記憶喪失
「記憶が、ない……?」
疑惑の目が咲夜をちくちく刺した。嘘だと思っているのか。
「車に撥ねられて頭を打ったんだ。そのせいで、三年生の途中までの記憶がない。だから、お前のことは覚えていない。医者の診断書もある。疑うんなら見せてやるけど」
「ああ、うん。そこまでしなくてもいいよ」
心の内で安堵する。とりあえず信じてもらえたようだ。入学の際、診断書を出したから発掘騒ぎにはならないだろうが、それでも引っ張り出すのは面倒くさい。
「もしかして、転校したのって事故のせい?」
「ああ。明森にそのまま通って、記憶を取り戻していく話はあったけど、明森を見ると頭痛が酷くなって倒れるから、転校することになったんだ。ていうか、説明なかったのか?」
あの事故以来、明森の敷地内には入っていない。だから、学校側が生徒にどんな説明をしたのか知らなかった。
「同じクラスじゃなかったから、先生がどんな説明したのか具体的には知らないよ。僕も君と同じクラスの子に、咲夜くんなら引っ越したよ、としか教えてもらえなかったし。事故のことは知らなかったなぁ」
「なんだ。同じクラスじゃなかったのか。なんで、オレのことを知っていたんだ?」
久留島類が口を噤んだ。
今度はなんだろうな、と久留島類の次の言葉を待つ。久留島類は笑みを貼り付けて、口を開いた。
「とくに接点はなかったよ。咲夜くんが引っ越す前に、二人で少しお話したくらいかな」
「……それだけか?」
「うん、それだけ」
胡散臭い笑顔だな、と久留島類の笑顔を見て思う。本当にそれだけなのか、と勘繰ってしまう。
(まあ、本当にそれだけなら、話の内容を訊くのは意味がないな)
もしかしたら、内容を忘れているかもしれない。それくらい、どうでもいい話だったかもしれない。
「じゃ、友達じゃなかったんだな」
「そうだね」
それなのに名前呼びか。別に、名前に対してコンプレックスはないからいいけれど。
「むしろ君に友達はいなかったんじゃないかな。今と変わらずね」
小馬鹿したような言い方に、むっとなる。
「なんか嫌な言い方だな」
「勘違いしないでおくれよ。転校したあとの空気のことを察するに、少なくてもクラスの中心ではなかったってことだよ」
久留島類が肩をすくめながら言う。咲夜は頭痛が酷くなって、眉間に皺を寄せた。
「ならそう言えよ。ま、友達がいなかったらそれで良かったけど」
「いいんだ」
「仲良かった奴に自分のことを忘れられたら、ショックだろ」
「僕、けっこうショックを受けたんだけど」
「そうは見えない」
「ひどいなぁ」
と、言う割には軽率な笑みを浮かべている。
入学式のあとに話しかけられたとき、ショックを受けているようには見えなかった。怒っていたと言われたほうが納得できる表情だった。
それに胡散臭い男の言葉は信用できない。同い年だが、腹の底が見えない相手を信用しろとは無理な話だ。
「さっきからこめかみを押さえているけど、もしかして頭が痛いの?」
「ああ……論文の読み過ぎみたいだ。ごめん、休みたいからそろそろ」
「じゃあ、この辺りで切り上げようか。僕もそろそろ出ようと思っていたし」
久留島類があっさりと引き下がる。ゆっくりと席から立ち上がって、咲夜に対してにっこりと笑った。
「じゃあ、また月曜日ね」
そう言い残し、久留島類は去って行った。
久留島類が見えなくなったところで、咲夜は盛大な溜息をつきながらうつ伏せになった。
頭痛がマシになった。やはり頭痛の原因は、久留島類だったようだ。
(ほんと、なんでアイツを見ると頭が痛くなるんだ……?)
考えれば考えるほど、頭が痛くなるような気がして、考えるのを放棄した。
(また月曜日って言っていたけど、どうせ社交辞令だから関わってはこないだろ)
自分の用事はもう終わったし、あちらも終わったはずだ。縁も切れるに違いない。
自分からは出来るだけ関わりたくない。会話しているときは押さえ込んだが、怖いという感情がまだあるし、頭痛の原因にわざわざ近寄りたくない。
(別のクラスだったらよかったのに)
今年は無理だから、来年に期待するしかない。
たとえ関わりがなくても、この一年のことを思うと嘆息した。
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