第27話 帰る場所ー心の距離ー
★亮太視点
午後六時、俺は署を後にした。一日慣れない書類を捌いたせいで肩がこった。俺はやっぱり、外で走り回ってる方が合ってると心の中で愚痴った。
毎日デスクでパソコンとにらめっこしている上司や、一般サラリーマンに敬意を表したい。
そんなことを考えていると、俺のスマホが鳴った。相手は奏だ。
電話をかけてくるなんて、珍しい。
「奏、なんかあったのか?」
『亮太にお客様なんだけど、部屋に上げていい?』
「は? 客って、誰だよ」
『あ、名前聞いてなかった。えっと、ゆるふわパーマのくりくりお目めの可愛い女の娘』
「取りあえず、部屋で待っててくれ」
俺を訪ねてくる女は一人しかいない。
「はぁ、見つかっちゃったか」
真希と奏が二人でいる風景を想像して鳥肌がたった。やばい状況に、徒歩で駅に向かうのを諦めてタクシーを拾った。一分でも早く帰り着くように。
*
玄関の鍵を開けると見慣れない靴が一足並んであった。リビングに目を向けるが扉に遮られていて様子はうかがえない。音も声も聞こえない。俺はあわてて部屋に上がった。
「ただい」
「亮ちゃん!」
「おわっ」
突然、ドンとぶつかるように抱きついて来たのは予想通り真希だった。と、反射的に奏の顔を見た。
驚いて口をぽかんと開けている。それが普通の反応だろう。
「なんで亮ちゃん引っ越したの? どうして教えてくれなかったの? 凄く悲しかったんだから」
「ごめん。ってか何でここが分ったんだ」
「言わない! 何の連絡もくれなかった人には、教えないっ」
真希は泣きながら俺に抱きついて離れない。俺はどうしたらいいんだ。こんな時に限って、肝心の奏の心情が分らない。奏は目を逸らし、静かに立ち上がると席を外すと言い、出ていってしまった。
奏は何を思っただろうか。ただ、悲壮感を露わにしていた事だけは分った。
真希を振りほどいて奏を引き止める事なんて簡単なのに、泣きじゃくる真希を引き剥がす事が出来なかった。パタンと閉まる玄関の扉の音だけが耳に残った。
とにかく、真希をなんとかしなければならない。奏なら、説明したら分かってくれる。
「なぁ、何があったんだ」
「亮ちゃん、あの人と結婚するの?」
「結婚。そうだな、そういう事も考えてるよ」
「だめ。亮ちゃんは私と結婚するって言ったじゃない。みんなの前で約束したのに」
それは真希の誕生日会の時の話だ。もう二十年以上も前の話。施設で月ごとに誕生日祝いをする。そこで将来の夢を発表するとき、真希は俺のお嫁さんになると言った。
その時、俺は6六歳で奏は四歳だった。妹の様に可愛がってきた真希に、「いいよ」と答えたのは紛れもなく俺だ。
子供ながらに、俺はみんなの前で真希を傷つけないように返事をしたのを思い出す。
真希はずっとそれを覚えていたんだな。
「なあ真希。俺たちはもう大人になった。あの頃と違うんだ」
「違わない!」
「真希だって、彼氏ができたって言ってただろ」
「でも、別れたの。やっぱり亮ちゃんよりいい男なんていない!」
「俺は真希の兄であって、男じゃない。俺たちはそういう関係だ」
「血の繋がりがない兄なんて、あり得ない!」
そう言って、真希までも玄関から飛び出していった。俺はどうしたらいいんだ。
一人リビングに残され途方に暮れるしかなかった。
真希は何かの壁にぶつかると、俺を頼って来ていた。今回は彼氏とうまく行かなくなって俺を探したんだろう。彼女が一番俺を兄だと思ってるはずなのに、ああやって時々俺を困らせる。
俺も真希には甘かった。俺が初めて護ってやらなければと思った子だ。
施設で育った事でいじめにあったり、就職活動も思うように行かなかったり、縁談が破談になったりは良くある話だった。男より女の方が世間の風当たりは強い。
「はぁ」
俺はまず、奏に電話をすることにした。奏なら話せば分ってくれると信じていたからだ。
「今どこ」
『彼女は?』
「帰ったよ。で、どこ」
『駅前の公園』
「すぐ行く!」
奏は先月、マンションを解約したから行く場所はない。俺の事を受け入れ、俺と歩むことを選んでくれた。奏の帰る場所はここなんだと言い聞かせてながら、俺は走った。
俺の事を他の誰でもない、分かって欲しいのは奏だけなんだ。
外はもう暗くなり始めて人の往来も増えてきた。交差点を右に曲がれば公園がある。たぶん、奏は池が見えるあのベンチに座っているに違いない。
俺は車止めのフェンスを飛び越えて公園に入った。ウオーキング用の歩道を走り抜け、ベンチがある方を振り向いた。
目に入ったのは、奏だけじゃなかった。
「なんで、真希がいるんだ……」
最初に俺の姿に気づいたのは真希で、その後に気づいたのが奏だった。
俺はすぐに近づいて最初に「奏!」と呼んだ。そんな声を気にもとめずに、真希が最初に口を開いた。
「亮ちゃん早くこの人と別れてよ」
「は? 何を言ってるんだ」
「ちょっと……話、終わってないじゃん。だから外に出てきたのに」
「奏、こいつ勘違いしてるんだ。気にしなくていい」
「亮ちゃんに年上は合わないよ!」
「真希っ、おまえ」
「それにこの人には私たちの気持ちは分からない。幸せな家庭で育った人に分かるはずない!」
「おいっ!」
「幸せな家庭……そうだね。いっときでも私には、親がいたんだものね」
奏では酷く傷ついた顔で、俺たちに背を向けた。
俺は奏の手を握った「どこに行くんだ」と攻めるような口調で。
「亮ちゃん!」
真希の声が園内に響く。
「一人になりたいから、離して。お願い」
奏は俺の腕をそっと外した。どんな時も俺に食いついてきた奏じゃない、明らかに俺を拒絶した横顔が前を向いている。
歩き出し離れていく奏の背中を、俺は見送る事しか出来なかった。
俺の背中には真希がへばり付いている。それを振り解く勇気もない。
奏、今お前は何を考えているんだ。
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