楽観的なのが父と母の良いところだった
月曜日。早朝、咲夜はいつも通り朝食の準備をしていた。昨晩は目が冴えていてなかなか寝付けなかったせいか、少し眠い。
だから今日の朝食は、パンと目玉焼きとハム、そしてサラダだ。
このメニューなら簡単にできるし、味見もしなくていい。
(味見しなくてもまあ大丈夫だけど)
分量はキチンと量る派なので、ちゃんと分量通りにいけばいつも通りの味になる。だから今のところ、両親に味が変わったとか言われたことがない。
(でも、いつまで隠し通せるか……)
両親と擦れ違う時間が多いからバレていないだけで、一緒に食事をしたら違和感を抱いてしまうかもしれない。
隠し続けられる、とは思っていない。いずれはバレてしまうだろうと思う。
(母さんと父さんにバレる前に、暦たちに勘づかれそうだけど)
なんだかんで両親よりも一緒に食事する機会があるのが暦たちだ。とくに魅瑠は勘が鋭いから、わりとすぐに違和感に気付くかもしれない。
(今は夏バテで誤魔化しているけど、秋がきたらすぐ勘づかれるよな)
魅瑠にバレるのはいい。事情を知っているので、バレたとしても安心感がある。
ただ暦にバレるのは避けたい。バレたらすごく面倒臭くなることになる。
(そう考えると、味覚のことも秋までになんとかしないとな……)
例の薬の投与については久留島と話してから、と決めたがそれはそれとしてよく考えないといけない。
(薬を投与したとして、味覚が戻るかどうか分からないし)
第二次性徴が中途半端になっていたのは、久留島との会話が原因だ。記憶喪失になっても影響があったし、頭痛もした。
味覚障害も久留島が原因だ。だから薬で久留島のことを忘れても、本当に味覚が戻るかどうか怪しい。
(…………今度先生に訊こう)
最近になって出てきた薬だ。まだ調べてはいないが、ネットで情報が得られるという期待はしないほうがいいだろう。
情報が書かれていたとしても、信用してもいいのか、となる。だったら志津江に訊いたほうが信憑性がある。
「咲夜、おはよう」
「ぅわ!」
突然聞こえた母の声に驚いて、声が裏返った。振り返ると、母も驚いたようで目を見開いていた。
「え、そんなにびっくりした?」
「あ、うん、ごめん。ボーッとしていた」
「なにか考え事?」
「べ、べつに。ただの寝不足と暑さで。クーラーつけていても、やっぱり料理していると暑くて」
「たしかに暑いわよねぇ」
母は納得したのか、しみじみとした感じで頷く。が、次は眉を八の字にして、咲夜を窺う。
「咲夜、今までも朝ご飯作るために早起きだったのに、最近はいつもより早起きでしょう? 無理しなくてもお母さんたちは朝くらい勝手に食べるから、もう少し寝ていても大丈夫よ」
確かに咲夜が朝作れないときは、両親は好き勝手に食べている。二人は料理が全くできない、というわけではないのだ。
けれど、それを実行するには抵抗があった。たまにならいいが毎日となると、どうしようもなく自分自身が許せなくなる。
「……大丈夫だよ。それよりご飯出来たから食べよう」
エプロンを脱ぎながらそう促したが、母は肩をすくめながら溜め息をついた。
「咲夜、前々から思っていたけど」
「ん?」
いつもなら素直に席につく母が席につかないことに首を傾げながら、咲夜は母を見据えた。
「そんなにお母さんたちに気を遣わなくても、咲夜のことを見捨てないから甘えてもいいのよ?」
咲夜は目を見開いた。
見捨てられる。それはかつて、両親に対して抱えていた不安だった。
母の口からそういう言葉が出るとは思ってもみなくて、ぽかんとした。
そんな咲夜に母は一見困ったような表情で笑みながら、言い紡ぐ。
「記憶を失ったあと、咲夜がお母さんたちに捨てられないように必死に家事を覚えてくれたのは気付いていたわ」
お母さんたちとしては頼ってほしかったけど、と母が苦笑する。
「でも一番不安なのは咲夜なんだし、お母さんたちの役に立つことで咲夜は安心するんじゃなかなってあーさんと話し合ったの。で、とりあえず今は見守ろうってなったんだけど」
「…………気付いて、いたんだ」
思わずそう呟くと、母が頷いた。
「なんで、気が付いたの」
記憶を失った前と後では、どこか違っていたはずだ。咲夜自身、内気な性格がさらに内気になって人に対する警戒心が強くなったなどの自覚がある。
他にも素直ではなくなったとか、色々と変化があった。
それなのに、どうして気付いたのだろう。
訊くと母は、うーん、と少し考え込んだ。
「なんていうか……たしかに性格が変わったところがあったけど、お母さんたちにとってすごく変わったっていうほどじゃなかったのよね。考え方とか基本変わっていないような感じだったし」
「そう、だったかな……?」
確かに性格が真逆になったというほど変わっていなかったが、若干腑に落ちなくて怪訝な声を出してしまう。
だが母が朗らかに笑った。
「そうだったの。つまり、本質は変わってなかったから分かったってことね」
咲夜は瞠目した。
『まあ、たとえ記憶が失っても本質は変わらないんじゃないかな。ほら、三つ子の魂百までって言うし』
あの日、久留島に言われた言葉が蘇る。それと同時に口の中に苦い物が込み上がってきた。
「どうしたの? そんな顔をして」
母が訝しげに訊ねてくる。なんでもない、と咲夜は慌てて首を横に振った。
そして、ある疑問が浮かぶ。訊いてもいいのだろうか、と迷ったが、ここで訊かなかったらもう訊けないだろう、と意を決して、口を開いた。
「か、母さん」
「ん?」
「だ、だったらもし、もしもだけど、オレがまた、記憶を無くしたら……その、どう思う……?」
最後になるにつれ声が小さくなり、ついには消えいりそうな声になってしまった。
母がキョトンとする。
声が聞こえなかったのだろうか、と不安になると同時に、やっぱり訊かなくちゃよかった、という後悔がこみあがってきた。
やっぱり訊かなかったことにしよう、と口にしようとしたが母が先に口を開いた。
「うーん。ショックだと思うけど、変わらないと思うなぁ。どんなことがあっても咲夜は私の息子だということは変わらないって、あの頃に分かったし。
あ、もし今記憶喪失になっても昔より上手く対応できるかも!」
声を弾ませて語る母に、咲夜は虚を衝かれた。
そこかよ、という呆れと、こういう人だった、という再認識が入り交じって完全に肩の力が抜かれた。
母がこういう考えなら、似た者同士である父も同じ考えだろう。
まだ夜勤から帰ってきていない父が、母と同じ言葉を口にする姿が安易に想像できる。
思わず盛大に溜め息をつきながら。
「悩んでいたオレが馬鹿だった……」
と、呟いてしまった。
「え? それどういう意味?」
解せぬ、という顔をしながら母が問う。
「良い意味でだから、あまり深く考えないで」
今度は腑に落ちぬ、という顔をした母に咲夜は朝食を促した。
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