第14話 討伐軍

――そうして私は、また人から人……いえ、今度は猫の妖怪のもとへ渡りました。


 あの夜、眠り込んだ仁問さまを、白猫がこれ幸いとばかりに手をかけたとき、私は焦ってどうにかしようと夢中で、気がつけば何か光を発したようです。


 仁問さまは「辟邪へきじゃ」と私のことをおっしゃったけれども、まさかこのような力が私に秘められていたとは。でも、仁問さまはたとえ一夜でも契った相手のことはあだやおろそかにはなさることはせず、私の身をもって報い、白蓮の心を慰めたのです。


 それにしても、奴奈川姫ぬながわひめさまは、私の運命を「遠くに旅するもの」とおっしゃった。

 確かに、秋津洲あきつしまを出でて新羅へ渡り、そして唐土へと数十万里を運ばれてきました。手も足もない私が、ですよ。鮎児あゆこさま、金春秋きんしゅんじゅうさま、そしてご子息の仁問さまへと持ち主も変わりましたが、げに数奇な巡り合わせとはこのようなことを申すのでありましょう。


 私を愛でて下さった仁問さまの行く末をこの眼で見ることが叶わぬばかりか、御身をお守りすることもできず心残りでしたが、ある日、白蓮がそわそわとした様子で朱雀大路に足を向けました。


 彼女は霊力が戻ったのか、またあの舞姫のいで立ちで日銭を稼いでおりましたが、この日は市ではなく、長安の真ん中を南北に貫く大路を目指しました。すでに大路には人だかりがしていて、遠く瑞雲に霞む宮城から行列がやってきますが、皆はそれを待っていたのでした。


 隻眼せきがんの胡姫は持ち前の身体の柔らかさで、するりするりと巧みに人込みを抜け、最前列に這い出ることができました。ちょうど将兵の集団の先頭が彼女の鼻先をかすめていくところで、将官はみな馬に乗っています。

尊大そうな、いかにも美々しい鎧に身を包んだ神丘道行軍しんきゅうだいこうぐん大摠官だいそうかんの後ろに、忘れ得ぬ人がやはり騎馬で従っていました。


 白蓮はその人に向けて、胸元から首にかけた皮ひもを引き出すと、先端に結んだ私を掲げてみせました。彼は眼を細め、柔らかな微笑を浮かべて馬上から舞姫に頷き、手にした鞭をお返しに掲げたのです。

 そして、またと武人の顔に戻って行き過ぎていきました。聞くところによれば、唐と新羅の連合軍で百済を討つその出立で、仁問さまも副大摠官として戦を指揮なさるということでした。

 

 行列がすっかり去って人々がちりぢりになった後も、私を温かな手に包み込みながら白蓮はじっとたたずみ、「ご無事で、くれぐれもご無事で……」とつぶやき、肩にかけた羽織ものをかきあわせ、貴公子と共に過ごした一夜を思い出すのでした。


――「水をそそいで平地に置けば 各自に東西南北に流る

  人生にも亦ためいあり 安くんぞ行きて嘆じ復た坐してうれえん」

――どなたの詩ですか?

――南朝は宋の、鮑照という人だ。ある方が私のために書いてくださった詩の一節で……。

――私に詩の優劣はわかりかねますが、寂しく、悲し気な響きがしますわね。

――「各自に東西南北に流る」、私たちも同じだな。東西より来て、また東西に別れる身なれば……。



 さて、私の持ち主はとうとう人外の者になりましたが、女神さまの仰る私の旅は、まだ続きそうです。



  セプティミア・バト・ザッバイ 君知るや はるかな沙中の国よ

  セプティミア・バト・ザッバイ 黄金も乳香にゅうこうも今はただ風のかなた……

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