第35話 いつか来る日が、現実となった日

 今朝は亮太と一緒に家を出た。久しぶりの日勤なので夜は一緒に御飯が食べられる。

 駅までのわずかな時間で夕飯のメニューを決めた。

 亮太がカレーライスを作ってくれるらしい。


「すっごい楽しみ!」

「市販のカレールー使うんだから期待はするな」

「でも気持ちは込めてね」

「おまえ朝から恥ずかしいって」

「ふふっ」


 以前、もう作ってやらないって言っていたのに、なんだかんだ言って彼は優しい。

 こんな感じでいつもよりテンション高めで仕事に取りかかった。


 だけど、お昼近くになって異変が起きた。


 ―― キーンッ、キーンッ、キーンッ


「連続した単音の耳鳴りって初めて。何? 何が起きるの?」


 ―― 奏。しっかり生きていくんだよ...…


「えっ、誰 何処なの?」


 ―― 亮太さんを離すんじゃないよ。


「おばあちゃん!」


 嫌な予感がした。心臓がドクドクドクドクと駆け足を始めた。こんな事は今までになかった。おばあちゃんの声が聞こえてくるなんてことは一度も。

 私は事務所に駆け込むと、ロッカーからスマホを取り出した。


 知らない番号からの着信あり

 知らない番号からのショートメッセージあり


 恐怖で指先が震える。最初にショートメッセージを開いた。

 ―― 森川タエ様の件です。気付かれましたらお電話をください。


「病院! おばあちゃんっ!」


 私は駆けだしそうな気持ちを抑える為に深呼吸をした。それを二、三繰り返して目を閉じだ。


(大丈夫、おばあちゃんは大丈夫!)


「森川奏と申します。祖母のタエの事でお電話を頂いていたのですが」

『森川.……ああ! 少々お待ちください』


 保留音が鳴りはじめた。どれくらい待ったか、暫くして男性の声が聞こえてきた。


『森川奏さん。タエ様のお孫さんで間違いないでしょうか)

「はい。祖母がどうかしたのでしょうか」

『タエ様は午前11時23分に、息を引き取られました。心筋梗塞による心肺停止です』

「え……」


 その男性は心臓外科の医師で、おばあちゃんが救急車で運ばれた時には既に心肺停止だったと言った。

 心臓マッサージや電気ショックを加えても回復せず、死亡を確認した。

 今後の遺体の引き取りを相談されたけれど、聞くだけで精一杯だった私はその場で返事が出来なかった。


「えっと、あのっ」

『落ち着かれてからで結構です。急ですので、今日一杯は当病院で安置いたします』

「ありがとうございます」


 私は通話の切れたスマホを耳から離す事が出来ずに、その場に座り込んだ。

 いつかこういう日が来ることは分かっていた。分かっていたはずなのに、いざ来てみると何も出来ない。唯一の家族が今、私の傍から旅立って行ってしまった。


「おばあちゃん! う、うぁぁぁ」


 ちょうど休憩で上がってきた、結城ちゃんと先輩がそんな私の姿をみて駆け寄って来た。

 簡単に事を説明したら「すぐに帰りな!」と先輩が上司に報告に行ってくれた。

 その間、結城ちゃんが私の背中を擦ってくれていて、その優しさにまた泣いた。


「彼氏さんに連絡しましたか?」

「まだ」

「仕事中でしょうけど、連絡した方がいいですよ。先輩、その様子じゃ」


 私の様子を見て一人では帰れないだろうと心配をしてくれている。

 そんな時、所属の課長がやって来た。


「森川、しっかりしろ。総務には俺から掛け合っておくから暫く休め。今からが一番忙しいんだ。お通夜の手配や葬式、お世話になった人への挨拶。全部お前がしなければならない。辛いだろうが亡くなった人への最後の儀式だ。泣くのはそれからだ」

「はい。ありがとうございます。ご迷惑をお掛けしますが、宜しくお願いします!」

「ああ、葬儀の日時が決まったら必ず連絡くれ。手の空いた社員で手伝う」

「ありがとう、ございます」


 私はすぐに着替えて会社を出た。歩きながら亮太のスマホを鳴らす。しかし、任務中なのかなかなか出ない。いったん電車に乗って家に戻り、荷物をまとめて実家に帰る準備をした。

 そして、マンションの部屋のカギを開けた所で、亮太から電話がかかった。


「亮太!」

『奏、どうした?』

「おばあちゃんが、死んじゃった」

『えっ! 奏、今どこだ!』

「いまから実家に帰らなきゃ。病院におばあちゃんのお迎えにっ』

「すぐに帰るから、家に居ろ! いいな! そこに居ろ!」


 亮太の声を聞いたら体から力が抜けた。靴を脱ぐことも忘れて玄関にへたり込んでいた。


「私どうしたらいい?」


 とてつもない恐怖と不安が押し寄せてきた。

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