第18話 覆面の男たち

 李と郭、二人はしたたか飲んで酒家を出る。


 ここは契丹すなわち遼の都たる上京臨潢府。契丹といえば、キタイ族の太祖・耶律阿保機やりつあぼきが建てた国で、いまは漢人をも支配下に置き、南方の宋を圧迫している。

 草原地帯独特のからりとした空気と強い日差し、今は夏とあって、日中は過ごしやすい。そして気のせいであろうか、たとえこのような都の真ん中にいても、遠くから草の匂いが運ばれてくるようであった。蒼穹に映える北塔と南塔は、契丹の崇仏の念がこもったものである。塔をすり抜けてくる風が、強い酒でほてった若者の身体を心地よく冷やす。


 さて、その後二人が集めた情報によれば、「後家さん」こと呉梅香であるが、財産持ちだった亡夫の祭祀はあらかじめ養子に迎えておいた親族が継ぎ、下僕と下女を自宅に一人ずつ置いて、あまり門から出ることもなく暮らしているという。

 李と郭は、通りすがりを装いつつ呉氏の宅をそっと窺っていた。


「あんな地味な暮らしぶりをしている後家さんに、どうして蛮族たちが執着をするのかな……」

「まあ、絶世の美人であるとか、閨房の術に長けているとか、男心をとろかしてしまう風情を持っているとか、そんなところかな。ああ、門からでも出てきてくれればいいのに」

「ますます気になるな。だが、公主さまをさらって妻にしてしまうのよりは、簡単だろう」

「恐ろしいことを言う。だが、そう上手くいくかな?どうやって近づく?」

 郭はにんまりする。

「そりゃ正々堂々と、表門から突撃するさ」


*****


「……正々堂々といっても、結局は覗き見ではないか」

 宵闇迫るころ、李朝慶は相棒の肩をつつきながらぶつぶつ言った。二人の視線の先には梅香の家の門が見えるが、それは相変わらずぴったりと閉じられていた。

「仕方ないだろう、やって来たのはいいが、すでに蛮族が到着していたのだから」

 郭文雅が、門外に繋がれている馬と童子に向かって顎をしゃくってみせる。


「で、どうする?このままここにぼんやり突っ立っていても仕方がない、どうせ今日は不首尾に終わるのだから、明日にでも出直して……」

 言いさした李の口元は、だしぬけに郭にふさがれる。

「しっ……別の馬がやってくる。しかも二頭」

 果たして、馬が首を並べて速足で駆けてきたかと思うと、あっという間に呉宅に至る。しかも馬上に乗る黒衣覆面の二人連れは、ともに目にもとまらぬ早業で馬から立ち上がって塀に乗り移り、邸内に消えてしまった。


「何だ、あれは?」

 漢族の美男子二人は狐狸に化かされた態である。ほどなく、物の派手に壊れる音、女の鋭い悲鳴、男たちの怒声が聞こえたかと思うと、覆面の男たちが今度は門から出てきた。ゆったりした足取りで、めいめい小脇に何か包みを抱えている。馬の見張り役の童子は、後ずさりして逃げ出してしまった。

「誰だ!」

 こちらを向いて誰何の声を上げたのは、より小柄な覆面のほうだった。李と郭は首をすくめ、その場を離れようとしたが、もう一人の覆面男に道を阻まれた。

「何用だ?我らを見張っていたのか?」

 凄みのある声とともに、鋭い剣の刃が李の首筋を這う。郭の肩口も、華奢な男の剣に狙われている。


「い、いや……ただ私たちは……」

「ば、梅香の……」

「何だ、あいびきか」

 小柄な男はくすりと笑い、剣を外した。

「残念だったな、梅香は私たちが始末してしまった、喚いていた男たちもな」

「何ですと?」

 男前二人組は、間の抜けた声を上げる。

「仕方あるまい、密貿易の中継ぎに立って梅香は私腹を肥やし、あの契丹人どももうまい汁を吸っていたのだ」


 肩をすくめる男のそばで、背の高くいかつい男が「同族の風上にも置けぬ」と吐き捨てた、ということはこの覆面二人組は契丹人であろう。顔を見合わせる漢族の男たちの前で、いかつい男は小柄な男を振り返る。

「この漢族たちはどうするか?後から騒ぎ立てられても面倒だ、行きがけの駄賃に……」

「いや」

 やや急いた調子で相方が手を振って否定し。その拍子に手首にかけられた蓮の琥珀が揺れた。


「あっ」と声を上げたのは李朝慶である。

「その琥珀は……」

「何だ、知っているのか」

「私の知り合いの持ち物だ、返してほしい」

「どうだか、その話が事実か怪しいものだな」

「嘘ではない!お願いだ、本人が困っているのだ……」

必死な李を尻目に、琥珀を持つ男が笑う。


「私が得たのだから、私のものだ。欲しければ我ら『蛮族』から奪い取って見せよ、腰抜けの漢族ども」

「そんな……!」

 抗議の声もどこ吹く風、大柄の男とともにひらりと馬に飛び乗り、高らかな哄笑を残して去っていった。

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