第3話 勾玉慕情

 すでに両親を亡くしていた少年は、翡翠磨きの師匠である老人の小屋で寝起きしていたが、その日は朝餉もそこそこに、小屋の作業場に腰を下ろした。

 採ってきた見事な原石を注意深い目つきで眺めまわすと、慎重さと決断力をもって石を割り、研ぎ砂で丹念に研いでいく。


勇魚いさな。朝から熱心だな。だが食うものも食わぬと、よい仕事ができぬぞ」

 あまりに弟子が熱中していたためか、師匠が苦笑交じりに声をかけがてら、ひょいと勇魚の手元をのぞき込む。

「ほう……なかなかよい石を拾ってきたものじゃ。早起きをして得したな」

 勇魚は喜ぶかと思いきや、複雑な表情となった。

「あの、これは売ったりするものではなく……」

「売り物ではない?」

「はい、鮎児……じゃなかった、お邸のお嬢さまに」

 それだけで意が通じたと見え、師匠は頷いた。


「いや、そなたから取り上げようとは思わんよ。翡翠は女神さまのお力をもって、悪きものを遠ざけ、良きものを招き入れると申す」

 勇魚はほっとした表情を見せる。

「遠く都に行く、采女になるって聞きました。口では強がりばかり言ってますが、本当は心細い思いをしているはず。俺は、こうやって翡翠を磨くことしかできないけれど、奴奈川をこの石に閉じ込めて持って行ってもらえれば、と」

「うむ、そうして差し上げなさい。何より、お嬢さまの行く末に幸いあれと願う、そなたの心を奴奈川姫さまもきっと喜ばれるはずじゃ」


  *****


 鮎児あゆこは再び、あの石浜を歩いていた。ゆっくりゆっくりと。ぴりりとした潮風が身体にまといつき、黒髪をなぶってやまない。一足、一足、踏みしめる石にも自分がかつてここにいた記憶を刻みつけるかのように、その歩調はしっかりしたものだった。


 やがてもう一つの足音が聞こえ、彼女は振り返ったものの、その表情に驚きはなかった。

「……やっぱり来ると思っていた」


 だが、もはや少年は少女にかける言霊ことだまを発しなかった。その代わり、無言で右の拳を突き出す。

「……?」

 鮎児が両手を差し出すと、つるりとしたものが掌に載せられた。

「まあ……」


 少年の拳の温もりそのままに、石は緑色に息づいていた。

「ひょっとして、あの朝に拾った翡翠?」


 こんなに見事な勾玉、見たこともないわ――彼女はいつもの不機嫌さも尊大さも忘れ、ただ純粋な賛嘆の声を上げるだけだった。


 いっぽう勇魚は怒ったような顔を崩さず、ただ大きく一度だけ頷くとそのまま二、三歩後ずさりし、ぱっと踵を返すとどんどん遠ざかっていく。

「あっ、待って――」

 時に足を石にとられつつ駆け去っていく少年を、少女はせつなげな眼差しで見送っていた。

 

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