図書館

 気にしていたら事情を話そう。そう思っていたが、あれ以降、久留島類が咲夜に干渉することはなかった。むしろ避けられているような気がする。


 あれ以降、話しかけられたりもしない。それが逆に気になるが、こちらに視線を向けられていないのなら、それで構わなかった。


 久留島類はαで、咲夜はΩ。一緒にいたら、運命の番ではないのに変な噂が流れかねない。


 部活は入らなかった。暦は当初の予定通り、美術部に入部した。部活には入らなかったが、暦が部活をしている間は、図書室で勉強して暦を待って一緒に帰った。進学校ということもあり、七限目があるので部活の分と合わせるとかなり遅くなる。暦を一人で帰らせることはしたくなかった。


 入学式から一ヶ月経とうとしていた。新しい環境に少し慣れてきて、余裕が出てきた。


 土曜日。咲夜は県立図書館へと赴いた。αとΩの相性について調べるためだ。


 どうして、久留島類に対して怖いと抱くのか、どうして頭痛がするのか。αとΩに関係あるのか一応確かめておいたほうがいいだろう。


 ネットだと真偽が分からない。だから、本や論文で調べることにした。県立図書館は規模が大きいので、調べるにはいい。


 さっそく調べたのはよかったのだが。



(番のことしかない……)



 あまり番以外のαとΩについての資料がないのである。



(次の論文雑誌に行くか。いや、少し休憩しようか。でも電車の時間が)



 論文雑誌は英文なので、読むのに時間が掛かる。英文は苦手ではないのだが、やはり翻訳するのに骨が折れた。



(ちょっと頭が痛いな……やっぱり休憩……)



 こめかみを押さえていると、後ろから声を掛けられた。



「あれ、咲夜くん?」



 この声は。


 さらに痛み始めた頭をなんとか動かし、振り返る。


 案の定、久留島類が突っ立っていた。哲学書らしき本を持っていて、胡散臭そうな笑みを浮かべている。



「偶然だね。なに調べているの?」



 と、訊きながら咲夜が開いている雑誌のページを覗き込む。



「ちょ、勝手に!」


「αとΩについて調べているんだ。やっぱり興味ある?」



 咲夜は目を見開いた。



「読めるのか?」


「僕がイギリス人のクォーターなのは知っているでしょ? 親の里帰りでイギリスに行くことがあるんだ。だから自然に、ね」


「イギリスとアメリカの英語は違うって、聞いたけど」


「違いっていっても、方言みたいなものだよ。そこら辺を分かっていれば、後は簡単だよ」


「方言って……だいぶ違うだろ」


「細かいことは気にしない。津軽弁とか沖縄弁ほど、訳が分からないってことはないってこと」



 そういうものだろうか、と咲夜は首を傾げる。たしかに本気の津軽弁と沖縄弁は、何を言っているか分からない。だが、方言と一緒にしていいのか。



「話を戻して。やっぱり番に興味ある?」



 訊きながら隣に座る久留島類に、思わず顔を顰める。彼を見ると頭痛が酷くなるので、なるべく視線を合わせないように、ぷいっと顔を逸らした。



「他人事じゃないからな。お前だって一応当事者だろ」


「うーん。僕は興味ないかな。番って面倒くさそうだし」


「本能上、避けて通れないのに?」


「それが面倒くさそう。僕、束縛されるの嫌いだから」



 面倒くさそう。束縛されるのが嫌い。

 その言葉が頭の中で木霊した。



(たしかに、そうかもしれないな)



 本人の意思は関係なく、ただ本能のままに激情に走る。そこに感情の自由はない。本能に縛られ、溺れていくのだ。


 束縛といえば束縛だ。だが、αが番のΩを拒絶すれば、それはΩにとってこれ以上もない絶望を与えることになる。


 番のαから一方的に番関係を解消されたΩは、心を壊し自殺する者もいれば、精神的ストレスが大きすぎて、二度と番を作れなくなるという。それでも子供は作れるのだが、Ωはどんな気持ちでいるのだろうか。他人事ではないので、咲夜は笑えない。



「お前の運命の番、かわいそうだな」


「え?」


「お前、番を持つつもりがないんだろ? お前の運命の番は、他の奴と結婚するしかないってことだろ」



 Ωは、繁殖が役目だと言われて、社会地位が低く一人で生きていくには、あまりにも世知辛すぎる。例えばサラリーマンのΩがいる。Ωとしては一人で生きていくため昇進したいが、どれだけ努力しても周りが昇進させてくれない。理由はΩだから。そういった事例が結構あるのだ。


 最近はそういう考えは古いだの、差別だのと男尊女卑の考えを改めるように、Ωに対する考えも改まってはきているが、根本的な問題は解決していない。


 だから、Ωは番か結婚相手に縋らないと安定した生活を送れない。


 そういった社会だから、番に拒絶されたΩの絶望は計り知れない。


 自分が久留島類の運命の番ではなくて良かった。もし、運命の番だったら今の言葉を聞いて冷静でいられるわけがない。


 久留島類が黙り込んだ。どうしたんだ、と気になって視線を向けると、久留島類が半眼になって咲夜をじぃっと見つめていた。


 入学して早々、王子様と言われている人の顔ではなかった。今の発言が不快だったのか、と思ったが睨まれているような感じもしない。



「な、なんだよ」



 いたたまれなくなって、身を引いてから訊ねる。



「……咲夜くん。ほんとうに、僕のことを覚えていないの?」


「はぁ?」



 咲夜は思わず怪訝に声を上げる。

 もしかして、疑っていたのか。実は覚えているのではないかと。



「……あのさ、訊きたいことがあるんだけど」


「訊いているの僕なんだけど」


「必要だから訊いているんだよ。同じ小学校に通っていたって言っていたけど、その小学校って、明森小学校か?」



――ズキッ


 頭痛が酷くなる。



「そうだよ。もしかして、転校した小学校のことだと思っていた?」


「うん」



 素直に頷いた。


 あまり言いたくないが、言わないと納得してくれないかもしれない。腹を括って事情を話すことにした。



「だったら、ごめん。オレ、明森に通っていた頃の記憶がないんだ」

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