昼休み

 昼休みほど暇なものはないが、一番落ち着く時間でもあった。


 暦は同じクラスの友達と一緒に、昼食を食べている。咲夜と一緒に食べる、と言ってくれたが自分と違って、暦には友達がいる。帰り道は自分が独占しているから、他の友達との時間を持ってほしかった。


 一人で食べていること自体慣れているので、物足りないと思うが、寂しいとか思わない。


 昼食は教室ではなく、外で食べる。屋上は鍵が掛かっているし、中庭は人が多いうえ、風が強い日だと食べられる状況ではなくなってしまう。できれば毎日同じ場所のほうが、探す手間が省けるのでそのほうが良かった。


 構内を探索して選んだのは、非常階段だった。人は通らないし、コンクリートの壁のおかげでちょうどいい風除けになる。


 いつもの場所に座り、安堵の溜息を漏らした。久留島類から遠ざけられたことで、ようやく落ち着けられた。肩の力を抜いて、空を眺める。



(今日の空は、霞が掛かっているな)



 鳥が飛んでいる。あれは鳩だろうか。


 ああ、静かだ。音楽で周りの音を遮るよりも、心地良い。あるのは風の音と、鳥の鳴き声。雑音も聞こえてくるが、そんなのは気にならない。


 そんな心地の良い空間を切り裂く声がした。



「あ、咲夜くんだ」



――ズキッ

 刺さるような痛みが頭部を襲う。


 のろのろと上の階段を見ると、喰えない笑みを浮かべた久留島類がいた。



「やぁ。こんなところで昼食かい?」


「……お前こそ、どうしてこんな所にいるんだよ」



 手にはビニール袋をぶら下げている。中には紙袋が入っているようだ。



「ご飯を食べる場所を探していたんだ。教室だと女子が煩いからね」


「好きで囲まれたわけじゃなかったのか」


「そんな風に見えた? 心外だな」



 久留島類が肩をすくめる。



「あれは勝手に寄ってくるから、ほどほどに構ってあげただけだよ。ある程度の社交は必要だからね。けど、彼女たち大丈夫かな? ここ、進学校だから自習をしっかりしないと勉強に追いつけなくなるのにね」


「そういえば、お前の取り巻きの女子、よく居残りにされているな」



 進学校ゆえに、小テストが頻繁にある。小テストで五十点満点中三十点以下を取った生徒は、居残り補習をさせられる。その常連に彼の取り巻きの女子がいたのを思い出した。


 授業の進みが早く先生が「教えなかったところは、各自勉強してね」と言ってくるうえ、授業で教えてもらえなかったところがテストに出てくるので、家に帰っても自主勉強をしなくてはいけない。


 県立中学校出身としては、早すぎる。中学校の先生たちは実に丁寧だった、と恋しくなることもしばしばだ。



「それ、女子たちに言ったらどうだ?」


「嫌だよ、面倒くさい。注意するほど仲が良いわけでもないし。それが原因で勉強が追いつけなくなったら所詮それまでの頭だったってことだし、自業自得じゃないか。いや、自業自得は合わないかな。自業自得って、前世の業が今世に響いているっていう感じの意味だから……まあ、別にいいか」



 大丈夫かな、と言ったわりには、心配は全くしていないようだ。



(言葉も人間関係も上辺だけだな、コイツ)



 思わず溜息をつく。



「つまり、女子から逃げてきたってことか」


「ご飯くらい、静かにゆっくりと食べたいじゃないか」


「まあ、それは同感だな」



 家族団欒で食卓を囲むのは少しだけ憧れたりもするが、あんな甲高い声に囲まれて食事をすると、ご飯が美味しくなくなりそうだ。



「と、いうわけで」



 その場で座り込んだ久留島類に、ぎょっと目を剥く。



「って、ここで食べるのか!?」


「いいじゃない、別に」


「よくない! さっき静かにゆっくりと食べたいって言っただろ!」


「大丈夫大丈夫。女子の声は煩いけど、咲夜くんの声は煩くないし」


「オレは大丈夫じゃない……」



 盛大に溜息をつきながら、こめかみを押さえる。頭痛が酷くなってきたような気がした。



「オレ、今年厄年なのか……?」


「前厄でも本厄でも、男の厄年に十代は関係ないって聞いたことがあるけど」


「納得がいかない……」



 だったら、なんでこの男との遭遇率が高いのだ。厄年ではなかったらなんだと。厄年ではないが、厄ばかりが舞い込んでくると僧に訴えたら、厄払いしてくれるだろうか。



「他のところで食べろよ……」


「他の場所を探していたら、食べる時間がなくなるじゃないか」


「上の階段とか下の階段とかあるだろう」


「細かいことは気にしない気にしない」


「……」



 何言っても無駄なようだ。自分が移動すればいい話だが、ここがベストポジションなので、久留島類に振り回されて移動するのも癪だ。



(いないものとして扱おう)



 久留島類から視線を逸らし、弁当箱を広げる。



「へぇ。咲夜くんはお弁当なんだ」



 いないものとして扱うことはできないようだ。

 辟易しながらも、咲夜は返事をした。



「そういうお前はなんだよ」


「パンだよ。ここのパン、美味しいんだよね」


「毎日それか?」


「そうだよ」


「栄養が偏るぞ」


「美味しいことに越したことはないよ」



 久留島類を横目で見る。久留島類が取り出したパンは、フランスパンの間にレタスとトマト、そしてハムを挟んだものだった。一応、野菜を取るように気を配っているのだろうか。


 視線を弁当箱に戻して、箸を持つ。



「お弁当、美味しそうだね」


「それはどうも」



 今日の弁当は、唐揚げ、卵焼き、菜の花の和え物、ひじきの煮物だ。我ながら完璧だと自画自賛していると、影が差し込んだ。その正体に気付く前に、二つあった卵焼きを一つ取られた。



「ああ!」


「うん、美味しい」



 卵焼き泥棒である久留島類は、悪びれもなく感想を言う。



「おま、素手で!」


「食べる前に、ちゃんと除菌のウェットティッシュで手を拭いたよ?」



 しれっと言いのける久留島類に、ぶちっと切れた。



「そういう問題じゃない! 断りもなく食うなよ!」


「それよりもこの卵焼き、本当に美味しいね。お母さんの手作り?」


「オレだよ! ていうか、それよりも、じゃない!」


「え、咲夜くんの手作りなの?」



 久留島類が目を軽く見張る。咲夜は久留島類を睥睨した。



「悪いかよ」


「別に。お母さんは作らないの?」


「うちの両親、共働きだからオレが家事担当」


「へぇ。えらいね。共働きでも、お母さんが家事するところも多いのに」



 感心したように、久留島類が呟く。咲夜は憤然と返した。



「母さんは仕事で忙しいんだ。一番家にいる時間が長いオレがするのが、当たり前だろ」


「その当たり前がすごいなって。僕の家なんか家政婦さんに任せっきりだよ」


「金があるところはそうだろうな。うち、金ないし」


「ああ、だね。Ωって薬代が掛かるから、そのお金も馬鹿にできないんでしょ?」



 ぴくっと肩が揺れる。久留島類から視線を逸らし、呟く。



「そう、だな」



 久留島類の言うとおり、Ωはフェロモン抑制剤やヒート(発情期)のときに苦しまないようにするための薬を処方しなければならず、時には保険外の薬もあるので、処方によっては金が掛かる。


 両親はβで、中流家庭だ。薬のことを考えると、結構な負担になるだろう。



(でも、オレは……)



 ぎゅっと箸を握りしめる。


 黙り込んだ咲夜を、久留島類が不思議そうに眺めながら、パンを囓る。



「早く食べないと、お昼休みが終わっちゃうよ?」


「わかっている」



 頭痛を無視しながら、箸を進める。味は頭痛のせいか、よく分からなかった。


 その後は会話しないまま、お互い無言で食事を進める。


 居心地が悪いまま、時間が進んでいく。先に終わったのは、久留島類だった。



「ごちそうさま。それじゃまたね」



 やっと行ってくれるか、と安堵していると、名前を呼ばれた。



「咲夜くーん」


「んだようぐっ!?」



 振り返った瞬間、口に何かを突っ込まれた。慌ててそれを取ろうとしたら、久留島類と目が合った。



「卵焼きと交換ね」



 そう言いながら眇めて、階段を降りていった久留島類の後ろ姿を呆然と見送り、咥えたままの物体を触る。



(あ、パンだ)



 しかもデニッシュだ。口の中に入っている部分を食べてから、パンを取り出す。



「たしかに美味いけど……白飯食っている間に食べたくないな……」



 食後に食べようと、弁当の蓋の上に置いた。

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