされている。あまり目立つと駅長から苦言が出るらしいのだけど、私は河上さんのアレンジアナウンスが大好きだ。
台風でいつ運行停止になるか分からない状況の時に、河上さんは『皆様、足元の悪い中ご乗車ありがとうございます。当列車は行けるところまで参ります。どこまで行けるか分かりかねますが、お付き合いいただける方は今暫くお待ちください』とアナウンスし、乗客から笑いをとったらしい。
「でな、これうちの嫁さんから。着替えとかなんとか言ってたな、俺は見てないけど」
「えっ、そんな事までしなくても」
「あいつお節介焼くの好きなんだ。持って帰ったら怒鳴られるからもらってくれよな」
「ありがとうございます」
私の家庭事情を知っているのもあって、奥様も私にとても良くしてくれる。本当にありがたい。
因みに河上さんの奥様は、びっくりするほど可愛らしい下着をくださった。
某デパートでランジェリー店の店長をしているとは聞いていたけれど、なかなか侮れない。
(なんで分かったんだろ、私の胸のサイズ。数えるほどしか会った事ないのに!)
シャワーの後、試しにつけたらぴったりで更に驚いた。しかも、いただいたものはいつものサイズよりワンサイズ上なのだ。アンダーとトップの差は大事なんだと、改めて知らされた。
でも当面は寝て過ごすだけなので、外して袋にしまう。
でも、さすがお世話好きな奥様と思わせたのは、締め付けない楽ちん下着を別に入れてあり、寝るときはこれを着けてとメモまで添えてあった。
(これは困った。退院したらお礼しないと)
◇
その後も、毎日何かしらの検査が続いたけれど原因究明には至らなかった。
主治医は困ったようにこう言った。
「結果から言いますと、森川さんはどこも悪くないようです」
「へ?」
「激しい頭痛や耳鳴りの原因はなんなのかと、血圧、CT、脳波、血液検査を一通り検査したのですがね。神経内科医も脳外科医も内科医も、特に問題はないと。残る検査は精神科だけです」
「ストレスですかね?」
医者に『私、実は第六感が鋭いんです』なんて言った日には即、精神科行きだろう。さすがに精神科の先生でも解決できないと思う。
「まあ、ストレスと言ってしまえば、そうなりますね」
便利な言葉だと思った。原因が分からないからストレスだと、それで何となく逃げられるから。
自分の体質の事は説明しようがないし、そんな事よりも早く退院したかった。
「あの、いつ退院できますか? 入院生活もけっこうストレス感じます」
「はは、そうですね。もう、いつでもいいですよ」
案外あっさりと退院許可が下りた。
それから事務局の人が精算の手続き案内に来たので、精算はカードで行った。後で保険請求したいので医師の診断書もお願いした。
(保険、適用できるのかな? 病名つかなかったけど?)
そんな事を考えながらベッド周りを片付けていたら、久しぶりに伏見さんが現れた。しかも、物凄く不機嫌な顔をしている。
「あんたさ、退院決まったんなら連絡しろよ」
「え、ああ。明日退院します」
「なめてんの?」
「は?」
苛々した様子の伏見さんは、私のベッドに手をつき超至近距離で「俺、あんたの婚約者なんだけど」と低い声で言う。
眉を寄せキツく口を引き結んだその顔に、不覚にも胸がキュンと鳴った。
(やだ、なんでキュンってなるのよ……おかしいでしょう)
「でも、それは婚約者のフリですよね?」
「フリでも、らしくしないとダメなんじゃねーのか」
「そもそも私は、了解してないっ」
言い終わらないうちに、伏見さんの顔が近づいてきて、鼻先が触れそうになった。
息がかかりそうな距離に、彼の端正な顔があるのだ。私の顔は急速に温度を上げた。
(ダメだよ、これヤバいからっ)
思わず私は目を瞑った。
「くくっ。あんた顔が真っ赤だぞ。何を考えてる」
「き、聞くなっ!」
真っ白な布団を顔まで被って誤魔化した。もう勘弁してほしい。その容姿でこんなことするなんて、絶対に反則だ!
「でさ。明日の午後迎えに来る。で、そのまま俺ん家直行な」
「……はいっ⁉︎」
「俺、身元保証人で身元引取り人だから。最低でも出社する日までは一緒だ」
「えっ。それはおかしいですよ、刑事さん」
「刑事さんって言うな」
「じゃぁ、お巡りさん」
「……」
「市民の正義の味方ですよね? 職権乱用するような真似はしませんよね?」
「してないよ。俺は単に婚約者として振舞っているだけだ」
「っ!」
言い返そうとしたら、事務局の人が明細と診断書を持ってきてくれた。
「では、彼氏さんがお迎えという事で手続きしておきます」
それだけ確認すると去って行った。
そんな手続きはないはずだ。
なんだかものすごく嵌められた感じがするのは気のせいだろうか。
そんな伏見さんは何でもないような顔をして、明細を見ていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます