歌詞の感想を
部室に着いて扉を開けると、涼しい風が汗を拭い去った。ふぅっと息を吐きながら、部室に入ると先に部室に着いた錦が夢野と話している姿が見えた。
咲夜に気付いたのか二人が振り向く。
「丹羽、もしかして体調悪かったか?」
急に錦にそう言われ、最初は意味が分からなかったが、歩いてきたことに心配されたようだと気付き、手のひらを横に振った。
「違うよ。ただ暑かったから走る気力がなかっただけだ」
「そうか? 一応ここエアコン付けているけど、それでも暑かったら言ってくれよ」
「ありがとう。ここ涼しいから大丈夫」
「言っただろ。錦が早すぎたんだ」
夢野がやや呆れ気味な口調で錦を咎める。
「だって早く歌詞見たかったんだよー。丹羽、先走ってごめんな?」
申し訳ないと全面に出た顔に、思わず小さく笑ってしまった。
「いいって。心配しれくれてありがとな」
「だが、体調が悪くなったら遠慮なく言ってくれ。持病があるならなおさらだ」
「あ、ああ」
持病設定だったことを思い出して、少し罪悪感が湧いてきた。
あまり抑揚のない声色だったが、それでも夢野が咲夜のことを気遣ってくれている気持ちが伝わってきたから尚更だった。
「とりあえず座ったらどうだ?」
「いや、さっきまで座りっぱなしだったから、少しでも立っていたい」
「あ、そういえば保健室にいないみたいだけど、丹羽って普段はどこにいるんだ?」
錦の純粋な質問にギクッと肩を強張らせる。
梅田は信頼している人に話していいと言われている。錦たちのことは信頼しているが、はたしてペラペラと話してもいいのだろうか。
(錦は純粋な疑問で、別に疑ったりはしていないと思うけど)
錦を一瞥する。質問に答えない咲夜を、キョトンとした顔で見つめていた。
(嘘をつくのも嫌だな……けど、錦たちは持病が頭痛だって思っているし。だったらどうして四階の社会科準備室にいるって話になるよな)
さすがに記憶喪失のことを錦たちに話すのは、気が引ける。
信頼も信用もしているが、だからこそ記憶喪失のことを話して気を遣われるのが嫌という気持ちがある。
少し考えて言葉を選びながら、説明する。
「ええと、人がいない四階の部屋にいるんだ。ちょっと今は人がたくさんいる場所にいたら頭痛がして……」
「ああ! だから人がいない場所にってことか! 保健室ってなんだかんだで人の出入り多いもんなぁ」
どうりでいないはずだ、と腑に落ちたといわんばかりに頷く錦に咲夜は訊いた。
「錦、保健室に行ったってことは、どこか怪我したのか?」
「体育のときに怪我したから絆創膏もらいに行ってたんだ。大したことないぜ」
「ならよかったけど。お前も無茶するなよ」
「おう! ありがとな!」
「錦は注意散漫だからな」
「夢野だってベースをしている途中に、どっかぶつけて怪我しても気付かないじゃんか」
夢野の言葉に錦が少しムッとなりながら、小突く。だが夢野はしれっと言い返した。
「それはベースのときだけじゃなくて、わりと普段から気付きにくい」
「ダメじゃん!」
錦が少し声を張り上げる。咲夜も少し呆れながら口を出す。
「なんていうか……夢野も気をつけろよ」
「善処はしている」
「……」
一応気をつけているが、怪我に気付かない頻度が少なくなったわけでもない、ということだろうか。
「それより歌詞が出来たというのは本当か?」
「いちおう……でも、出来がその、納得できてなくて」
「丹羽」
先程錦に話したことを口にしようとしたら、夢野が口を挟んできた。
「無理に見せなくてもいい。気持ちは分かる」
きょとんと夢野を見る。その言葉の真意を推し量るには、言葉の数が少なくて。
「俺だって、まだ弾けていない場面を他人に聴かせるのは躊躇う」
咲夜の反応を見て伝わっていないと思ってくれたのか、そう付け足してくれた。
「でも俺らには聴かせてくれるよな?」
錦が不思議そうな顔をしながら、夢野の顔を覗き込む。
「お前達だからいいかなと」
さらっと言いのけた夢野に対して、錦は一瞬だけ目を丸くしたあと、わっと笑い出した。
「あはははっ! なんかその気持ち分かる!」
錦はそう笑い飛ばしたが、一方の咲夜はなんだか気恥ずかしくなった。そんなさらりとストレートな言い方をされると、どう反応していいか分からなくなる。
(まあでも……夢野の気持ちも分からなくはない)
夢野もそうだが、錦も他の二人も人のことを否定しないし馬鹿にしない。むしろ肯定するほうだ。
だからこそ気楽に呼吸ができるというか。失敗してもそこまで落ち込まずにすむという空気がある。
(考えすぎか……)
気持ち悪いとか言われたらどうしようと思ったけれど、この軽音部でそういうことを言う人はいない。
咲夜は意を決した。
「納得していないけど……ちょっと行き詰まっているから、意見は欲しい、な」
「おう!」
「参考になるかは分からないが……善処はする」
二人の返事を聞いて、咲夜はおそるおそるリュックの中に仕舞ったクリアファイルを取り出し、歌詞を書いたルーズリーフを取り出した。
一応ボールペンで清書をしているが、それでも何回も書き直そうと消しゴムをかけたので、見た目が汚い。
あまりにも汚くなりすぎて捨てたルーズリーフの数は数えていないが、その中でも比較的綺麗なほうだったから麻痺していただけで、このルーズリーフは十分汚い。
「…………これ、改めて清書したほうがいいかな」
「読めるか」
「まあ、読めるけど」
「なら問題なし!」
そう言い切った錦に、おそるおそるルーズリーフを差し出す。
嬉々とそれを受け取って、錦はルーズリーフを食い込むように見る。夢野も覗き込んだ。
沈黙が流れ、咲夜は居たたまれない気持ちになり、二人から視線を逸らした。
二人が歌詞を読んでいる時間が長く感じる。もう見せてしまったのだから遅いけれど、この気まずい気持ちが沸き上がってくると少し後悔してしまう。
「前と雰囲気が全然違うな」
最初に口を開いたのは夢野だった。平坦な声色だったので、その言葉でどんな感想を抱いたのか予測ができなかった。
「いけなかったか……?」
「それは全然!」
強く否定したのは錦だった。
「前のしっとりとした歌詞もいいけど、こういう心からの叫びっていうか……なんだったっけ?」
「
「そうそれ! それがなんかひしひしと伝わってくるというか」
「抗っている感じがするな」
「それそれ!」
「変じゃないか?」
おそるおそる訊くと。
「全然! 俺は好き」
「俺も嫌いじゃない」
と、わりと強めに肯定してくれたので、歌声云々は置いておいて、とりあえず受け入れてくれたことに内心ホッとした。
「ところでどこが納得していないんだ?」
「え~~~っと……」
錦の純粋な疑問に言葉を濁しそうになる。
自分の気持ちを吐露しているから、なんて正直に言えるわけがない。
「その、表現がしっくりこないというか」
そう苦し紛れに濁したが二人とも、そういうものか、とか、なるほどな、とあっさりと納得してくれた。
「けど、俺はこの言葉選び好きだけどなぁ」
「本人が納得していないんなら仕方ないだろ。だが、この歌詞で曲を作るとしたら、疾走感のある曲がいいんじゃないか?」
「だよな! で、ちょっとドロってした感じのがいいかも」
「うん。弾くのが楽しそうだな」
なんだか盛り上がっている様子を見て、だんだんと焦ってきた。
そのまま採用されそうな空気だ。慌てて口を挟む。
「ま、まだ納得していないし、全体的に直そうって思っているから、それに勢いで書いたけどさ、錦の歌声に内容が合っていない気もするし。あ、別に錦の歌声にケチをつけるわけじゃなくて」
必死に言い繕うとする咲夜に、きょとんとした顔をした錦だったが、すぐに笑い飛ばした。
「丹羽、大丈夫だって。ちゃんと言いたいことは分かるからさ。要はマンナさんはカッコイイ系の曲がすげぇよくて、ほだてさんは優しい系の曲に合っているって感じと同じだって言いたいんだろ?」
マンナもほだてもディアホラに参加した歌手だ。ディアホラは曲の雰囲気は一貫しているものの、表現力が豊かで重厚感のある格好良い曲もあれば、悲壮感漂う哀愁のある曲もある。
その曲の雰囲気に合わせて、歌手も違うのだ。だからどれもしっくりと来て耳に心地が良い。
やや遠回しな説明だが、結局はそういうことだから、強く頷いた。
「自分じゃどんなのが合っているか分かんねぇけど、まあ丹羽がそう言うならそうだろうな。でもさ、何事も挑戦だって言うし、だからこういう曲も歌ってみたいぜ!」
そう力強く、それでいて明るい口調に呆気にとられていると、夢野が呆れた声色で呟く。
「その向上心、勉強にも向けてくれたらな」
「あーあー! 聞こえなーーい!!」
「そんなこと行っていると、補習の常連になるぞ」
「そんなリアルなこと言わんといて! 直視したくない!」
「直視しろ。お前が一番ヤバいから、マジで」
耳を塞いで声を張り上げる錦に、堪らず吹き出した。
「たしかに夢野の言うとおり、部長が補習の常連になったら示しがつかなくなるな」
夢野に同調すると、錦が塞いでいた手を下ろして唇と尖らせた。
「そうだけどよぉ。どうもこう、勉強ってなると頭が拒否するんだよな」
「よくそれでここを受けようと思ったな」
夢野がそう言いながら半眼で、錦を見つめる。
「帰りに品揃えがマニアックがCDショップと品揃えが豊富な楽器屋があってだな」
「動機が不純すぎるし、後先のことを考えると色々と見合っていないというか」
夢野の言葉に同意するしかなかった。
進学校に進学したら、勉強についていけなくなって最悪中退する可能性があるというのに。
「そこはなんとかなると思って」
「考えなさすぎるだろ。変なところで前向きになって、お前は」
「錦の父さんと母さん、反対しなかったのか?」
咲夜の疑問に錦が淡々と答える。
「痛い目にあったほうが成長するんじゃないって言われた」
「お前の両親、投げやりになっていないか?」
「将来のためじゃなくてCDショップのためって言われたら、そうなるかもな……」
錦の両親に若干同情すると、さらに錦の唇が尖った。
「いいじゃん、こうしてお前らと出会ったんだから」
「まあ、それはそうだが。それはそれとして、俺はお前の将来が心配になってきた」
「……錦」
咲夜は錦の肩に手を乗せ、真剣な面持ちで錦を見据える。
「こう言いたくないけど、錦はβだからΩのオレに比べたら世間の目は厳しくはないけど、胡座を掻いたらダメだからな?」
「うぐ……ガチの説教は卑怯だぁ……」
錦が項垂れる。
「丹羽がΩだということをすっかり忘れていたな」
夢野の呟きに錦が顔を上げて、怪訝な顔をする。
「αってΩの匂いが分かるって思っていたんだけど、分からないもんか?」
「丹羽の匂いは薄いから、首輪がなかったら分からなかったと思う」
「へぇ、そういうもんか」
錦が納得しているが、一方で咲夜は遠い目になった。
(ああ、二次性徴の影響か)
匂いが薄い原因は、不完全な二次性徴を迎えているからだろう。第二次性徴を迎えると、全然しなかった匂いが濃くなるらしいから。
(案外、オレが第二次性徴を迎えていないの、αにバレているのかもな)
夢野を一瞥する。
実際に彼が気付いているのか分からない。なにせ彼は口数が少ないので、いまいち性格を掴んでいない。悪い男ではなく、むしろ善意溢れる男だということは数少ない言動の中で垣間見えているのだが。
(鈍感なのか鋭いのか分からないけど、気付いたとしてもあまり詮索はしてこななさそうだな)
口数が少ない分、相手のことを詮索したところを見たことがない。あまり他人に興味がないのか、そもそも気にしない質なのかも分からないが、どちらにせよ詮索してこないのは有り難い。
「あ、Ωといえば、なんか最近Ωの薬が開発されたとかって騒いでいるよな」
錦の言葉に今度は心臓が跳び上がった。
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