子離れ親離れ

 母と同時に家に出て学校に向かっていると、暦がいつもの待ち合わせ場所から少し離れた場所で佇んでいた。


(朝はいいって言ったのに……)


 さすがに呆れて、盛大に溜め息をつく。

 暦に近付いてから声を掛ける。


「暦」


 堪らず呆れた口調になる。暦は振り向いて、咲夜に視線を向く。


「あっ咲夜。おはよう」


「あっじゃなくて、朝はいいって言っただろ?」


「たまたま早く目が覚めて、早く登校しようかなっていう気分になっただけ」


 しれっと言い返す暦に内心頭を抱えた。


 屁理屈を言っているが、咲夜を待っていたに違いない。


 遠回りになるが、別にこの道を通らなくても学校へは行ける。咲夜の願いを聞き入れるのであれば、その道を通って学校へ行ってもよかったのでは。


 佇んでいた場所からしても、偶然を装って咲夜と登校しようと企んでいたのだろう。


(そんなに久留島と会わせたくないってことか……なるほど、これが監視されているっていう)


 ジワジワと実感が込み上がってきて、同時に頭痛もしてこめかみを押さえる。そして、瓜谷の言っていることが的確だったと改めて思った。


(そんなに監視しなくても、あっちからオレに会いに来ることはないのに……よっぽど親戚のことがトラウマになっているってことか?)


 親戚の人がどんな死を迎えたのか知らないが、久留島は関与していないことだろうに、どうしてそんなにも久留島のことを敵視するのか。


(入学式の前から知っているって瓜谷が言っていたけど……知り合いでもなかったらしいし……久留島も暦のことは知らない感じだったし……ほんと分からない)


 分かっているのは、このままいけないということだ。


 久留島と話をするため、だけではなく、この共依存のような関係を終わらせるためにも一歩を踏み出さないといけない。


「咲夜、また頭痛?」


 こめかみから手を離し、暦を見据える。暦と目が合うと怪訝そうな顔をしていた。


 その顔を見ると、罪悪感が芽生えて喉が詰まる。


(でも、いつか言わないとオレだけじゃなくて、暦のためにはならない)


 暦は自分を守るため、今までどれほどの代償を払ったのだろうか。


 同級生の男子に揶揄われたとき、暦はその喧嘩を買って暴れた。その結果、男子だけではなく一部の女子に敬遠されて。


 暦との交流があった女子が咲夜のことを悪く言ったら、どれだけ気が合ったとしてもすぐ絶縁宣言をした。その結果、どんどんと交流の幅を減らして。


 暦は陰口を言う奴らとの縁が切れてよかった、と笑ったがそれでも喉に小骨が刺さっているときのようなモヤモヤが生まれて。


 そのモヤモヤから目を逸らし続けたけれど、いい加減向き合わないといけない。


 放置をしていたらきっと、今度は瓜谷と魅瑠を切り捨ててしまうときがくるかもしれない。


 これ以上、暦がなにかを切り捨てるところを見たくない。


 咲夜は小さく深呼吸をした。


「暦、あのさ」


 詰まりながら切り出すと、暦がさらに怪訝な顔をする。


 その顔が怒りで染まるのが怖くて、なんでもない、と言いそうになる。それでも意を決して再び口を開いた。


「前に言ったよな? 朝は別々で行こうって」


「だから今日はたまたまで」


「これからもその〝たまたま〟を使うつもりだろ」


 暦の表情はほぼ変わらなかったが、視線を逸らしたのを見逃さなかった。


 やっぱりそのつもりだったんだな、と堪らず溜め息をつく。


「あのな、前にも言ったけど暦もそうだけど、おばさんにも負担かかるから朝付き合わなくていいって」


「今日はコンビニで、わたしのお金で買ったから」


「そういう問題じゃないって前も言っただろ!」


 思わず声を張り上げてしまった。早朝でまだ静かな住宅街に響き渡る。暦も目を丸くして、咲夜を凝視した。


 咲夜は我に返って、慌てて口元を押さえる。周りを見回してみるが、人影はなくて胸を撫で下ろす。


 一呼吸置いてから、暦に向き直る。


「あのさ、心配してくれているのは分かっているよ。けどさ、そこまでしなくてもいいんだ。正直に言って最近の暦はおかしい」


「おかしいって?」


 自覚がなかったのか、暦が困惑気味に笑う。


「苛々していることが増えたし、前よりもオレと一緒にいたがるし……それに、なんかやけに久留島のことを目の敵にしているじゃないか」


 久留島の名前を出した途端、暦の目が泳ぎ始めた。


 ――明らかに動揺している。


「それは、咲夜があまり久留島君と関わりたくないって言っていたからで」


「だからといって、過敏になりすぎだろ。オレが心配で、久留島と会わせないようにしてくれているってことは分かっているけどさ。久留島となにがあったのか知らないけど、ここまでしなくていいから」


「別に久留島君とはなにもないけど?」


「けど入学式の前から久留島のこと、知っていたんだろ? 瓜谷から聞いた」


 暦の表情が固まり、信じられない、という顔で咲夜を見つめる。


 瓜谷が喋るとは思ってもみなかったのかもしれない。


 もしかすると、暦と瓜谷の間に生まれていた信頼関係に亀裂を入れてしまったのかもしれない。


 しまった、と慌てながら必死にフォローする。


「い、言っておくけど、オレが訊いて瓜谷が教えてくれたっていう流れだから、瓜谷のことを責めないでくれ」


 正確には違うが、こう言っておかないと暦は瓜谷を恨むからもしれない。


「それは…………うん、わかった」


 弱く頷いたことに若干不安が残るが、了解してくれたので気を取り直す。


「久留島となにあったのか訊かないけど、そんなにみ、構えなくてもいいから」


 見張っていなくてもいい、と言いかけて咄嗟に言い直す。変に区切っているから怪しまれないかと暦を見るが、そういう様子はなかった。


「とりあえず、暦は心配しすぎだ。そこまでしなくてもいい」


 突っぱねるように言い放ってみるが、暦は納得できないとばかりに目を細め、咲夜を軽く睨め付けた。


「そんなの分からないじゃない。あっちが近寄ってくるかもしれないのに」


「それはないから安心しろ」


 前ならともかく今は何故だか分からないが、咲夜を避けているみたいだから、暦が危惧する必要がない。


「そんなの、分からないじゃない」


 声を震わせながら暦が反論する。


「あっちがなに考えているのか分からないのに、なんだかんだで咲夜は楽観的だよ。それに咲夜と久留島君、昔なにかあったんでしょ?」


 図星を突かれ驚愕した。


 いつもならいずれはバレるから、素直に白状するところだ。だが、このことに関してはたとえ暦にも言いたくない。だからといって、違うと否定したらますます意地になってしまうだろう。


 図星を突かれたせいでバクバクしている心臓を抑えて、咲夜は口を開いた。


「暦がどう思っているか知らないけど、そんなに大事じゃないから」


「そんなわけないじゃない」


 暦がすぐさま否定する。


「記憶喪失だって、久留島君が関係しているんじゃないの?」


 また驚愕する。そこまで勘づかれているとは思ってもみなかった。


「違う」


 咲夜は力強く否定し返した。


「嘘」


 暦も負けずと低く否定してきた。どうやら暦の中では確信しているらしい。


 暦のことだ。押しに押すに決まっている。このままでは負けてしまう。


 だから意を決して、咲夜は躊躇しながら言葉を発する。


「……たとえそうだとしても」


 これを言ったら暦が傷付いてしまう。分かってはいるけれど、こうしないと暦は咲夜と一緒に行動しようとする。


 それでは駄目だ、と自分に言い聞かせて、続きの言葉を言い放つ。


「オレと久留島の問題だから、暦には関係ないよ」


 自分でも思っていた以上に冷たい声を出してしまったことに驚きつつ、暦の様子を窺う。


 暦は目を瞠ったが、徐々に険しい表情になり、先程より鋭い目つきで咲夜を睨み付けた。


 今まで一番の睨み付けにたじろいだが、気を引き締めてジッと暦を見つめ返す。


 先に視線を逸らしたのは暦だった。


「もういいっ!」


 怒りと悔しさが入り交じった声を張り上げて、踵を返して先に行ってしまった。


 その背中が見えなくなるまで、咲夜は歯を食いしばる。気を抜くと暦を引き止めて、ごめんと言いそうになるから。


 完全に見えなくなり、咲夜は肩の力を抜いた。


(これで、よかったん、だよな…………たぶん)


 はたして暦が納得してくれるかどうか。なにせここまで突き放したのは、初めて会った頃を除けば初めてだ。暦がどう動くか予測がつきにくい。


 だが、どちらにせよ。


(暦、傷付いたよな……)


 罪悪感が込み上がってきて、胸が締め付けられる。


 暦からすれば自分の善意を否定されたに等しい。それが咲夜相手だと尚更だ。


 最悪、決別されるかもしれない。けれど、近すぎた距離を正すには一回突き放さないと暦は分かってくれないだろう。


 これが最善の方法だったのか、分からないけれど。


「ごめんな、暦…………」


 思わず呟いた謝罪は、静まり返った住宅街に虚しく吹かれて消えた。

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